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アカウントに鍵をかけない『低浮上』中にポストだツイだって不謹慎なのかな…

現在、実家の父親に危篤の可能性が出ているため、何かあった場合に備える関係上所有しているX(旧Twitter)、Instagram、アメブロの3つについて更新事項を絞り込むかお休みする対応をとっています。表面上は『低浮上』に当たるものかと思いますが、せっかくのフォロワーさんに迷惑をかけるのも何なのでXとInstagramには鍵をかけていません。

一般論だが、SNSにおける『低浮上』というのは『あまり見ないので反応できない』という意味で使用するのだが、私の今回の場合、Xだと『鍵をかけない形での低浮上』という措置は取っているものの、『どうしてもポストしなければならない事象』が発生した際や、『自分にとって有益な情報を備忘する目的でのリポストとかいいね』に関しては可能なものは取り組むようにしている。

ただ、そうなってくると、『何かに煮詰まった際のはけ口をどうするか?』という課題に直面してしまう。となると、低浮上を宣言しているXやInstagramでは可能な限りおとなしくするしかないし、アメブロで競馬の話題でも休んでいる期間中に『沈黙を破った!』と裏切られるような感じが怖くできはしない。

ここで、残ったnoteの活用という策を考えることになるがその方法だ。幸いにも『つぶやき』という機能があるので、この機能の活用を軸に考えることになりそう。あまり競馬の話題は書かないnoteでも気づいたことでも(レース予想以外の範囲で)見つかったらちょこちょこ記事なりつぶやきなりに残して再開できたところでアメブロあたりに抜き書き的にまとめてリンクを貼ればいいだけなのでSNS的な使い方としては割り切れそう。noteのつぶやき機能の場合『140字以内+ハッシュタグ』という感じのため(考え方ひとつだが)Xよりは楽になる可能性は十分あり得る。

鍵をかけない低浮上でのポストの類は不謹慎に思われる方って多いのではないかと思う。でも『思いが煮詰まった時にどうするのか?』を考えた場合、そのアピールの場も必要ではと考えると、『アカウントに鍵をかけた状態での低浮上』なんて私には無理である。

そうしているうちに、実家の父に本当に何かあった際にSNSやブログどころかradikoにまで触れることができない事態に陥った場合、本当の意味での『低浮上』を余儀なくされるので、その時まで低浮上しないほうがいいのかな…

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