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アイスクリーム帝国の大予言(古賀コン4応募作品)

「記憶にございません」と証人喚問で小佐野賢治が言いまくったロッキード事件の全貌も、『諸世紀』の四行詩になら全て記録されているかもしれない。
 人々がノストラダムスという十六世紀フランスの予言者にそこまで全幅の信頼を置いていたのが、昭和という時代だった。
 何しろナポレオンや第二次世界大戦はおろか、環境破壊にローマ法王暗殺、さらには昨今のスポーツカーの爆発的な流行まで予言していたというのだからスゴい。詩に記された「カルマニア」という言葉はイラン近郊の古い呼び名ではなく「カーマニア」を指していたというのだ。
 そんな調子で、自称ノストラダムス研究者が雨後の筍のように現われて、日仏辞典を片手に『諸世紀』(これ自体が誤訳なのだが)から新たなる予言の一致を発見しまくり、変ちくりんなノストラダムス関連本が山となって書店に積まれ、それを人々は我も我もと買い漁った。何故なら、一九九九年の七月はすぐそこまで差し迫っていたからだ。
 一九九九年七の月、恐怖の大王が空より来るだろう。アンゴルモアの大王を蘇らせ、その前後にマルスは幸福のうちに統治する。
 この奇妙で恐ろしい詩について様々な解釈が出された。アンゴルモアとはモンゴリアンのアナグラムであるとか、人工衛星カッシーニだとか……。
 しかしそのどれもが間違っているのを私は知っている。
 それはもちろん何も起こらなかったんだから予言は外れたってことでしょ、とかそういうことではない。そもそも、ノストラダムスは何ひとつ予言などしていないのだ。
 そのうえで、アンゴルモアの正体について、私は確信を持って断言出来る。
 アンゴルモアの正体は……あんころ餅なのだ。

 この事実に気がつくことが出来たのは、私が語彙味覚共感覚(Lexical-gustatory Synesthesia)の持ち主だからだ。
 色を見ると音を感じたり、音から色を感じる人がいるように、言葉に味を感じる人々というのが存在して、そのうちの一人が私だ。
 そしてノストラダムスもそのうちの一人であると私は確信している。何故なら、彼が書いた四行詩はどれも甘いからだ。
 戦争、疫病、飢餓、災害……ノストラダムスの詩はどれも暗いワードが散りばめられているのに、読んでみるとネットリと甘くて、奥に柑橘系の香りすら漂ってくる。
 これはおそらく、ノストラダムスが医師や予言者の他に、菓子作りも生業にしていたのが関係するだろう。実は彼の書いたレシピ本というのが現在まで残されており、ノストラダムスの故郷プロヴァンスでは、彼が製作したフリュイ・コンフィという果物のシロップ漬けが現在も土産物として売られている。
 人々が予言詩だと思っている四行詩は、実は共感覚の持ち主に向けたレシピ本だったのだ。
 そして問題のアンゴルモアが出てくる第十巻七十二番は、まさにあんころ餅の味にドンピシャなのだ。
 しかし、ここで疑問が残る。ノストラダムスはどうやってあんころ餅の味を知ったのだろう?

 あんころ餅は、名前の通り餅をあんころで包んだものだ。夏の土用に食べる風習があることから土用餅とも呼ばれている。
 江戸時代には既にレシピが確立されていたそうだが、ノストラダムスが生きた十六世紀中葉にあんころ餅があったかどうかは資料も少なく定かではない。いや、仮に戦乱期の日本であんころ餅があったとしても、それがどうやって南フランスにまで伝わるのか。あんころ餅の賞味期限は、生では3日ぐらいが限度だと相場が決まっている。カトリックの宣教師が日本から持ち帰ったとしても、長い船旅のうちに腐ってしまうだろう。
 つまりノストラダムスは南フランスに居ながらにして、あんころ餅の正確な味と香りを記述したことになる。
 これは単なる予言者の能力を超えた、恐ろしい力ではないか!
 実は……他にもノストラダムスの詩を読んでみると、よく知った甘味が口の中に広がるのだ。
 第二巻四十五番、天はアンドロギュノスが生まれたことに大いに涙する詩はローソンのプレミアムロールケーキ味。
 第六巻七十番、偉大なシーランが世界の首領になる詩は福井銘菓の酒まんじゅう味。
第一巻三十五番、若い獅子が老人に打ち勝つ詩はミスタードーナツのタピオカもちもち黒糖味。
 そんな感じで、彼の詩には日本で食べられるほぼ全ての甘味が網羅されているのだ。しかもフランスのレストランパティシエが作るようなものではなく、日本の庶民が口にするようなものばかり。
 そしておそらくは……時たま現れる見知らぬ甘味は、未来において日本で製作されるものなのだろう。
 なんということだ。私はノストラダムスの予言詩を解読したことで、もう新たなスイーツに出会う喜びを失ってしまったのだった……。

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