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現代詩手帖の12月号2023年度作品年鑑の作品部分を読み終えた

現代詩手帖の12月号2023年度作品年鑑の
作品部分を読み終えた 既視感を覚える作品
が並んでいた印象だ 破れかぶれの冒険とか
実験 破綻を恐れないような果敢な作品がみ
られなかったという印象 あくまで印象で 批評
では印象というのがもっともよくないとされている
が 特に批評ではない というより書けない素人
なので と卑怯にも言い訳めきつつ 素人目に
はそのように映った 手堅い麻雀 安牌を切る
危なければ降りる しかし それは書き手の問題
というよりは編集の問題なのかもしれない ニ三
年ほど前にはおとなしい作品よりも実験的な
ものがにぎわっていたと思われたからその反動
なのかもしれない

私はおとなしくまとまって人生の普遍をうたう詩
に心を動かされることは少ない それは私の
人生に対する考えの浅さとか知性の足りなさから
きているという側面が多分にあるのも自覚して
いる 作品評や詩書評をすべて読み終えては
いないけれど私の思いもよらない作品の美点
を上げられれば私の読みなど表面的で何も
分かっていないと言われればそうだよなと思わ
される部分も多い そのうえで言うと 今年の
年鑑に掲載されている作品の中で これは と
思うものは非常に少なかった 詩とは誰に向けて
書かれているのだろう 他人に理解されるために
書くのか それとも自分の満足のために書くのか
どちらにせよ振り切れず中途半端な気がした
素人目にはそう読めた ただ 作品が選ばれる
さいに単純な紙面の関係から短いものが選ば
れることは多分ある 一冊の詩集を読み通して
ではないと味わえないその本の滋味というのも
あるだろう それは当然割り引かなければなら
ない 

手堅い 実験冒険しない 徒労を恐れる 時代
などと片付けたりしてはい次 といえば苦言め
く物言いの後の大きな無責任 言いっぱなし
とは言え後から大きく振り返ってみるとあの時代
にはこういう流れが何となく大きく流れてそれで
このような作品が書かれたのだとおぼろげに
思われたりする 現代詩から遠ざかって空白の
2000年代 2010年代を大まかに後追いして
見た時に自分なりに掴めた流れというのをその 
時生きていた感覚 潮流 世相などに照らして
そういう事かもしれないとふんわり理解したりす
る もちろん正解も誤解もなく 自分の中で
片づけているだけで学際的にだとかそういう
きっちりとした正確さでのレベルではない それ
でいて厚顔にもこのような乱暴を語るのか素人
だというのも重々自覚している

つまりその時代の空気には気づかないかもし
れないが少なからず影響を受けている 以上
などと言えば元も子もなく ならばその潮流の
リーダーたれ などと言えば一気に勇ましくうさん
くさい ところで うさん臭さというのはパクチー
だ などと言えば安易な暗喩で その心は と
いえば多少のうさん臭さは作品の中に含有され
ているべきものなのかもしれないなどと個人的に
は思うのだけれど 今回読みえた作品の中に
それが隠し味されていたものは本当に少なかっ
た気がとてもしている 個人的な痛み 苦悩
悲しみ それらを言葉を尽くして自分なりに語ろう
という姿勢は大いにみられる しかし それ け
っして安くない金額でわざわざ本を買ってまで
読みたいものか と翻って今はやりのコスパ
タイパなどとわざとうさん臭く安易に結び付けて
見たりする 作品としてはベテラン勢はやはり
うさん臭さ含めて読ませる それは言い換えれば
その作者の味 隠し味で そこに芸がある 芸
などと乱暴に括ることも含めてその括りは私な
りの芸とでもなっているものか

とは言え詩は滅びない 心情を表すのに一番
容易いと思われているから あとからあとから
詩の書き手は現れる おそらく生きている人の
3割ぐらいは詩を書きだす可能性がある その
うちに実際 自発的に詩を書きだす人は数パー
セントか 単なる肌感覚 しわとたるみ その
少数の人は詩を書くことが生きがいのようになり
さらにその中の少数が詩人としか言えないような
人になる 読むにせよ書くにせよ 生きるにせよ
詩人 そうなると作品は二の次でその人自体に
凄みが出てくる

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