革命ともいえない、でも大きな転機を願う。
閉ざされたドアの中で、約5ヶ月間暮らしたら。
本当に、毎回思うのだけれど、
精神科病棟には沢山の色々や形や心がある。
本当は、それが受容される社会をひっそり願っているけれど、
今の社会でははじかれて居場所が消えてしまい、その代わりに此処みたいな受け口にて、こっそり、こうやって閉ざされた空間でお互いを表現し合うのである。
響くことのない、吸収されてしまい外には聞こえない此処で、私たちは表現する。
笑ったり、泣いたり、叫んだり、殴ったり、叩いたり、暴れたり。
その空間だけで共鳴する。
私たちはなんのために生まれてきたのだろう。
生を受けた瞬間は、あんなに思い切り泣き声を響かせたはずなのに、今は響かない。
そんなのおかしい。
天地がひっくり返って、私たちがマジョリティだったら、どんな世界で、どうやって生きてきただろう。頭の中に聞こえてくる声と対峙したとしても、激しい鬱や躁があろうとしても当たり前の世界。
楽しいんじゃないかな。面白いんじゃないかな。
それは個性という言葉で間接的に差別されなくても1人の人間として当たり前と認めてもらえる。
そんな世界。
そんな革命は、残念ながら起きないだろう。
100人に1人の病気は、個性かもだけど、多数決では負けてしまう、例えばだけれど。
ただ、転機という小さなきっかけを積み重ねて、
大きな転機くらいにはできる気がする。
声を上げること。赤子のように。思い切り泣くこと。訴えること。
それは無駄ではない。と私は思います。
響くことはなくとも。
私の革命前夜。辛いけど楽しかったよ。
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