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家事と育児とのバランス

子が産まれて半年が経ち、なお相棒と悩みぶつかることの多い課題。
「家事と育児、どちらがどのくらいずつ負担するか」
今回は、そのバランスをどう模索してきたかの話。

本当は家事も育児もぴっちり半分ずつやれるのが理想だ。一方、気づけば我が家のスタンダードになってきていたパターンは、相棒が主に家事を回し、その間の子の面倒は自分が見るというもの。そして家事を終えた相棒は「ずっと面倒を見させていたから」と子の面倒を見てくれる。そしたら自分はのんびり休む。

……お気づきだろうか。
相棒が動き続けていることに。
世の中の多くの家庭では、我が家でいう相棒みたく動き続けるのはまだまだ妻にあたる人が大半だろう。そして夫にあたる人が手伝う程度だったり、下手したら任せっきりだったり。そうでない家庭も増えているとは思うが、まだ多くもなさそうだ。
しかし、我が家では、世間的に夫にあたる相棒が家事をガッツリ回し、休みなく育児も行っている。相棒の根底には「あなたに『妻だから家事しなきゃいけない』と思わせたくない、“女”を意識させないようにしたい」という優しさがある。心強さしかない。他方で、マグロのごとく動き続けたい性分であり、一日の充実感を得るべく多くのタスクを消化したいのもあるらしい。
だが、膨大なタスクに忙殺される相棒は、失敗や想定外の事態が起こるとしょっちゅう噴火しそうになっている。さらには、子と関われる時間が少ない、もっと一緒にいたいのにと言う。

それを見た自分は思わずにいられない。もっと家事をやらせてくれと。相棒の負担を減らしたい気持ちはあれど、それだけではない。こちらはこちらで、こちらの都合で動いてなどくれない、子という存在に長時間向き合い続けるのは疲れてしまうのだ。いくら子が可愛い存在であっても、家事をしていない時の相棒が子の世話を引き受けてくれるとしても、やはり疲れてしまう。子の世話を任せて誰に邪魔されることもなく家事を遂行する時間が欲しくなる。
また、自分を妻たらしめまいとしてくれる相棒の気持ちにとても感謝しながらも、家事を引き受けながら育児もやってくれているとなると、自分はいよいよ夫の立場のマインドになってくる。いかに妻の悲鳴を反論せずに受け取るか。家事を主体ではなくサポートでしかできないのなら、いかなるサポートをすれば喜ばれるのか。気づけばそんなことばかり考えるようになってしまい、思ったことを何も言い出せないようになった。手出しの仕方も分からなくなった。どうしたらこの状況を打破できるのだろう。

「助けが欲しい時はヘルプを出し合う」関係でいたかった自分と「相手の手が足りなくなりそうなら頼まれる前にサポートするのが当たり前」な相棒。このスタンスの違いを初めて認識した時は、大きな気づきだと思った。となると、元々相棒ばかりに負担が偏っている状況では、お互いが己の考え方を貫く限り、相棒ばかりが負担を抱え続けることになる。せっかく気づきを得たのだから何らかの手を打たなければならない。ただ、ヘルプを出す行為の捉え方が真逆だった。自分にとってはトップダウンで行われる指示出しのような感覚だった。ところが相棒にとっては逆で、自分がへりくだって上の人に頼むという感覚らしい。
だから何とか相棒に合わせてサポートを頑張ろうとした。自分が下にいる気持ちになって、相棒の一挙手一投足を見て動きを予測してサポート。をしようとするも、先読み能力が無さすぎて、いよいよ軽くメンタルに来てしまった。寄席の前座修行ってこんな感じなんだろうな、自分は講談師にはなれないな、という気持ちになった(突然何の話?)。
後に相棒から「その人の考え方なんて読まなくても、状況だけ読んで動けばいい」と言われて少し気楽にはなったが、しかし自分は、見知らぬ他人でもない限り、相手の行動パターンまで読んで助けになるように動かねばと考えてしまうのが癖になっているらしい。もっといえば、自分の要領の悪さの自覚から、かえって邪魔になってしまうことを恐れて手を出さないことも少なくない。そういう癖がつく幼少期を送ってきた自覚はある。

また困ったことに、この悩みと似たものを抱える人というのがおらず、相談が出来なかった。少なからず身の回りの女性で子育てしている人達は主体となって家事育児をしているし、男性陣もまた主体的に家事育児をするひとばかり。妻なる立場にありながら家事育児を主にパートナーが担うという家も珍しいながら、まずもって「主体的になりたいけど上手く立ち回れない人」というのが身の回りに存在しなかった。大前提として「主体的になりたいけど上手く立ち回れない」というのは言い訳でしかないのかもしれない。
誰にも相談しなかったわけではないが、まず夫の立場たる相棒が家事育児を主体的にすると告げた時点で「いいな〜!うらやましい!」となって話が丸く収まってしまう。あるいは、妻の立場にある側が本当に子どもを眺めながらゴロゴロするだけの日々を送っているとは到底考えてもらえず「なんだかんだ言ってあなたも頑張ってるんでしょ?気にせず任せちゃいなよ」と言われてしまう。そういう感覚が世間にとっての当然なんだよな、というのも気づきかもしれない。
相棒の方は、自分との共通の知り合いで良き相談相手になる人が見つかったらしいので、それだけでも安心した。

こんな状況の中でも、ここ最近は、バランスが上手く取れつつある感覚が出てきた。相棒の中で料理をするのが充実感を得るのに大切な要素ということがわかり、自分の中にあった「我が家の日常的な家事で最も時間と労力を割く料理を分担しなければ家事量を対等にしようがない。何とか分担しなければ」という思いがなくなった。そのかわり他の細かい家事をなるべくかって出て、相棒に子の面倒を見るのをバトンパスするようにした。相棒の方も今までなら「あなたが面倒を見てるなら家事をやるから」と流れで家事に向かいがちだったのを、すっとバトンパスしてくれるようになった。最近は「またやらせてしまった」と声をかけられることが少しづつ減り、逆に「ありがとう」と言うのを心掛けてくれているようにみえる。
こうなるとき、自分の方は「がんばって家事をやる」のノリで済むのでハードルは高くないが、相棒の方は「自分でやらねばと思っているタスクの一部を他人に明け渡す」ということをやっているので、これを気持ちよくやれるようになるというのは難しいと思う。膨大なタスクをひとりでこなして一日の充実感を得ていたらしいので、タスクの一部を放棄しながら気持ちよく過ごすには、価値観の変化すら必要になるのではないか。けれど、こちらが料理を堂々とおまかせするようになってからは、それを元に充実感を得られている様子。また、料理の合間の落ち着いたタイミングで子とふれ合うことで、子との時間を少しづつ作っていて楽しそうだ。

とりあえずしばらくはこの状態に落ち着きそうだ。子にとって養育者が笑顔でいてくれることがもっとも良いことだと思うので、状況が変わればまた不具合も起こるだろうが、都度もっとも良い形を探り調整をかけながら進んでいきたい。そのためには相手とぶつかるのも厭わないようにしたい。

とりあえず今はこんな感じだ。

現状、自分の生き様や思考を晒しているだけなので全記事無料です。生き様や思考に自ら価値はつけないという意志の表れ。 でも、もし記事に価値を感じていただけたなら、スキかサポートをいただけるとモチベーションがめちゃくちゃアップします。体か心か頭の栄養にしますヾ(*´∀`*)ノ