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土曜、夏、朝

土曜、夏、朝

七月の初旬から中旬に差し掛かる午前中、夏、家に私しかいない。ラジオとテレビと、PCでユーチューブを流している。カルメンマキ&OZ、通称マキオズ。1980頃はゴリゴリのロックバンドで歌っていた。今で言うスーパーフライのようなものか。いや違う。すまないが別格だ。

バンドのテクニックもすごい。ギターはいわゆる泣きのギターだ。いつもはうるさがられて上げられないボリュームをかなり上げ気味に、しかし、上下隣の部屋には気を使いつつ、音に合わせてエレキベースを弾いていた。

目をつむって。目を閉じ、音をきき、指を動かしているとある種、トランス状態が脳内に降りてくる。そこに1980年の自分が人を傷つけたり、寂しがったり、何か、誰かを呼んでみたり、風が吹き抜ける土手を歩いたり、水に浸かったり、ドラムを叩いたり、人に逆らったり、怒ったり、何だか鬱屈している姿が見えてくる。

音楽と匂いは過去一方のタイムマシンで、記憶機能が毀損しない限り、あの頃の身勝手な自分をあのときの水っぽい空気とともに現在に引っ張ってきて、どうにもならないことではあるが、また、今でもあのころとたいして変わっていない自分なのに、私は内心で激しく身悶えするのだった。

何をあんなに芝居がかって、格好をつけて、自意識過剰で、身勝手にとげとげしていたのだろうか。こんな思いを何十年も経った今、生々しく煩悶するとは、1980年には思わなかった。何の根拠もなく粋がって、虚勢を張っていたのだ。

しかし、五十を過ぎてまでまだ、粋がっている。もちろん若い頃とは形態は全く違うがあれからずっと何やかや粋がって過ごしてきたのだ。小賢しさや狡さなどはしっかりと身につけつつも何だか虚勢を張っている。

時に心身に贅肉の少なかった当時を思い起こし音量高く当時よく聞いた音楽を聞く。土曜、夏、朝。七月の初旬から中旬に差し掛かる午前、屈折した酔いが酒も飲まずに心のなかでうねっている。

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