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□□□とボードゲーム(0.95)〜印象派を支えた画商:続「アーティストは技術者」の再認識

前回の記事はこちら。

まだまだ足踏みして「1」になりません。
困ったもんだ。

上の記事で紹介した、高橋芳朗さんの『画商が読み解く 西洋アートのビジネス史』

を購入しまして読んでみました。
面白かったです。
前回モダニズムについてふれましたが、画商だけではなく他にも影響することがらがあったりすることが知れました。

ということで、本書のポイントを引用しつつざっくり書いてみます。


18世紀以前をざっくり

「アーティストは技術者」とタイトルに記しましたが、モダニズムを境にしてアーティストの意味合いが変化したようです。
で、それ以前のアーティストはどんな状況だったかというと、

ルネサンス期のアーティストは、教会や王侯貴族などのパトロンにつかえる存在で、スポンサーの注文を受けて作品制作に励んでいた、いわば職人のような存在だった。

引用:『画商が読み解く 西洋アートのビジネス史』P42

画家や彫刻家の間に、美の創造者としての自我が目覚めはじめるが、社会的地位は低く、アーティスト(芸術家)ではなくアルチザン(職人)と呼ぶべき存在だった。

引用:『画商が読み解く 西洋アートのビジネス史』P82

とまあ、技術者(職人・アルチザン)として扱われていて、画家や彫刻家の仕事はギルド(同業組合)が請け負っていました。

で、後々ルネサンスが衰退していくのですが、それは宗教改革が起こったからです。

宗教改革により、教会の祭壇画や聖像にも批判が高まり、画家や彫刻家はパトロンを失ってしまう。

引用:『画商が読み解く 西洋アートのビジネス史』P119

宗教改革以後の、絵画の変遷ですが、

◆プロテスタントの強い国々では商人などの中産階級が、自宅に飾る目的で風景画や風俗画、静物画を求めるようになったようで、画商も17世紀のオランダででてきたようです。

◆カトリックは強い国々は、より民衆にアピールする宗教画を欲し、そこからドラマチックでインパクトなバロック芸術が生まれる。

◆ギルド(同業組合)とは異なるアカデミー(イタリアのデッサン・アカデミー、フランスの王立絵画彫刻アカデミー)が設立されて、フランスでは貴族好みのロココ美術が生まれる。

で、もう1つどでかい出来事がフランスで起こります。

1789〜1799年 フランス革命。

◆革命によって貴族は衰退して、ナポレオンが即位。芸術もルネサンス的に回帰した新古典主義が生まれる。
◆さらに1793年、ルーブル美術館が開館。

19世紀からモダニズムもざっくり

さてさて、高橋さんは『画商が読み解く 西洋アートのビジネス史』の冒頭で、アートを大きく2つの意味、広義狭義に分別しています。

現在の日本では、誰もが作り手となれる広義のアート(芸術、美術)と、近現代のアートに代表される狭義のアート(純粋芸術、純粋美術)の二つの概念が併存している。

引用:『画商が読み解く 西洋アートのビジネス史』P41

 私の考える狭義のアート、つまり現代の画商の扱うアートの概念が生まれたのは19世紀です。

引用:『画商が読み解く 西洋アートのビジネス史』P122

ということで、ざっくり19世紀以降です。
で、前回の記事でモダニズム前後で起きた出来事にふれました。
改めて抜書きすると、

モダニズム前後のアーティストに多大な影響を与えた出来事として、
◯カメラ(写真機)の発達
 模写の技術に取って代わる技術の改良・躍進。
 カメラの持つ精密さと異なる技術の開拓・発展を見出さないと、お払い箱の危機。
◯産業革命
 大量生産により、味気ない地味な製品しか作らなくなる。
 そこにデザイン(意匠)を施すロールを見出す(代表者はウィリアム・モリス)。
 アーティストはデザイナーとして活動場所を転身・拡大する。
があるかなと。

で、『画商が読み解く 西洋アートのビジネス史』を読むと他にも着目すべき出来事があります。

◯印刷技術の向上
 印刷技術が上がると、特に新聞の登場によりメディアが成長することで大衆に情報が広がる。
 さらに版画技術の向上により複製を作りより多くの人々に伝わる。
 ついでに言えば、カメラ(写真機)の発達にもつながる。
◯万国博覧会、グランプリの開催・ブランドの誕生
 1855年にパリで初の万国博覧会を開催し、同時に美術博覧会を行う。
 また優秀な作品には金・銀・銅メダルが授与された(オリンピックよりも先)。
 グランプリによって、名声によって商品を売るブランドが生まれる。

重なるときは重なるもんだ。


印象派を生んだ画商

ざっくり飛ばして、印象派いきます。
印象派と画商の関係が知りたくて『画商が読み解く 西洋アートのビジネス史』を読んでみたわけです。
で、お目当ての人はちゃんといました。
その画商とは、まさに書籍の表紙に肖像画が印刷されている人物、ポール・デュラン=リュエルさんです。
この肖像画を書いたのはルノワールです。

デュラン=リュエルさんの印象派との関わりをざっくり書くと、

◆いつか印象派が支持される時代が来ると信じ(というか賭けともいう)、絵画を大量に買い取り、画家の支援もしつつ投資した。
◆とはいえ、売り込みで何度も展示会を開いたが芳しくない。
◆結構長い間(10年以上)売れないので莫大な借金を背負った。
◆じゃあ、南北戦争が終結して間もないニューヨークで展示会を開いたら上手くいった。
◆よっしゃ、アメリカの評判をつけて逆輸入で売り込んだら、よきブランドイメージが定着して成功。

彼が印象派を売り出すために考えたさまざまな工夫は、現代の画商に受け継がれるスタンダードになった。
画商たちは、絵画を安く仕入れて高値で売りさばくだけでなく、その商品の価値をどれだけ上げられるかにも情熱を注ぐことになった。

引用:『画商が読み解く 西洋アートのビジネス史』P282〜283


締め

ということで『画商が読み解く 西洋アートのビジネス史』のなんとなく気にかかるところをざっくり抜いてみました。
本当にざっくりなので、ちゃんと読みたい方は是非是非購入なり図書館などで借りるなりしてどうぞ。

次回は、そろそろ自分なり仮説を立てつつムチャしてみようかな、と思ったり。

では。

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