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【映画感想】127時間

遭難した実在の登山家が、生還するまでの127時間を描いた映画。 

さすがダニー・ボイル! と感じるほど躍動感あふれる演出。 

その演出のおかげで極限状態にありながら、画面には生きる喜びや活力が溢れており、 理屈ではないエネルギーが観る側にも伝わってくる。 

そして、それは純粋な感動を引き起こす。 

主演のジェームズ・フランコも良く、時には力強く、時には繊細に生きることへの渇望を表現していた。 

■描かれる、生きる喜び 

この映画の最大の特徴は、画面からほとばしる生のエネルギーだ。 

生きることの素晴らしさを理屈で説明するのではなく、映像や音楽を通して、感覚的に伝えている。 

そこに理屈は必要ない。 

むしろ理屈があると、生きる喜びは半減してしまうだろう。 

主人公の持つ特定のエピソード等で、生の素晴らしさに理由付けがされてしまうと、 同じような経験を持つ観客にしか共感を得られない。

仮に 共感を得られたにしても、感動の向かう先が生そのものへの感慨ではなく、そのエピソード自体へと変わってしまう。 

純粋な生に対する喜び、渇望ではなくなってしまうのだ。 

その意味で、ボイルの演出は、この題材にピッタリはまっていると言えるだろう。 

しかし、主人公の背景が全くないわけではない。 

ボイルは持ち前の躍動感あふれる演出――躍動感あふれる映像と音楽の連動――で、主人公の過去への郷愁と未来への希望を完璧に表現した。 

映し出される映像は、劇的な物語を持っているわけではなく、 思い出や希望の一端が、フラッシュバックのように浮かび、入れ替わっていく。 

まるで主人公自身の心に浮かぶ映像を、そのまま映しているような撮り方だ。 

だからこそ、観る側も主人公に寄り添い、感動を、渇望を共有できる。 

物語という理屈が与えられていないからこそ、感覚的に主人公の内面に近づくことができるのである。 

また、過去や未来ではない、岩に腕を挟まれているというその状況の映し方にも、特筆すべき点がある。 

生きるか死ぬかという瀬戸際にあっても、自然の偉大さ、美しさを描くことを忘れていないのだ。 

渓谷の偉大さ、広がる大空、とりわけ、夜明けに渓谷へ日光が伸びてくる描写は最高に美しかった。 

極限状態であっても、それに感動できる主人公の描き方も、好ましい。 

■ジェームズ・フランコ 

主演のフランコも良い。 

彼がもともと持っている、にやけた表情と影のある雰囲気の両方が活きている。 

冒頭、ブルー・ジョン・キャニオンを目指して進んでいく姿には、ただ単純に冒険を楽しむ様子が見てとれ、 そのシンプルさが、何とも気持ちがいい。 

そして、その単純さとにやけた表情が絶妙にマッチしているのだ。 

冒頭の理屈のないこういう冒険心は、遭難してからの理屈のない生への渇望へと繋がってもいく。 

遭難してから活きてくるのが、影のある表情だ。 

冒頭に多く出てくるにやけ顔との対比も良く、 軽いノリの若者の内に、恐怖、葛藤、後悔などが、あることを自然と表現。 

眉毛をゆがめ、目を潤ませた表情からは、主人公の切実な思いがじわりと伝わってきて良い。 

ごく個人的な好みだが、岩から解放された時の主人公の行動は、最高にかっこよかった。 

ボイルの生命力に溢れる演出とフランコの演技が魅力の、最高の1本。 

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