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文字にしてみる

鼻かぜひいた 仲良し家族は仕方ない のどの
奥の炎症感だけでとどまってくれることを願う
何となく書き物のアップを休んでみたが書くことが
なくても書くかと思って これは人様に見せて
面白いものなのか と思いつつ出してみると意外
にもスキの数は減っても閲覧数は二割ほど増し
ている 特に人様の受けを狙っているわけでも
ないけれど読まれればそれは嬉しい わずかな
共感みたいなもの しかし なぜ 共感されると
嬉しいのだろう 嬉しいというより安心に近いかも
知れない 全く誰にも共感されない むしろ 忌
み嫌われるものを書くというのもあるかもしれない
悪意に満ち満ちた文章 たまに行間から他人
への呪詛が並々ならぬ熱量であふれてくる文章
を目にすることがある そのような文章は心に
何かぎざついた重い石を渡しかけてくる そして
それは別の種類の好物でもある

邪悪とか悪意には 引力がある 勤めていた時 電話
で 電話でしか知らない相手に悪意むき出しで
攻撃を仕掛けてくる人がいた この人はトラブルは
全て相手のせいで自分には非の一分も全くな
いと思っているのだろうか よく口を極めたむき出
しの敵意をありったけ向けてくるものだ などと
思いながら対応した こちらが悪ければ素直に
謝るだけだが 謝ればそれ以上のエスカレート
というのはそれほどない 話の通じない相手の
生身の悪意 その背景 ひとつひとつの事例は
忘れてもその感覚はうっすらと残っている

このところ感じるのは悪意というのとはまた少し
別かもしれないが 強い怨みの末に行われた
悲惨な事件 というよりも何だかそれほどの恨み
なく複数の人が犠牲となる事件がぽつぽつと
起きているなということ それで不謹慎だが心
のどこかで事件慣れしてしまっているような感じ
がしていて それらの事件にいちいち衝撃を受け
無くなってしまっているのはよくないのだろうが
ほんとのところで

もはや悪意 といった文字の中の 意識 すら
無くなって 相手の身になる想像力すらなく自分
が気に入らないことがあれば無意識に オートマ
チックに批判を浴びせかける その無意識という
のももしかしたら誰かの悪意 いや 作為 に
よって誰かの都合がいいようにふっと撒かれ
それが無意識レベルに育ってしまってもう手が
つけられないことになっているのかもしれない
などと思ったりもする それはもしかしたら陰謀
論と呼ばれるものなのかもしれない 思考は
別の思考に影響され もはや何のどのような
考えなのか 何か風潮のような物を語る時
自らの批評性の無さを嫌というほど痛感する

以前にも書いた覚えがある 凡才の私が批評性
を少しでも持とうとするなら 逆 を考えるのが
一番効果的なのではないかと60年近くの人生
でなんとなく分かったような気がしている 一つの
立場があったとしてもう一つ逆の立場があるはず
だからまずそこを考える それから角度を変えた
また別の立場もあり得るのでそのあたりまで想像
してみる そこから深く掘り下げられる考えは
様々な立場の考えから例えば選び 例えばも
じり 例えば反駁しながら独自に物事を考えて
いく それは一般的な 誰もが思うところに落ち
着くのかもしれないし全く別の見方になるのかも
しれない 出来るだけそうした思考をするように
意識していきたいとこのように文字にしてみる

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