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『ドライブ・マイ・カー』

英題「DRIVE MY CAR」

◆あらすじ◆
舞台俳優で演出家の家福悠介は、妻の音と穏やかで満ち足りた日々を送っていた。しかしある日、思いつめた様子で"今晩話がしたい"と言っていた音は、家福が帰宅する前にくも膜下出血で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまう。2年後、『ワーニャ伯父さん』の演出を任された演劇祭に参加するため愛車で広島へ向かう家福は、寡黙な女性みさきを専属ドライバーとして雇うことに。やがて様々な国から集まったオーディション参加者の中に、かつて音から紹介されたことのある俳優・高槻耕史の姿を見つける家福だったが…。


実は初めてこの原作者の作品(もうタイトルも覚えてない)を読んだ時、文体が苦手で最後まで読み切れなかったと言う記憶がある。なのでその後は殆ど読んだ事が無い。

が、本作の書評を見てこれだけ時間をかけて描いた真意に興味が湧き鑑賞。


元々、性描写や性表現はどんなものでも受け入れるが、冒頭での生々しい描写の描き方の中に原作者の独特な表現の匂いが感じられてちょっと斜に構えてしまったが鑑賞していくうちにその苦手な匂いは消えてこの物語の真意の様なものが見え始めたので正対して観たww。


心理の表層と深層、正負の情動。

そうしたものと共生する人間の多面性にフォーカスし、他人との出会いや関わりを描く事で自分の中の後悔や罪の意識を表面化させる。

そこに辿り着くまでがとても丁寧と言うか、まるで放射線状で多方向からその一点に展開を集中させる演出方法は非常に興味深かった。

そして自分の後悔や罪を受け入れ想いを抱きながら生きる事を贖罪とするストーリーテラーはとても素晴らしかったと思う。


179分と言う長尺が全く気にならないのは差し込まれるチェーホフやベケットの戯曲の成せる技か?それともミステリアスな展開か?
国籍、言語、人種、障害…どんな障壁をも超越した家福の独特な演出方法にどんどん惹かれてしまう。

様々な要素が相俟って自然に人類の壁が消え去る演出は斬新だ。


協力して何かを成し遂げようとする【コミュニティに存在するルール】から逸脱する若い俳優の役を岡田将生が上手く演じてる。
前半は彼の存在だけがこの物語に何処か【現実感】を齎す。
そう、人生なんて上手く行かない事だらけだ。それを体現し、家福の罪の意識を引き摺り出す。

そして後半の現実感担当が三浦透子演じる"みさき"だ。
何故、彼女がドライバーとして腕が良いのか?
何故、北海道出身の彼女が広島に居るのか?等々・・・
謎めいては居るがひたむきさと正直さは彼女からしっかりと伝わる。
細かい機微をホントにしっかりと演じていて彼女がとても素晴らしかったのは特筆したい。

そして家福の舞台を演じる多国の俳優達が魅力的なのもこの物語の重要なエレメンツだ。

が、ワタシが一番気に入ったのは家福の舞台を広島で行うプロモーター柚原を演じた安部聡子だ。
ただただ淡々と己の仕事を全うして行く姿が非常に小気味良く強い意志を感じて痛快だった。彼女のやや感情に欠けた様な話し方が淡々さを増幅させてたな。


原作は読んでないがスクリーンに映し出された群像は心の奥の【何か】に触れる脚本になってる様に思える。


2021/09/16

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