見出し画像

2.5はブロードウェイを超えられるのか? 舞台芸術の歴史とその楽しみ方入門 1/3

🖋Pdf版もございます
▲3.者学上々▲4.問答上々▲5.新技 ▲6.王戯▲7.花集▲8.口伝

1.序

 エンターテイメントを人が面白く思うのは、それが日常の延長線上にないからです。人は、自分の日常から離れられません。例え日常が変化して日常の中身が変わっても、日常そのものは続きます。人は本当の意味で非日常を味わえないので、自分とは異なる日常を送っている他人の日常に興味多々です。
 他人の日常に触れて、それを好ましいと感じると、その人に近づきたい、その人と知り合いたい、その人と親しくなりたい、と思います。逆に、興味が惹かれない日常を送っている他人には、人と触れ合いたくない、他人に興味を抱けない、人と親しくなれない、といった人付き合いの悩みを発症してしまいます。触れ合う価値を感じる人がいない、興味を抱けるほどの人がいない、親しくなるのに相応しいと思える人がいない、という自分の関心に働き掛けない他人との悩みは、相手の日常か、或いは自分の好みが変わらないと解決されません。ですが、人は無意識に、他人の日常にセンサーを働かせて好ましい日常を見繕いながら、非日常にグルメになっています。好みに変化があったとしても、不味いものと美味しいものを選び間違えたりはしません。エンターテイメントは、好ましい非日常に自分の日常を忘れる体験ですから、世界中の殆どの人には好みのエンターテイメントを選んで楽しむ素養があります。もしも、エンターテイメントに形があったら、会えば必ず仲良くなりたくなる人の姿か、忘れられない一皿の料理のはずです。
 素晴らしいエンターテイメントとの出会いは、刺激と楽しさに満ちています。文章で綴られた物語は、異世界を語って聞かせてくれます。コマ割りで書かれた漫画は、目新しい世界を連れまわしてくれます。スクリーンに映し出される映画は、リアリティを届けてくれます。エンターテイメントを楽しんでいる間は、子供も大人も危機管理を忘れて夢中になれます。物語に書かれている何かが紙を突き破って本から飛び出して来る心配はありませんし、画面の中の世界に吸い込まれてしまう恐怖に備える必要もありません。心配と不安を一時忘れられるので、最近ではセラピー効果にも期待が高まっています。
 ですが、舞台は違います。劇場には舞台と客席を隔てる紙も、スクリーンも、ガラス板も、何もありません。もしかしたら舞台上から客席に何か飛んで来るかもしれない。もしかしたら我を忘れて座席から舞台上の物語に割って入ってしまうかもしれない。ありえないと分かっていても、想像できる‘もしも’を阻止する装置が見えないので、劇場の座席から舞台を観る体験は他のどのエンターテイメントとも違って緊張します。舞台は例えるなら、柵の無い展望台でしょうか。見晴らしのいい景色に夢中になりたい観客にとって安全バーは邪魔物ですが、無ければ無いで不安になります。少し大げさに言うと、舞台と客席は吊り橋効果で結びついて、数時間の間の命運を共にします。非常にエモーショナルな経験になるので、緊張を感じるよりも、本当に緊張したい人には舞台は最適のエンターテイメントです。特に、観客が緊張に煽られるのは、観る人に没入願望を抱かせる舞台です。評判の舞台には、人の好奇心を満たす好ましい非日常な見所があることに加えて、入り浸りたくなるほどに錯覚してしまう現実感(リアリティ)があります。

