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私たちは何を信じているのか

こんばんは、よりです。毎日投稿が途絶えてしまって悔しい気持ちでしたが、思ったことを書いていこうと思います。

今回の話については、今日ふと思ったことでもなくて割とずっとぽやぽやと頭の中で思っていたことになります。

私たちの信仰対象ってなに?

ということです。世界では、キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教など多くの宗教がポピュラーになっています。

私は高校時代に仏教を信仰している学校に通っていました。授業では木魚を叩いてお経を唱えたり仏教関連の行事が毎回あったりして、仏教について触れる機会が多かった3年間のように感じます。

ですが、私はその3年間で仏教を信仰しようとする気にはなりませんでした。

日本人は何を信じているのか

これは海外の方が特定の信仰対象がない日本人に思っていることです。

何かの教徒であることが当たり前の世界では、日本の状況は異様であるようです。

困った時の神頼み

よく席替えとかお腹が痛くなったときとかに「神様、お願いします!」と思うことはあると思います。その神様ってどなたなのでしょうか。

きっと、神道としての神様なのかなと思います。思えば、私の家にも神棚があり、近所の神社で購入した破魔矢などが供えられています。

私もよく神様にお願いすることがありますが、つくづく都合がいいなと反省しています。

結局自分を信じているのか

信仰対象がない私たちは常日頃何を頼りに生きているのでしょうか。死の恐怖は何を理由にして克服しようとしているのでしょうか。

私はそれを「自分」なのではないかなと思っています。

ある種の諦めともとれるかもしれません。自分の運命を受け入れているともいうのか。

死に直面した時には何にも縋らずにその瞬間を待ち、受け入れる。

そういうところから自分を信じているのかもしれないと考えるようになりました。

最後に、私は

信じるということは大事だったりする 

と、思います。ほんの少し宗教とか信仰とかのデリケートな話題に触れているため曖昧にしています。

ですが、対象は何であれ信じるという行為は人生においてとても重要な役割を果たしているのではないかと思うのです。

何かを信じることによって1歩踏み出す勇気を持つことができる。

そういう経験は私自身とても多いです。

その何かは今までの経験であったり、根拠のない自分への期待であったり。

自分を信じる、と言っても容姿、性格、経験などたくさんの要素が含まれています。

自分なりに納得のいく心の寄りどころを見つけられれば少しは生きやすくなるのかななんて思いながら私も信仰対象を見つけようと思います。


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