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時空が歪んでいるのか、私が歪んでいるのか

私は空を飛んだことがある。
それは、高校生のころ学校で起きた。

階段をふらふらと降りていたら、足を踏み外した。
階段の前の壁には小さな窓があり、高さ的に普段は窓の外を見ることはできない。

ただその時私は空を飛んでいたため、その日初めて窓の外の景色を見ることができた。


それは夏の昼休み前。
胃の中の食べ物が全て消化されたのか体が軽い。

むわむわとした湿気の匂いに
一面青の空が広がっていて
外からは楽しそうな笑い声
少し汗ばんだ体に、ふんわりとやさしい風が体の凹凸をなぞる

五感は冴えていて、とてもゆったりとした時間が過ぎていく。
「この時間が一生続けばいいのに」なんて思っていたら、強い衝撃で目が覚めた。




と、ただ不注意で階段から落ちただけの話をちょっとぽい感じに書いてみました。


何はともあれ今回のテーマは時空の歪みです。



私の半径1m以内の時空は歪んでいるのかもしれない。

名前を呼ばれた時、自分ではすぐ反応したつもりでも、ワンテンポどころかツーテンポ、スリーテンポぐらい遅いらしい。

机の上の物が落ちる時もスローなので落ちていく瞬間がしっかり見えている。

しかし、ゆっくりに見えるだけでそれを拾う気力もないので、ただ物が落ちる様子をスローで見届けている。

それが水の入ったコップだろうが焦りもしない。
ただ傍観者のように、水がコップから抜け出していくのを眺めるのみである。


時空の歪みを初めてはっきりと認識したのは、中学の部活動だった。
私はソフトボール部に所属していた。

因みに運動神経は全くよくない。
50m走を本気で走っても10秒は掛かる。

ただ流れで入っただけである。
ルールも未だに知らない。

そんな私だが、部員の数が少ないが故に初めからスタメン入りだった。

極力目立つことは避けてきた人間なので、全くもって嬉しくないどころか最悪であった。

守備はレフトを指名された。

とりあえずやっている感を出すために、腰を下ろしてみたり、皆んなが何を叫んでいるのか分からないが、適当に口をパクパクさせながらバッターのことをぼーっと見ていた。

すると感なのか、バッターの構え方でなのか分からないが、バッターが構えた瞬間、
「あ、飛んでくる。こっちに。」
と、瞬時に思うのである。
しかもこれが100%で当たる。

生唾を飲み込むと案の定、真っ正面に飛んでくる。

しかし、前述したように運動神経皆無の私は、たとえ事前に飛んでくると分かっていても取れないのだ。

なので毎回、

「あ、こっちくる。」

生唾を飲む

取れない

を一生繰り返していたので、当然守備から外されることになった。

しかし外されたのは守備だけである。
DH(指名打者)となったのだ。

何故かバッターボックスに立つとボールの動きがスローに見えるので、タイミングを合わせてバットに当てられるのだ。

プロが言う、ボールが止まっているように見えた。とほぼ同じ現象であるのかは分からない。
"近しい"ということにしておこう。


しかし、運動神経もないが、力も貧弱で、ペットボトルの蓋を開けようとすると指が攣ったり、力を入れすぎて手のひらに豆ができるぐらいには貧弱である。

だから飛ばすと言うよりかは当てに行く感じになるのだが、毎回当たる。

仲間が空振りを繰り返す中、
(どれだけ速いのだろう…)と、心臓をバクバクさせながらバッターボックスに立つ。

すると、何故か当たってしまう。


しかしベースに辿り着くことはない。


そう、50m走10秒以上の私には当てることができても一塁に辿り着くことは無かった。

せいぜい二塁三塁の味方を送ることしかできない。
味方がいなかったら何の意味もない。

相手チームの「え?」っていう顔と空気感に耐えれず、とっくにアウトになっているが念の為ベースを踏んで、そのままのスピードでUターンしてベンチに帰る。

これでは恥晒しなので始めからベンチの方がありがたい。

そんなこんなで、ただボールをバットに当てるのみで私のソフトボール人生は幕を閉じた。



ただナマケモノの様に"自分自身が遅い"だけであれば、ボールや物が落ちる瞬間がスローに見えることはないだろう。

転ける瞬間など危険を感じると一時的にスローに見える「タキサイキア現象」という現象が有力候補だが、この現象であるとなると私は私が思っているよりも小心者ということになる。

たかだか物が落ちるだけ、たかだかボールが飛んでくるだけでスローに見えるぐらい毎回脳が恐怖を感じていることになるのだから。

分かってはいたけど、私はきっと長生きしない。

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