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原稿用紙5枚の掌編小説       「雪の日の誕生日」

父から誕生日のプレゼントとして野球のグローブを贈られた日のことは、今でも鮮明に覚えています。子供用の玩具のようなグローブでした。その日は季節外れの雪の降る、寒い日でした。


 私は仰向けになり、四角い箱の中から空を眺めている。青い空を背景にして、白い雲が様々な形で浮かんでいる。カラカラという音ともに、小刻みな振動が私の体に伝わってくる。私が横たわった箱はゆっくりと移動しているようで、四角く見える空の雲がその位置を少しずつ変えていくのが見える。  

 そこへ不意にひとつの顔が現われ、私を見下ろす。日に焼けた少女の顔が笑いながら私を見つめている。私はなんだか嬉しくなって手足をじたばたさせている。

 それが私の最初の記憶だ。おそらく私は祖母の押す乳母車に乗せられていたのだろう。私を覗き込んだ少女は隣の家に住むふたつ年上のミーちゃんに違いない。物心ついてからミーちゃんは私の最初の幼馴染となり、姉のような存在だった。

 私たちは日頃から常に一緒だった。一緒に遊び一緒に食べ、小学校に通うようになってからは必ず一緒に登校した。いつかしらそこにミーちゃんの同級生が加わり、私の遊び仲間は女の子ばかりとなった。そのことに私はなんの違和感も感じなかった。むしろ活発に動き回る男の子たちは、乱暴で、がさつで、馴染めなかった。穏やかで優しい女の子たちといることが私には心地よく、楽しかった。

 それがいつの頃からだろう、私は女の子たちとの付き合いに物足りなさを感じるようになった。私の中の何かが、もっと刺激的で躍動的なものを求めているようだった。

 それは私の九歳の誕生日のことだ。四月の半ばだというのに昼前から季節外れの雪が降った。天気予報ではこの地方に降る雪としては、観測史上最も遅い雪だといっていた。その日は私の家に女の子たちが集まり、誕生日会を開くことになっていた。

 放課後の雪が薄く積もった校庭では、野球遊びに興じる男の子たちの歓声が響いていた。その横を、私はいつものようにミーちゃんとその同級生たちと連れ立って、下校の途につこうとしていた。私は足を止め、白球を追って走り回る男の子たちの姿に見入った。そのとき私はこのあとに予定している誕生日会よりも、男の子たちの仲間に加わり、一緒に野球をしたいと感じている自分に気づいた。

「おまえもまざれよ。一緒に野球やろうぜ」

 不意に男の子のひとりから声がかかった。すると別の男の子が嘲るような口調でいった。

「だめだよ、そいつは女としか遊ばないんだから」

 それを合図に男の子たちから一斉に囃し立てる声が上がった。

「女の仲間に男がひとり、女の仲間に男がひとり」

 私は恥ずかしさに耐え切れなくなり、女の子たちを置き去りにして走り出した。校庭を駆け抜け校門を出たところで息を切らし立ち止まると、ミーちゃんが追いかけてきた。

 ミーちゃんが何かいいかけた。私はそれを遮るようにいった。

「今日の誕生日会はやらない。僕はもうミーちゃんたちとは遊ばないよ」

 私の噛みつくようなそのいい方に、ミーちゃんは一瞬戸惑ったような表情を見せたが、やがてその顔に笑みを浮かべ、静かな口調でいった。

「分かった。それじゃあ明日から迎えにいかないからね。ひとりで学校へ行くんだよ。誕生日おめでとう」

 二階の窓から見下ろせる畑の雪は半ば解けかかり、ところどころに黒い土が見えている。その向こうを横切る道に巡回バスが止まり、父が降りてくるのが見えた。父はいつもこの時間のバスで帰ってくる。家の前に続く道を歩いて来ながら、父は窓辺に立った私に気づき、大きく手を振った。その手に何かを持っている。それが何なのかは分からなかったが、声が届きそうな距離に父が近づいたとき、それが分かった。野球のグローブだった。

 父から誕生日プレゼントとして渡されたグローブを、私はその晩枕元に置いて寝た。明日から同級生たちの仲間に加わり、白球を追いかけるのだ。そのことを想像すると、興奮してなかなか寝付けなかった。野球のルールは父とテレビでプロ野球中継を観ているうちに、自然と覚えていた。

 私は枕元のグローブの匂いを嗅いでみた。野生の匂いがした。私は今日から生まれ変わったのだと思った。男の子から少年になったのだ。そのふたつの言葉に、どんな違いがあるのか上手くいえないが、少年になった自分は、これからは自分の足で立ち、歩いていかなければならないのだと思った。そして今日の雪は、きっと神様からの誕生日プレゼントだったに違いない。そう思えるほど私の心は高揚していた。

 昼間のミーちゃんの笑顔が目に浮かんだ。私は鼻の奥がツーンとなるのを感じなら、いつしか眠りに落ちていった。

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