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帰る ということ

私が、帰ることが嫌いになったのは、絶望と親しくし始めたあたりからだと思う


子どもだったとき

友達と遊ぶのが楽しかった日は、学童の広場の駐車場で父を何時間か車で待たせてしまったことがよくあった

父のことは当然友達よりも大好きだったし、決して帰ることが嫌だったわけではなかった


夜になると真っ暗になる、山のふもとの森に入っていく、細い坂道をあがっていったところ。帰ると、あの家はいつもひそかに佇んでいた

天気のいい日は見上げると星粒が落ちてくるように思えるほど、広大で、美しい天の川が広がっていた

そういう日決まって私は、車から家の玄関までという短い距離を、父にねだって、だっこして運んでもらっていた。そのときの父の作業着からかおる、機械と父の匂いが大好きだった。肩から見上げる星空も

大好きな父がいたから、私は帰ることが怖くなかったのだ。いろんなことが当たり前だったから


母と父はいつの間にか離婚して、色んなことがあって、今は母と、母の再婚相手と暮らしている

再婚相手(これからはおじさんとする)がつくった、母との家の、ちいさな一部屋に「お邪魔させてもらっている」。

私は未だ、この部屋を抜け出せずにいる

あんなに大好きだった父は、どこかへいなくなってしまった
だから誰も助け出してなんてくれない



例えば旅行に行く前に、考える。
この部屋に帰ることを

何も無い町で、肩身の狭い気持ちで、またいつもの日常に帰ってこなくてはいけない
親なしでは生きられないように、逃げ出せないようにこの世はできているから

帰るということは、呪いのようなものだ


そうして旅行から帰ってきたあとでいつも、帰ってきてしまった、とも思う

そして、どうすれば早く、いち早くこの部屋を出られる?といつも思うけれど、実行できない。あとどれくらい?あと何回帰ってこなくてはいけない?もし、抜け出せたとして、その先でやっていける?

不安と惰性とが、いつも私の人生の足を引っ張って怖くなる

そのあとは、いつもきまって絶望が、やあといって玄関から訪ねてくる。夜な夜な私は彼と向き合わなくてはいけない。彼が帰ってくれるまで




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