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イエスでもノーでも受け止めるよ

欅坂46のサイレントマジョリティーを聴いている。
私は平手友梨奈さんが大好きだった。今でも大好き。
かっこいい。

この曲は、声を上げなければマジョリティーに属していると説いている。

私は、世間的にいうマイノリティだと自負している。
この曲には、

イエスでいいのかサイレントマジョリティー
という歌詞がある。

でも、イエスでもいいと思う。
そこで得られるひとときの安寧も大切だと思うからだ。

サイレントマジョリティーの中にも、マイノリティ、声を上げられない
"サイレントマイノリティー"
というものも存在するとも思う。

声を上げないこと、イエスでいることを否定したくない。
それもそれでいいとも思うからだ。
ノーでいることも、もちろん否定しない。

多様性って実はそういうところに落とし所があるのでは、と思う。
マイノリティーが主役とも限らない世界。逆も然り。
みんな主役。
自分の人生において。時に誰かの引き立て役になろうともそれもいい。

(これを聴いている間、不協和音、二人セゾンと曲が流れていった。欅坂、なんか病みつきになる。てちの存在感、賛否両論ありますが私は大好き。脱退して、女優として応援しているけれど最近見ないから寂しい。)

2024.4.27

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