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人生って難しすぎないですか?

人生というものは難しい。 散々みんなが難しいと言っているこの代物、そりゃあ簡単なわけない事くらいわかっているのだが、それにしたって難しい。 こんな私でも時々誤って、人生が楽しくなってしまう時がある。人生が、というか、うーん、その瞬間が。自分が今のめり込んでいる事が。 誰かといる事が。仕事が。 それを叩きのめされるのが人生なのだ。 友達が本当は私のことを好きじゃなかったり。 仕事で密かに大迷惑をかけていたり。 一人で勝手に楽しくなって、調子に乗っていた自分がたまらなく恥

    • 滅亡

      時々世界が滅亡する夢を見る。 夢の中の人間たちはきまって滅亡を受け入れており、よくあるパニック映画みたいに泣き叫んでいる人なんていない。 空は見たことがない天気。曇りに近いけど、全体的に薄く鉛色をベタ塗りした感じで、ぺらっとした絵みたいな印象の空。空に奥行きはない。全体的な空気感は秋の夕暮れの静かでのんびりした感じ。 ある時は小部屋に通され、ある時は何故か屋根の上にいて、その時々でシチュエーションは違うけれど、この生ぬるい雰囲気は変わらない。 面白いのが毎回意外な人が

      • 勝手にふるえてろ

        史上最強に共感できる主人公。勝手にふるえてろの主人公は、私にとって“まさに自分!”と呼べる人である。 今作が物語として面白いかと問われたら、正直よくわからない。自分にあまりにも似ているという共感性のみでこの物語を愛している私にとって、客観的にこの話を評価することは不可能だ。(そしてこの、共感性ゆえにものすごく愛してしまうという感情は、この作品のテーマと直結している) 現に、この作品の主人公ヨシカと似ても似つかない性格をしている友達にこの作品を勧めた時、彼女は苦い顔をして言

        • +11

          短歌いろいろ

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          言葉というもの

          私は幼少期から言葉というものの不思議について考えてきた。 親によると、私は言葉の遅い子だったらしい。私が言葉を喋り出す前になくなった祖父は、この子はまともに話せるようになるのかと心配したまま逝ったという。その頃私は3歳だったはずだから、その歳まで碌に喋りもしない我が子を心配しない両親の方がどうかしている。 しかし、私には当時の記憶がわりとはっきりと残っている。人間は幼少期の記憶を後から作り上げて、いかにも真実のように思い込んでしまうものだという説もあるが、私の記憶は親や兄

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          SexyZoneへ。マリウス葉くんへ。

          マリウス葉くんが、大好きなSexyZoneを卒業した。 きっと復帰してくれるとも思っていたし、復帰はしてくれないかもな、とも思っていた。多分私以外のセクラバもそうだったんじゃないだろうか。 正直なことを言ってしまうと、とても寂しい。 私はアイドルの関係性ってものがすごく好きで、推しはいてもグループみんなの絡み合う関係を見ていたいタイプのオタクだから(私に限った話ではないと思うけど)より、寂しかった。 それに、自担をはじめとする他メンバーのメンタルも心配だった。みんな、5人5

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          子どもの頃のこと

          子どもの頃は楽しかったなんて安易に言ってしまいがちだけど、私は子どもの頃の方が今より圧倒的に辛かった。 私が一番初めにぶち当たった壁は『死』だった。何がきっかけか覚えていないが、4歳頃死ぬということの意味を初めてきちんと知り、どうしようもない恐怖に襲われた。 どうやら死というものは誰しもに平等に、絶対にやってくるものであり、しかもいつ死ぬかわからないという話らしい。 これはとんでもないことである。なにやら自分が自分であるという意識がなくなるようであるし、死ぬものの周りの

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          ドッジボール嫌い

          私はドッジボールが嫌いな子どもだった。 少し苦手などと言ったレベルではなく、本気の“嫌い”だ。どこに出しても恥ずかしくないドッジボール嫌い日本代表である。 あの野蛮なスポーツは、小学生の頃何故かクラスで大人気だった。サッカーやバスケと言った必須項目でもないにもかかわらず(必須項目だとしたら無知で申し訳ない)全員共通でルールを理解しているという恐ろしい普及率のこの魔のゲームは、予告なく行われることが多い。 体育の授業が半端な時間で終わった際、ドッジボールで時間を埋めること

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          ももちゃん

          小学生の時、ももちゃんという子がいた。ももちゃんはみんなからいたく嫌われていて、『ももちゃん』といえば嫌われ者、ほとんど“嫌われ者”がキャッチフレーズになっているような女の子だった。 とは言っても、みんな理由もなくももちゃんにあれこれ言っていじめていた訳ではない。むしろその逆だ。ももちゃんは驚くほど底意地の悪い子だった。 1年生の時から、ももちゃんの悪い噂は学校に少しずつ広まっていたらしい。 呑気な私はそんなことは知らず、2年生で同じクラスになったももちゃんとお友達にな