2.年来楽しみ上々

 舞台を知り始めたときは、難しい知識を付けずに見たいと思うがままに観て、感じるままに楽しむと舞台をとても好きになれます。舞台といえばシェイクスピア、ミュージカル、歌舞伎、等流行りの新作から伝統芸能までたくさんあります。ですが、お試し感覚で買うには劇場の座席チケットは高額ですから、まずは手頃な映像で舞台を観てみることをおすすめします。
 舞台を見た事のない方や、漠然と舞台に興味のある方には映画「ムーラン・ルージュ(バズ・ラーマン監督)」がおすすめです。衣装もセットも照明も舞台の手法が存分に取り入れられているまさに‘舞台’がテーマの映画なので、舞台の骨組みをストーリー仕立てで知ることができます。
 シェイクスピアに興味のある方にはバレエ「ロミオとジュリエット:1995 年パリ・オペラ座公演(ヌレエフ振付)」をおすすめします。シェイクスピア特有のとっつきやすい物語とシリアスなテーマ性が生む乾いた陰鬱を味わえる名演で、映画やミュージカルでロミオとジュリエットに馴染んでいる人にもオススメです。バレリーナの優雅な動きと規格外の手足の長さを目の当たりにして「世界にはこんな人間がいるのか」と感動したい人にもおすすめです。
 視覚的な満足を理由に、オペラに興味のある方には映画「ソフィア・コッポラの椿姫(ソフィア・コッポラ監督)」をおすすめします。19 世紀のパリの社交界の物語をヴァレンティノの衣装で味わえる、クチュールドレスが好きな方には眼福な舞台です。
 舞台音楽に興味のある方にはウィーン・ミュージカル「エリザベート:2005 年アンデア・ウィーン劇場」の音源をおすすめします。実在した人物の死生観を探る暗晦な音楽は名曲揃いで、特に本場ウィーンの音源は舞台の荘厳な雰囲気がのって重厚な物語がよく表されています。
 日本の伝統芸能に興味のある方には新作歌舞伎「月光露針路日本 風雲児たち(三谷幸喜作)」をおすすめします。江戸時代にロシアに漂流してしまった日本人が故郷に帰ろうと奮闘する物語で、古典歌舞伎と比べて台詞も現代調で分かりやすいですし、漫画原作とあって笑いもあり涙もありで歌舞伎に親しむのに打って付けです。
 漫画原作の舞台に興味のある方には宝塚歌劇「銀河英雄伝説@TAKARAZUKA:2012 年宙組」をおすすめします。漫画原作の舞台は得意な方と苦手な方で分かれますから、そうした相性を試すのに分かりやすいです。
 また、宝塚歌劇団に興味のある方には、三井住友 VISA カードミュージカル「ファントム:2004 年宝塚歌劇宙組」をオススメします。オペラ座の怪人伝説は映画や小説で有名ですが、舞台化には実は3種類あります。その内の一つを日本で初上演した宝塚歌劇団は、愛と夢をテーマに掲げる宝塚らしさで現実離れした愛と御伽噺のような世界観の舞台に仕上げました。陰鬱なイメージで知られている作品なだけに、そうでない部分から宝塚らしさを感じることができます。
 実際に劇場で生の舞台を観てみたい!と思い立って調べ始めると、九州の博多座、関西の梅田芸術劇場、御園座、北海道の札幌市民交流プラザ、といった全国の大型劇場や都内近郊の有名な劇場など、それぞれの劇場の個性や雰囲気を比較して悩まれるかもしれません。初めての体験に不安は付き物ですから、初観劇には少しでも通い慣れたアクセスのいい劇場を選ばれることをおすすめします。劇場の公式ホームページには上演スケジュールが載っているページが必ずありますから、近場の劇場の公演スケジュールを調べると、興味の惹かれる演目を見つけられるかもしれません。
 日本で現在上演されている舞台は、日本の舞台史を分類する3つの舞台の流れのいずれかの掛け合わせ、あるいは単体からなる舞台です。
 一つは、歌舞伎や文楽や能楽といった 14世紀以降に日本で生まれた伝統芸能です。歌舞伎は出雲阿国(いずものおくに)が 16 世紀に、文楽は竹本義太夫(たけもとぎだゆう)が 17 世紀に、能楽は観阿弥(かんあみ)が 14 世紀に創設しました。伝統芸能の凄さは、使い勝手のいい芸能として現代まで様々に取り入れられ続けている勝手の良さです。観阿弥も出雲阿国も竹本義太夫も、生きていた頃は同時代の芸能仲間に交じって芸能生活を送る役者でした。彼等は数多くいた売子芸人の内の一人でしたが、独自のアイデアで自分の舞台をアレンジする反骨精神を秘めたプロデューサーでもありましたので、革命的なアイデアで因習を廃止したモダン芸能を成立させました。先進的な感性が先取りした芸能が、現代まで未来的に思われて埃を被る暇もなく使われ続けているので、彼等の名前はレジェンドとして今でも多くの役者に知られています。
 特に「猿楽」と呼ばれていた能楽は、7世紀に中国から輸入された「技楽」を祖にするという説が有力で、起源を遡ると古代ローマからシルクロードを経て中国から日本に渡来したと考えられていますが、いわゆる‘舞台’で想像する四角い板の形は、伎楽によって日本に持ち込まれた説が有力で、日本の定番は実は海外からの輸入品だそうです。伝統芸能では、台詞の最適な声量や活舌の速度など、決められた節の通りに決まった抑揚で発声するように何百年と指導を引き継いでいまが、檜舞台の音の吸収速度や、観客席での声の聞こえ方などを調べ尽くした先人の探究心はトレンドに詳しくなりたい気持ちもあったのでしょう。代々芸の神髄を引き継いでいると聞くと重厚に感じられますが、iPhoneで美味しそうにご飯を撮る方法を仲間内で共有しているのと同じです。
