ロシア語一日一善(243)


レフ・トルストイ編著 八島雅彦訳注『ロシア語一日一善』東洋書店 から

Персидский мудрец говорит: «Когда я был молод, сказал себе: хочу позвать всю науку. И я дошел до того, что оставалось уже немного вещей, которых я не знал, но когда я стал стар, я увидал, что жизнь моя прошла, и я не знал ничего».

Персидский :「ペルシアの」で「ペルシア」は Персия 、どうしてдの音が入ってるのかが疑問だった。(Япония(日本)→японский (日本の)の場合、-ия を取って -ский をつける)персидский の語源を調べると古代ギリシャ語から来ていて、どうやら古代ギリシャ語で「ペルシア」を表す語の属格からこの形が来ているようだ。

хочу познать всю науку :познать は完了体で、「知る」だが、「知らない状態から知っている状態に移行する」という動的な意味合い。「学問を知る」というのは、その存在を知っているという表面的な意味ではなく、長い期間勉強して、それがどういうものであるかを分かっている状態にあるという感じ。そういう意味では「すべての学問を修めたい」と訳せるか。хочу が現在形になっているのもよく分からない。「自分が若いころ」に自分に対して言った内容が「すべての学問を知りたい」なので過去形になりそうだが。ここでは基準となる時点が「自分が若いころ」で発話時も「自分が若いころ」で一致しているから現在形ということか。もしここが過去形になると「自分が若い時に、(その時よりもさらに前の時点で)〜したかった」という意味になるのかもしれない。そしてその時点(自分が若い頃)にはすでにそうしたいとは考えていないという暗示さえ見受けられそう。

но когда я стал стар, я увидал, что жизнь моя прошла, и я не знал ничего».
когда の主節が、я увидал, что жизнь моя прошла で、и は前節の結果を表す感じかと思う。(но когда я стал стар, я увидал, что жизнь моя прошла, )и я не знал ничего».と解釈すべきか。прошла が完了体で、знал が不完了体であることを鑑みてもこの二つが並列というのは文法的には考えにくいか。
「年を取ってみると、自分の人生は過ぎ去ってしまったことを悟り、私は何も知らない状態であった。」
ただし初見では、
「年を取ってみると、自分の人生は過ぎ去ってしまい、私は何も知らない状態であったことを悟った」のように訳したくなったので、なかなかに悩ましい。
знал が過去形なので、年を取った時という過去のある時点では知らなかったけど、今は知っているのか知らないのかは不明であることまでしか分からない。ただし、文章全体の言わんとするところは「すべてを知ることはできないし、年を取れば取るほどいかに自分が無知かを痛感する」ということだと思うので、現時点でも知らないと解釈するのが妥当だと思われる。

試訳
ペルシアの賢人曰く、「私は若い頃、学問をすべて修めることを自分の内に望んだ。そして、自分の知らない物事がもはや少ししか残ってない、というところまで来たが、年を取ってみると、自分の人生が過ぎ去ってしまったことを悟り、私は何も知らないままであった」

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