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          続!ブスと地獄の歯列矯正

          歯列矯正がスタートして、二年半が過ぎた。 痛いと噂に聞いてはいたが、予想以上の痛さと不便さに苦しまされる日々だ。 特にこの、『不便さ』と言うのがなかなか厄介なのである。こればかりは歯列矯正経験者にしかわからないと思うが、食べ物が詰まるのだ。汚い話で申し訳ないが、とにかく詰まる。これでもかと言うほど詰まる。浜辺美波あたりの細身の女性であったら、歯に詰まった分だけで腹がいっぱいになりそうだ。 そのため食後は歯磨きが必須なのであるが、他人と食事している際はこの歯磨きタイムに苦

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          記憶

          私は小さな頃から、忘れることがとても怖かった。 物忘れとかそういうものではなくて、今確かに考えていることや行なったことがポロポロと記憶からこぼれ落ちてしまうことに恐怖を感じていた。 その証拠に子どもの頃の日記を見返すと、なかなかに面白いことが書いてある。 『今私はリビングのテーブルの上で、こんなものを下敷きにして、こんなペンを使って何時にこれを書いている』というところまで記してあるのだ。 頭が弱くて書くべきことと書かなくていいことの取捨選択ができなかったのではなくて、私

          国語の先生

          高校のとき、ものすごーく変わった先生がいた。 私の通っていた高校はちょっと特殊で、自分の興味のある科目を多く履修できる大学みたいなシステムだった。 ひとくちに国語科目と言っても現代文や国語総合のほかに近代文学やら児童文学やらもりだくさんで、私はその全部を履修していた。 そのため一日のうち半分くらいは国語のお 勉強ができたというわけだ。 件の先生は国語科目全般を受け持っていて、顔を合わせない日は無かった。 ダジャレ好きのおじいちゃん先生で、生徒の名前を文字ってつまらない洒

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          短編小説

          私はその人を常に先生と呼んでいた。 記憶は不確かだが、そんな書き出しの小説があった気がする。 僕も、その人のことを先生と呼んでいた。 先生は生徒みんなから好かれていて、親しみを込めて下の名前に君づけで呼ばれることが多かった。いつもなら教師のことをふざけた名前で呼ぶことのない目立たない生徒も、何故だか同じように呼ぶのだった。 あの広い学校の中で先生のことを先生と呼んでいたのは、僕だけだ。 みんなが先生のことを愛くるしい生き物だと半分馬鹿にしながら親しみを持っていたのに対し

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          オタク

          言うまでもないが、私はオタクだ。 なんのオタクかと問われれば、アイドルオタクやら百人一首オタクやら、俳優オタクやらと答えるのだが、実際のところ私は何かのオタクというより『オタク気質』なのだと思う。 遡って考えると5歳の時点でノートに物語を書いていた記憶があるし、セーラームーンごっこに子どもらしからぬ謎の熱意を捧げて遊んでいた記憶もある。 私が思うに、オタクは先天性のものだ。 オタクという生き物は、産まれた時点で既にオタクなのである。 身の回りの人間を見ていても、『ファ

          拝啓 清少納言様

          私は清少納言が好きだ。 おそらく大抵の人は、清少納言に好きも嫌いもないと思う。それもそうだろう、授業で扱うのはせいぜい春はあけぼの〜のくだりで、彼女の内面の熱さ・繊細さ・ギャグセンスには触れられることがないからだ。 はじめに言っておくが、彼女はなかなかのキレキレオタクだ。紫式部が私のような陰湿なオタクだとすれば、清少納言はバリキャリで宝塚に足繁く通う高飛車オタクと言ったところか。現代でも強気なオタクの話は面白い。 私は専門的に古典を学んだわけではなく、独学で趣味程度に嗜んだ

          拝啓 清少納言様

          ラブホ女子会

          そんな予感はしていたが、年単位でブログの更新をサボってしまった。 別に誰も更新を待っていないから良いのだが、自分の継続力のなさには呆れ返る。 しかも、読み返すといかにもオタクらしい痛々しい文章で、咽び泣きそうになってしまった。それなのにまた同じような文体で更新しようと言うのだから、もはや黒歴史を作るのが性癖の変態だとしか思えない。 しばらく更新しない間に、友達ができた。 Twitterで知り合ったオタクの友達2人である。 私は小さい頃から古典オタク、アニメオタク、アイドル

          ラブホ女子会