ヨガでひと息
先日用事があって地元公民館へ寄ったときの事、ふと目に入った一枚の張り紙。
~男性のための~ との念押しが少しだけ可笑しい。「メンズヨガ」には若干ビューティな響きもあるがそれは良いとして。
僕らは毎日その瞬間瞬間、目の前のものをすべて見ているのにほとんどのものは見えていないという。見たいと思うものだけが目に入っている。
この日なぜかいつもなら絶対に見過ごすはずの ≪ 男性のためのメンズヨガ教室 ≫ は見えてしまった。
軽い気持ちで持ち帰った応募要項を見たヨメ様が「行った方がいいと思う。」もう行くっきゃない。
公民館の事務所に申し込みに行くと、本来参加が決定した人へ郵送されるはずのハガキをその場で手渡される。もう行くっきゃない。
19:00に公民館の会議室へ。こんな時間に運動をするために特定の場所へ集まるなんて初めての経験。
思い返せばここ10年以上、何をするにも「仕事に対して何かしらが返ってくるか」ばかりが頭にあった。茶道以外での習い事など初めてだ。
集まったメンズは高齢者中心。少し安心する。僕より若いとおぼしき人も数名。お孫さん連れの男性もいて和む。
時間になり公民館の方のあいさつでスタート。この公民館は建て替えられこの春オープンしたばかり。空調設備も最新のもので窓開け換気の必要は無いとのこと。講座は無料なのに真新しい設備で過ごせるとは何てラッキーなことだ。
身体を動かす前に先生からヨガについての基本的な知識を教わる…が、ほとんどの話は忘れてしまった。スコトーマの原理が耳にも来てる。「聞こえているほとんどのことは聞いていない」のだ(笑)
ただこんな感じの話があったと思う。
「とりわけ男性は自己犠牲を美徳としがちなので、自分をいたわることを怠りがち。ヨガで身体を動かしほぐしながら身体の声を聞きましょう。」
わかる。わかる。
簡単な首周りの動きからスタート。
首を回す程度のことだけど、呼吸を意識しながらってのが意外に難しい。動きに集中しすぎると息が止まる。逆もしかり。
なんたって食べてきたカレーのげっぷが出そうになるのを堪えるのにも意識をとられる。何でまた直前にそんなもの食べちゃったんだと後悔。
周りはご高齢男性が多いので皆さん「アタタタタ!」と苦悶の表情。
全然スマートじゃない状況、すごく…落ち着く(笑)
男はつい「限界まで」いってしまおうとする。でも伸ばせる限界までいったり、完璧なポーズをとることなんかは取り急ぎ全然大事じゃないらしい。
「ここまで伸ばせたな」とか「この部分は痛いな、張ってる・むくみがあるな」とかいう身体の今の状態を感じることが重要なのだとのこと。
時間が進むにつれて、動きと呼吸にのみ意識が集中していく。今日あった失敗や先の不安などが頭から飛び、心が少し穏やかになっている。
最後は仰向けになり瞑想。部屋の電気が消され、真っ暗な中流れる穏やかなアジア系のBGMだけに意識が集中する。さりげなくアロマをスプレーされたようでふんわりといい香りが漂う。
「瞑想で無心になるのは難しい。心に思い浮かべることは大丈夫なので、“ビールが飲みたい”という気持ちは“ああ、ビールが飲みたいんだなぁ”と深く考えず思うだけでとどめてください。」と先生。
その通りにしていると、なんだかざわついていた心がだんだんと静けさを帯びてくる。
1時間はあっという間だったけれどとても良い時間だった。
ヨガの帰り、静まった心はお酒ではなくちょっと上質のお茶なんかを要求している気がした。次は用意しておこう。
次回も楽しみだ。
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