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(思索の足跡⑤)意志、責任の帰属先

自分が応答するべきである何かに出会ったとき、人は責任感を感じ、応答する。<119頁>

本来、責任感を自ら感じ、自ら応答していく。
しかし、責任感を感じず、感じる間もなく、
  責任感を押し付けられ、いやいや反応させられたりする。

誰もが、このような体験をしたことがあるだろう。

よく、「責任感を感じていないのか」と言われる。
責任感を感じないことを、批判されもする。

しかし、責任感は人から押し付けられるものでは、決してない。
ただそれが、その人が応答するべきものでなかったのかもしれない。
その人にとって、自分ゴトになっていなかったのかもしれない。
この自分ゴトについては、後でふれる。

もっといえば、責任感を自ら感じるように、
  押しつける人たちは何をするのだろうか。
それこそ、無責任な押し付け以外の何物でもないのではないかと思う。

このように偉そうに書いてはいるが、
  これはかつての私に対する戒めを込めて書いている。
昔の私に諭したい気持ちでいっぱいだ。
ごめんなさい。


ではなぜ、責任感を押し付けるのだろうか。

その一つが、その人の帰属にある。
組織/ポジション/役割などに応じて、帰属先を決めつける。

本人の意志に関係なく、
  一般的/通常は/普通はというありきたりの言葉でもって、
    一方的に責任感を押し付ける。

そういえば、先日社内で帰属意識の話をしていた。
リモートワークで帰属意識が薄れていくという話で、
  私にも状況を聞かれた。

そもそも、私は昔から会社などの組織に対する帰属意識は皆無。
だから、「帰属意識が薄れることはないです」と伝えると、
  怪訝な顔をされた。

意志の概念を使っての責任論についても、納得する表現があった。
私がこの数年抱き続けた違和感の正体が、そこにあった。

意志の概念を使ってもたらされる責任というのは、じつは堕落した責任なのです。<119頁>
意志の概念を使って、その当人に責任を押しつける。そうやって押しつけられた責任だけを、僕らは責任と呼んでいるのです。<119頁>
意志の有無を確認するようにして人に負わせる責任というのは、どう考えても応答ではない。そういう責任の概念を、堕落した責任概念であるともお話しました。<390頁>


では、責任はどこに在る(帰属する)のだろうか。

ここまでの、私の思索の足跡を読んでもらえるとわかってもらえると思う。
それは、意志をもった人に、そして責任をもつと決めた人に在る。

ここで、意志と責任が同じレベルで捉えることになる。
ただし、この同じレベルとはイコールではない。
そのことについても、触れられている。

『中動態の世界』では、意志と責任を明確に区別すると共に、意志を批判的に論じ、責任を重要視しています。<404頁>


意志と責任というと、四角く、堅く思う。
今風の言葉でいえば、自分ゴトのことになるのではないだろうか。

近年のマネジメントにおいて、自分ゴトがキーワードになっている。
私の研究においても、
  新しいマネジメントやアカウンティングのキーワードとして、
    「自分ゴト」を挙げている。

本の最後に、マネジメントと中動態の関係について少し触れられている。

僕(國分)は中動態は組織作りを考えるうえでも重要だと思っています。能動/受動図式で考えると、組織づくりはうまくいかないはずなんです。なぜなら、基本誰かが誰かに命令するというかたちになってしまうから。<413頁>

このことは、私の周りの人も同じようなことを話している。
私もそのように思っていて、
  最新の研究文章(公開はせず、知人に送っているだけ)でも、
    次のように書いている。

誰かの意思が働かず(誰かに管理されず)に、自然と起こる・起きていく環境を整えること。

これが、新しいマネジメントの新しい役割の一つ。この考えに至った時、突然ある本を思い出した。その本は、『中動態の世界 ~意志と責任の考古学』(國分功一郎著)。

能動態か受動態かではなく、この本が示す中動態の世界観が、新しいマネジメントの世界観になると直観した。誰かの意思が働いているのではなく、自分の意志で行動する中動態の態度・姿勢こそが、マネジメントに求められると。その後に読んだ経営学を研究する野中郁次郎と哲学を研究する山口一郎の共著『直観の経営 ~「共感の哲学」で読み解く動態経営論』にも、似たエッセンスが示されていた。

ここにきて、あることに気づいた。

それは、意思と意志の違い。

今の文章において、意思とするか意志とするかで思い悩んだ。

意志には強さがあり、いきなり意志になることは難しい。
その前にまず、意思がまずたつだろうと思い、意思で統一した。
しかし、ここに辿り着き、意思から意志に変わる内容で、
  言葉を変えようと決めた。
これでまた、アップデートが必要になった。

「意思から意志になること」
これこそが自分ゴトの正体ではないだろうか。

後、この思索を通して、もう一度読み返そうと思っている本がある。

『民主主義のつくり方』(宇野重規著)
『プラグマティズム』(W.ジェイムズ著)

まさか、民主主義にまでつながるとは思わなかったが、読むのが楽しみだ。
買って読んでいない本が、読もうと置いている本が、積まれる一方だ。

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