 二つ目の流れは、20 世紀以降に西洋から輸入された演劇理論や戯曲やミュージカルといった西洋の演劇文化です。近年の舞台は、西洋の演劇文化に影響されずに上演できません。日本で生まれた芸能は親から子供へ継承されるのが一般的で、伝統芸能を家業にする家に生まれた人間でなければ部外者はコミュニティにすら容易に立ち入れません。昔の言葉で記された指導要領だけでは、生活習慣や体型が異なる現代人は伝統を正確に継承できないので、近年は若者が伝統芸能を修得する場に先輩が立ち会って指導する意義が増しています。先達から芸を学ぶ時間が芸を修得できる唯一のチャンスなので、伝統芸能では師匠を措いて従うべき人はいません。伝統芸能の継承は苗木の鉢替えに似ていて、移植に失敗すれば終わりですし、木を譲られた人間が世話に失敗して枯らしても終わりです。また、形を残せば良いというものでもなく、枯らさないための枝落としの手入れが欠かせません。苗木の世話に悩む継承者は、木を長年世話した先輩からの教えを軽視しないので、伝統芸能の世界は少数の人間が生息する閉ざされた世界であっても、人間関係の相性を超越する絶対的な上下関係が分かりやすいので、多少のトラブルにも揺るぎません。
 比較して、西洋の演劇文化は、理屈的な批評が飛び交う輪に加われば、ベテランであれ素人であれ、才能と熱意がある人を歓迎するオープンな風潮です。成功した舞台があれば皆で喜ぶといった感じで、先輩後輩も人間じみた関係性で結ばれています。日本に西洋の演劇文化が流入した頃に活躍した一代の脚本家や演出家や役者は、そういった西洋の演劇文化を教本にして、或いは地盤にして、或いは反面教師にして、独自の演劇観を築きました。日本で「劇界」と呼ばれる演劇業界は、西洋の演劇文化に影響を受けた嘗ての演劇人の矜持の精神が基になっています。今活躍している劇作家や演出家や役者が花を咲かせていられるのは、海外から仕入れた実がなる大木を植えて育て始めた人達のお陰です。
 そして、漫画やゲームといった2次元作品原作の舞台の流れです。原作のイメージと比較される舞台なだけに、既存の舞台とは異なる視点での評価や評判が飛び交う独自性があります。中でも「2.5 次元舞台」と呼ばれる 21 世紀の日本で生まれた新しい舞台ジャンルは、脚本(1 次元)の舞台化(3次元化)より縛りが多い、2次元の3次元化に挑戦しています。既存の舞台が衝突しなかった壁を乗り越えながら、時に革命的な舞台表現を生んでいる新興の舞台です。海外からは全く新しいエンターテイメントとして、逆に国内では海外から評判を受けている舞台として、国内外で評判を広げながら急成長しています。
 日本の演劇界は、異なる流れを汲む川が大きな海で一つになるように、それぞれ全く違う系譜の舞台が合流して一つの大きな市場になっています。一概に舞台の常識を知ろうとしても、系譜によって全く異なる見解があるので、有名な作品や新しく話題の作品など、色々な舞台を観るとよく知れます。その時に、あまり演者に拘って観ると後で舞台に狭量になってしまって、楽しめる舞台の幅が狭まってしまうので、評判の演者に拘らず色々な人の演技を楽しむと、舞台鑑賞が長く楽しめる趣味になります。観賞する作品が増えると、自分の好みや見解も増えます。自分の感想を後々まで変わらない意見と思わずに、時価と思ってその時々の自分の考えにフランクでいると、舞台との思い出が彩りに溢れた人生の宝物になります。ある時から舞台が鮮明に分かり始めると、自分の中で舞台の枠組みができて、あの舞台はここ、この舞台はここ、といったように似通った舞台も全く違う舞台も比較できるようになります。その時に、舞台を分かるように振り分けるよりも、もっと精巧にもっと精密に舞台を分かろうと細部に目を行き届かせると、多くに気づけて更に分かるようになります。大方のことが分かって、それでも舞台に飽きてしまうことがあれば、あそこはこうだ、あれはそうだ、と部分が気になってしまうのかもしれません。上演時間内にエンディングにたどり着かなければならない舞台の緊張に思いを馳せると、初めて舞台を知った時のような気楽さで、舞台をサッと奥深く楽しめる時間が増えます。よく知った舞台も、全く知らない舞台も、同じ位に面白いと感じるのに舞台通である必要はありません。舞台を選ばずに楽しめるほど舞台が好きであれば、誰もが認める真の舞台好きです。舞台への思いも自然と言葉になって、なぜ自分は舞台が好きなのか、どんな舞台が好きなのか、色々な人と感情をシェアできます。

「2.5はブロードウェイを超えられるのか? 舞台芸術の歴史とその楽しみ方入門 2/3」へ続く

©2023 陣野薫


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?