zetumu

神マスター。経世済民リベラル志向の神電波系な現実主義者のサブカル好き大阪人。

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zetumu流神社参り

私的神社参りのやり方を書きます。 神社とは書いているけど、浅草寺とかそういうのも含む。 但し一つ条件があって、おみくじが引ける所。 作法は普通で良い。 そこは特に言うことはない。 普通にネット検索でもしてオーソドックスに、普通の神社などなら二礼二拍手一礼とかで構わない。 普通に鳥居から入る前に挨拶して、御手水で手と口を清めてとか、まあ普通。 ここからが私的参り方。 前に立って向こうから自身に筋がスッと通るイメージ。 これだけではイメージし難ければ、真っ直ぐ自身に真っ直ぐな

    • お盆の神義

      お盆の神義。 元々お盆は仏教が入って来る以前の日本の神と祖霊がこの時期にというのと仏教の盂蘭盆会が習合したもの。 日本の神道的考え方は「人は祖に基づき祖は神に基づく」と。 ここで言う神とは氏神で、氏神とは元々は氏族の神。 源氏なら八幡さんとか。 昔は同じ氏族は同じ土地に住んで、そこに氏族の神を奉ったから、氏神と住む土地の産土神は同じになったので、産土神も氏神と。 本来は住んでる土地の神は産土神。 少し脱線 戻す で、氏神が基の基なのだが、お盆の時には氏神と人が直に通じて

      • 道理と法理

        こちらの後半に書いたことをもう少し詳しく書く。 老子第一章 http://blog.mage8.com/roushi-01 名無きは天地の始め、名有るは万物の母 これは形なきあり方の道理と、形あるあり方の法理を言っている。 形なきあり方に於いては個別性はなく、東大寺の大仏で示されている華厳世界の様に一と全体が完全に不可分なものとしてある。 まあインターネットはそれが一部具象化したものではあるけど。 個の端末から世界中のネット情報が参照され、またその端末にある情報もネットの

        • 真名井神社の巫女の神水

          私の知り合いのスピリチュアルな方。 この方私見立てでは前世は元伊勢籠神社奥宮真名井神社の卑弥呼的巫女なのだけど。 時々呟いてたオーラ見はこの方。 多分前世では肉眼でリアルタイムでオーラ見えてたはず。 最近は連日寝てる間に真名井神社の御神水が尽きず湧く壺を以て水撒きに行っているそう。 ごく最近は東京に行って撒いてるらしい。 虫がいてそれに御神水掛けると退治出来ると。 東京はまず根津神社さんの所に行ってそこの許可頂いてそこの水を司る者に案内されて色々連れて行かれているらしい。 根

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        zetumu流神社参り

          神道の原則1

          これまで色々な方に神道や神社の説明をして来たが。 その基本原則についてから説明を始める事が多い。 そしてその原則を押さえておかないと、その他の事も理解が進まないと思われるので。 それをこれから書いて行く事にする。 原則1 神とは世界そのものを世を創り成り立たせてある筋道道理そのもの 神とはそもそも何か。 世界そのものを創り、そして成り立たせてある筋道道理の事です。 だから物理学者などが、この物理自然宇宙の法則を捉え様とする事も神を捉える事の1つ。 但し物理学者が捉えようと

          神道の原則1

          大利神社(大阪府寝屋川市)

          先日機会があって大阪寝屋川市の神社4社に行って、その内の一社、大利神社が予想以上に良い神社だったので紹介しておく。 寝屋川市は日本書紀に日本最初の堤が築かれたとある茨田堤(まんだのつつみ)がある辺り。 https://www.city.neyagawa.osaka.jp/organization_list/kyoiku_shakaikyoiku/bunkasport/bunkazai/namesagasu/1378095715828.html ここの、人柱にという神示に対し

          大利神社(大阪府寝屋川市)

          ゴータマの悟り

          ゴータマ的には ①瞑想が真理に近付く道ではなく、真理を捉える為の瞑想でないと意味がない ②自分を離れた真理に基づく主体的自らこそが本当の道観 ③仏教は真理体系の成就 ④事象をありのままに捉え得る理でないと意味がない 自分というのはその場その時の自己に過ぎない。 昨日の自分と今日の自分は違う。 同じ瞬間ですら朝起きる時に寝てたい自分と起きないとという自分がいる。 そんな数多の自分がいつもある。だが全て自らの事と。 又自分の事と言っても自身のこの身体サイズとは限らない。 車に乗

          ゴータマの悟り

          和泉国一宮大鳥神社(大鳥大社)

          wikipedia大鳥大社 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%B3%A5%E5%A4%A7%E7%A4%BE 初参拝。 ほぼ誰もいない。 境内に入った時パワーが弱いなと。 拝殿本殿台風被害の修復中。 こういう破壊が起きる場合も神意である事が多い。 公式主祭神  日本武尊  大鳥連祖神 となっており、大鳥連祖神とは天児屋。 中臣(後の藤原)と同じ祖神で春日と同じ御祭神という事になっている。 日本武尊は大日本帝国時代

          和泉国一宮大鳥神社(大鳥大社)

