見出し画像

高学歴コンプレックス

「◯◯大学出身なんだから、これくらい余裕だろ?」
「◯◯大様はやっぱ違うよな〜」

これらは会社の同期に言われた言葉だ。
もしかすると若干、記憶が歪められてるかもしれない。怒りのせいで。
でも実際、こういった「某大学出身なら、頭が良いんだろ?」という旨の言葉をかけられたことは、確実に何度かあった。

私は「そんなことはない」と、努めて穏やかに返し続けた。
「私はそんなに頭よくないよ」と。本心から、そう思っていたからだ。
なにしろ私は、他人の名前をろくに覚えられない。47都道府県も言えない。

そうすると、「じゃあ✕✕大学出身のオレは何なんだ?」と返されたりした。いわく「バカにしてんのか」と。偏差値が下だから、見下してるのかと。

なんでそうなる!?!?!?

私の頭がよくないと、君の頭がよくないことになるのか?
出身大学の偏差値だけが、君にとっては頭の良さの指標なのか?

「もし本当に学歴だけで頭の良し悪しを判断しているなら、確かに君はバカかもな!」
と言いたい気持ちでいっぱいだった。ああ、会社を辞める前に言えばよかった。喧嘩になっても言えばよかった。というか一発殴りたかった。

・・・

私は周囲のひとに「頭が良い」と言われて育ってきた。

「頭が良い」の定義はとりあえず置いておくとして、なぜそう言われていたかを自分なりに考えると、まず「学歴」が思い浮かぶ。

ここから、私は自分の学歴に関して書く。
これを「自慢だ」と受け取る人がもしいるなら、仕方がない。
そう思うならそう思ってくれても、構わない。

でも、私は自慢をするつもりで書くのではない。
できれば、最後まで読んでもらえると、たすかります。

私は、小学校は普通のところに通っていたが、周りの雰囲気に流されて中学受験をすることになり、無事に合格して、私立に通い始めた。
中高一貫性の、女子校の中ではそこそこ偏差値の高い学校だったと思う。はじめはのんびりと学校生活を送っていたが、父に「勉強しないなら学校やめろ」と言われ、危機感を覚えて真面目に授業に取り組みだした。
きっかけは何であれ、私は中学3年頃から「成績を伸ばす」ことを楽しむようになり、クラスで3位以内、学年で15位以内をキープするようになった。

やがて高校生の後半になると、大学受験が迫ってきた。祖父に「早稲田大学以上に受からなかったら殺す」と言われ、私は第一志望に某国立大学、第二志望に早稲田大学を据えて、他にもいくつかの理系大学を受けることにした。

結果的には、全部合格した。正直、全部受かるとは思っていなかったので、結構びっくりした。学費のことや家からの通学距離を考えて、第一志望の国立大学に通うことにした。大学は面白いところだった。私は大学院の進学のことを考えて、あわよくば推薦で楽したいと思い、真面目に講義を受けた。理解ができなくて投げた教科もあったが、最終的には学科内で上位25%に食い込む程度の成績にはなったようで、大学院には推薦で入ることができた。

大学院の勉強は、専門性が高い。卒業、もとい修了のために必要な講義はそんなに多くない。どちらかというと、論文を書く方が大事で、研究が第一だ。私はここでも、ひたすら真面目に研究をした。病気に見舞われたりもしたが、教授方のご厚意もあり、なんとか無事に修了した。

・・・

「某国立大学の大学院出身」という肩書きは、就職活動において、強い力を発揮した。「立派だね」「優秀なんだね」というふうに評価された。

私はそのたびにコンプレックスを感じた。何をもって優秀と言われているのかわからなかった。研究について受け答えしたあとで「面白い研究してたんだね」と言われるのは純粋に嬉しかったし、誇らしい気持ちになれたが、大学名を出しただけで「ほう」という顔をされるのは、とても居心地が悪かった。

祖父が「某大学に受かったお前は偉い」と言ってくるのも、とても嫌だった。ただ褒めてくれるだけなら嬉しいが、必ず「それに比べて、お前の従姉妹の通う◯◯大学は全然ダメだ」と、従姉妹を貶めるからだ
私は、その従姉妹を尊敬していた。彼女はひとつ年下なのだが、積極的に母親を手伝って家事全般をこなし、年上に対しても物怖じせず、礼儀正しかった。生活能力ゼロで親戚づきあいが大の苦手の私にとっては、彼女の方がよほど優秀に思えた。

有名大学出身のわりに、私には中身が伴っていない。そんな気がした。実際、私は何か目標をもってその大学を目指していたわけではなかった。父や祖父に見捨てられたくなくて、勉強をして、言われたとおりの大学に入っただけだ。

「全く何も身につかなかった」とは思ってはいない。学んだことはたくさんあると思う。素晴らしい先生方に恵まれて、様々な分野の知識を得られた。
「自分は何も努力しなかった」とも思っていない。勉強はもともと得意ではあったけれど、初めから何もかも理解できたわけではない。特に、人名を覚えるタイプの教科はひどく苦手だった。担任の先生の名前すらうろ覚えなのに、顔も知らない歴代将軍の名前を覚えるなんて、苦行でしかなかった。

中身が伴っていないとは言ったが、「空っぽです」とまで言うつもりはない。自分が興味と熱意を持って学んだ分だけの蓄えはある。それは自信がある。

しかし、「某大学出身なら、これくらいできるでしょう」と、出身大学の名前だけで勝手に自分の能力を見積もられるのは、すごく嫌だ。
大学名で判断してくる社会の風潮が嫌だ。有名じゃないだけでその大学をバカにする人間が嫌だ。そこで何を学んだかが重要なんじゃないのか、と思う。

そして、「(高)学歴がコンプレックスだ」と言うと、皮肉にとられることが悲しかった。君をバカにしてなんかいないのに、と思う。だって、私よりよっぽど君の方が優秀じゃないか。人付き合いができて、仕事をこなせて。君が私に引け目を感じることなんか、ないじゃないか。悲しい。生きづらい。

私に何ができて何ができないかは、私がこれからする行動を見て判断してほしい。私が優秀かどうかは、大学名じゃなくて私自身を見て考えてほしい。
そうすればきっと、私が本当に頭が良いかどうか、わかるだろう。

「某大学出身なら、頭が良いんだろ?」という人に、私はこう答えたい。

「それはあなた自身で判断してください」、と。

サポートしていただけると心身ともにうるおいます(主にご飯代にさせていただきます)。ここまで読んでくださってありがとうございました!