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アルフレド・ジャー展 独自の視点から

 まず、最初に難しいことを求めてる方へ向けのnoteではないことをご理解してください、難しくこの展覧会を語ることが私が近年展覧会というものを見に行かなくなった理由で、芸術とはいいものは、いい、もっとシンプルで簡単でいいのだということ。

 この展覧会について難しく自分語りしてる人を見てアルフレド・ジャーを利用して自分の美術知識量や考察に酔うなと思う人がいた、この展覧会は難しく考えなくても人の心を掴むものだと私は感じた。

 コロナな前から、日本で興味をそそられる展覧会が少なくなった気がする、美術館、ギャラリー含めて面白いと思う作家や、またこの人やるの?みたいなのが増えて、作家自体過去からアップデートされてない人がほとんど、個人的に日本は迷走の時代に入ったのか、私が大人になったのか?
いやそんなことはない、昔は心を掴まれる展覧会が多かった図録もよく買った。日本がアップデート出来てないだけだろと思った。

 私は、以前から広島現代美術館の力の入れ具合を注目していた、4月頃からこの「アルフレッド・ジャー展」がどうしても見たい注目の展覧会の1つだった。
 この質感の芸術家が今の日本で見れるのってなかなかないと思ったからだ。

 彼の作品のコンセプトなど全く頭に入れず、お洒落な展示だけで見に行きたいと思った、アルフレッド・ジャーのお洒落な展示は好きな人には視覚的に惹きつける効果があるがそのお洒落でスタイリッシュに隠れた重いテーマがギャップとして個人的には上手いと感じた。
 それとは逆に展示写真のお洒落さだけで、判断して見に行くのを辞める人もいるほど写真からは想像も出来ないくらい重くて怖い世界がそこには広がっているので、表層的な部分で見に行くのを辞める人こそ見てほしい作家だ。

 私が彼の作品を初めて見て、初めて知った衝撃は学生の頃ボルタンスキーの作品をはじめて見た時と同じぐらいの衝撃があった。
 アルフレド・ジャーは時代に上手く乗れた令和版ボルタンスキーだと思う。

 彼が20年前ならまだ時代には合わなくて、ボルタンスキーのように作品がわかりやすく、自己に向いてるエネルギーの方が評価されると思うが、今は外から自己を見るアルフレド・ジャーの時代、そして視覚的お洒落さ、デザイン性、シンプルな作品にコンセプトが見事広島という土地と広島現代美術館の立地や建築とマッチしていて相乗効果がすごかった。

 久しぶりに、本当に心から久しぶりに良い展覧会に出会って。
鑑賞後、宮島観光するつもりが前日まともに寝てないこともありエネルギーを全て吸われて体力無くしてしいまい観光できなくなってしまった。本当に体力が欲しい。

 常にアップデートしてるすごい作家はまだまだ世界中に沢山いて、最近では石内都さんの新作展示も相変わらずロックで探せばいくらでも優秀な人は存在してる。

 私はどんな分野でも過去の栄光からアップデートしてない人は使い続ける必要はない、それがレベルの低さを作ってる。まず何事も新しい才能の発掘と常にアップデートしてる作家への支援が大切だと思う。

 やっぱり、アルフレド・ジャーの展示を見たら心がものすごく動く、この瞬間をつくれる作家そして美術館がもっと増えたら良いと切実に思えた。

 日本人の文化レベルの低下は芸能界やエンタメだけではなく、やっぱり芸術も外国に圧倒的に負けてる気がする。

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