          才論

          凡才秀才鬼才天才神才。 色々言われるが。 まず個性って何?がある。 個性は幾ら真似をしても出てしまうもの。 個性は出そうではなく出てしまうのが個性。 だから癖も個性だが。 癖は習慣なので習慣を変えれば直る。 個性はその者がその者としてある事そのものである事に拠る。 その者そのものが変われば個性も変わるが、その者がその者としてある事としてが個性。 まーだから逆に完全にコピーして真似る事が出来るのであれば、それはそれで才だけどね。 もしそれが表層だけではなく深くまた微細なもの

          上野千鶴子氏東大祝辞趣旨解説

          こう言ったのは反マッチョリズム故に。 マッチョ女性、逆に弱者男性が出て来た中で、学歴的には最強マッチョの者達に。 また環境マッチョの者達に。 そして環境マッチョ自体が幻想だと。 一連でずっと出て来ている言葉は平等ではなく公正。 そもそも強者というのは相対的なもの。 東大女子は可愛い基準では弱者。 だから一つの基準でのマッチョで全てがマッチョだと思うと見誤る。 そしてある基準でのマッチョもその基準に適した環境があって。 だが基準も環境も変わる。 だからどこでも道を拓いて行ける

          上野千鶴子氏東大祝辞趣旨解説

          不倫バッシングは気持ち良い?

          別にドラマも見てないし。婚外恋愛は当事者間の信義の問題だから当事者間で問題無けれご自由と思ってるけど。これは気持ち悪いわ。当事者間信義が蔑ろならその人間性が叩かれるのは当たり前。クズ親が叩かれるが如く。それは嫉妬とかではなく人間の本源的怒りだと思う。クズ親だって心情的言い分はあるだろうよ。でもクズ。でも寧ろだからこそ周りはサポートしてクズ脱却して貰わないとになる。その前提はクズはクズであるという前提。だからクズ親は社会的に叩かれてあるべき。同様にパートナーの信義を蔑ろにする様

          不倫バッシングは気持ち良い?

          民主主義社会的死刑

          https://newspicks.com/news/3199810 日本国憲法の拠って立つ、普遍的基本的人権と公共的社会契約という前提があっての、罪刑法定主義。 罪の重さというのは、普遍的に決まっている訳ではなく、絶対君主制に於いてはその体制の転覆を図る事が重罪で死罪に値する。 死刑が殺人にのみに拠るという訳ではない。 国家が刑事罰として罪刑を法定して課す事ができるのは国家が社会に何を負託されてあるかに拠る。 日本の場合は上記の民主主義思想に基づいた社会国家がその拠って立

          民主主義社会的死刑

          運命

          私的には運命はこうだな 「運命」=「筋道」×「道理」×「自身」×「ローカル」の組み方 運命は命の運び。 命は世界の変革のこと。 世界の変革の運びが運命。 となると、筋道に合ってないとそもそも世界と合わない。 まず世界が成り立ってある拠ってある所を。 次にその筋道がどう道理としてあるかを。 道理というのは、どこにでも通じてある理。 世界が実際にどう成り立って成立してあるかそのもの。 それが自ら自身にも当然通ってある。 世界のあり方がローカルにどう通ってあるか。 そしてこのリアル

          真理教主義

          朝日新聞の宮台真司の寄稿見たけど古いかな。その結果出てきた若い世代がわかり易く言うと古市憲寿タイプ。共同体幻想もない代わりに本当の意味での社会形成意識もない。日本の失敗は社会形成の失敗で、故にサバイブだけが異様に。それは逆に強者に迎合する事になるから却って依存性を高める。それの何がまずいかと言うと、カウンターとしての依存性ではなく、メインストリームでの依存性が高まる事なんだよね。それはオウム的なものとしてではなくもっと厄介な強大な一極的強権化が進むという事。「真理教主義」がサ

          真理教主義

          社会とヘイト

          にコメしようとしたら長く成りすぎたので(^_^;)。 追記にあるようにそもそも表現の自由の拠って立つ所は人権に拠るので、明確な人権毀損ヘイトに関して言えば表現の自由の範疇には無いと思います。 そうでないと表現の自由の拠って立つ所そのものを失ってしまう。 わかり易いものでは特定人種や民族は人権剥奪されるべき、などというのは表現の自由の範疇にはないでしょう。 表現の自由の相互性とは人権の相互性に基づくので。 ヘイトそのものについては批判の元に「対等」な言論と認められる訳には行か

          社会とヘイト

          かぐや姫の物語の罪と罰

          この記事読んで。 かぐや姫が偽物なのは女性であることを押し付けられたからではないと思う。 かぐや姫は本当は人間をやれないんだよ。 最初から最後まで囲われてしか生きてない。 その囲いは押し付けられたものではなく本当はあの箱庭の様にしかあれないかぐや姫自身。 そして最後も自らで決する事なく終わる。 月に帰るのは自殺だと思うと記事にはあるけど自らで自殺することすら出来ないのがかぐや姫。 彼女の本当の罪は彼女の憧れの欺瞞とそれ故の罰。 囲いを押し付けられたものと捉えている限りかぐや

          かぐや姫の物語の罪と罰