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笔耕不辍ーー死のうと思ったあの日、私はブログを開設した

1956字・この記事を読む所要時間:約5分 ※1分あたり400字で計算)

【笔耕不辍】

ピンイン:bǐ gēng bú chuò
意味: コツコツと文章を書き続けること。何があっても書くことを止めないこと。

『死のうと思ったあの日、私はブログを開設した』

 あの日。

 いつものように退勤し、私は駅のホームで帰りの電車を待っていた。


 頭が重かった。
 今すぐにでも涙が出そうで、意識も若干朦朧としていた。
 寂しくて、全世界に見放されたような気分で、そして何よりもこんな自分を受け入れられない自分がいた。

 (早くこの苦しみから抜け出したい……)

 何をしても面倒くさい。
 すぐに疲れる。
 自宅など他の人がいない場所では、とにかくひたすら声をあげて泣いていた。

 このような状態は、既に数ヶ月も続いていた。

 心療内科に通ったり、本を読んでリラックス法を学んだり、仕事の量を減らしてもらい定時に帰るようにするなど、様々な方法を試みたがそれでも根本的な解決は無かった。

 ストレスが解消されず、疲労に疲労がどんどん重なっていく。
 心も身体も、そろそろ限界を迎えていた。


 線路を眺める。
 頭を上げると、遠くから勢いよく電車が自分に向かって走ってくるのが見えた。

 (そうだ、このままーー)

 足が一歩前に進む。

 (ここで飛び降りたら、何もかも楽になるのではないかーー)


 次の瞬間、自分の身体が四方八方に引き裂かれ、赤い血があたり1面に染まる光景が脳内をよぎった。

 悲鳴をあげる人々。
 駆けつける処理業者、現場を覆うブルーシート。
 家族への元に送りつけられる、多額の請求書ーー

 足が止まる。
 「プァン」と汽笛を鳴らし、電車が目の前に止まった。


 その夜、冷静になった私は、あの瞬間自分は実に恐ろしいことをしようとしていたことに恐怖を覚えた。
 何度も拳を開いては握り、自分は確かにまだ生きていることを確かめ安堵の息をついた。

(こうしている間にも、この世界のどこかで誰かが自ら命を絶っている)

 きっと彼らも、あの瞬間の私と同じだったんだ。
「楽になりたい」思いのあまりの強さに理性が壊れ、あのような選択をーー

 「でも、私は……『生きる』ことを選んだ


 思えば希死念慮は今回が初めてではなかった。

 「希死念慮」というのは、その名の通り「死にたい」と願う気持ちのことで、身体のリズムや天気(私の場合、特に気圧)に左右されて和らいだり悪化したりする。
 酷い時は、ベランダに立てば飛び降りようと考え、包丁を持てば自分を刺そうかと思う始末で、そんな時は何をしてもおかしくないのでひたすら寝室にこもり布団を被って渦巻く闇を押さえつけている。

 ただ、どんなに苦しくても一定時間が経てば山場は過ぎていく。

 全快とまではいかないし、やはり多少「死」を考えるものの、それでも普通に日常生活が出来る時期はやってくるのだ。

 今振り返ってみると、私は上手い具合にこの「希死念慮のリズム」を利用して生き延びてきたのだと思う。


 コツは一つだけーーピーク時をひたすら耐え抜ければ良い。

 「大丈夫、波は過ぎる」と自分に言い聞かせたり、
 疲れ切るまで大声を上げて泣いて寝落ちしたり、
 頭を空っぽにしてぼんやり天井をずっと見つめていたり。

そうしていくうちにある時になって「まー、いっか」と頭が軽くなり、そこからまたなんだかんだ言って、次のピークが来るまでのしばらくの間、何とか生きていられるのだ。


 山場の乗り越え方さえ分かれば、人は生き延びられる。


 (……伝えないと)


「あと数日耐えれば何事もなくなる」希望があれば、迂闊に死ぬこともなくなる。


 (私と同じように苦しんでいる人に、伝えないと)

一日でも多く生きる、「生き方のコツ」を……!

 そしてあの夜、私はブログを開設し、エッセイの執筆を始めたのである。


 色々あって今はnoteに移行したが、書き続けて4年ぐらいになったのだろうか。

 その間、ブログを通して知り合った方々とオフ会をして交流したり、同じ「生き方」についてネット上で発信している方のイベントに参加したりして、私も随分と視野が広がった。

 色んな方と話して思ったのは、境遇というのは本当に人それぞれなのだと、一概に言えないのだと。
 だから「こうすれば良くなる!」、「あの方法を試すだけで全て解決出来る!」といった絶対的なアドバイスは存在しない。

 ただ、ちょっとしたヒントでも誰かの心に響き、「じゃあこうしてみよう」と自分なりの答えを導き出せる力になれるかもしれない。


「死にたい病」から抜け出すには、やはり本人自身の「生きる力」を刺激し、それを活性化させるほかないと私は思っている。


 私は専門家ではないし、私自身の体験や悟りもありとあらゆる事例の1つに過ぎない。

 それでも今もこうして文字を綴り続けているのは、参考程度のものであっても、それが誰かの「生きる力」の刺激になれたらと思っているからだ。


 死のうと思ったあの日、私はブログを開設した。

誰かの「もう1日生きていく力」になりたいと願って。

📚今日も1日、生き延びられたら100点満点!


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