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あえて愛を与えないことも、愛するということなのかもしれない。

完全にyoutuberの「緊急で動画をまわしてます」状態。
今日は簡潔に書きたい。忘れたしまいそうだから。
けど、できるかな?笑

私は「人の気持ちに寄り添える人になりたい」と思って生きている。
私が辛いとき、誰か助けてと思うように、
誰かが助けてくれたように。

そのためにいろんな経験をしたいとも思う。
その方が、いろんな人の気持ちを理解して
寄り添えると思うから。
(あとは、人生一度きりだから!いろんな経験したい!っていうのもある)

人に優しくありたい。
自分にできることがあるならしてあげたい。
大切な人であればなおさらそう思う。


けれど、ある程度理解しようとしないことも大切というか、
人によって求めるもの答えも違うように、
寄り添わない.ということも大事だと、今日思った。


それは、「今はそっとしておいてあげるのがいいな」ということではない。
そう思えるときは、それが「その人に寄り添うということだ」と思って
そっとしておくようにしている。(できてると思いたい…)

今日「寄り添わない方が」と思ったのは、
仲の良い友人からの「過労死ラインで働いていてやばい」という連絡がきてだった。

その人が求めていることはきっと、
「仕事休んだ方がいいよ」なんて正論ではなく、
「大変だね、頑張りすぎないでね」だったんだろう。きっと。
でも私はそんなこと言えなかった。

なぜなら、
今までもそういう言葉はかけてきたし、
親友を鬱による自死でなくしてるから。

「休んでね」とこれまでも伝えても、聞かなかったし、
「過労死ライン」とか言いながらどうにかしようとしないし。
(…というか正直あれだな。長くなるから書かないけど、
他の面でも「この人はぐちぐち言うだけで、なにも行動しない。
愚痴るくらい不満なら、そんな理由なら、その場から離れたらいいのに」と
いうのがあったからだな)

わかってる。正確には"できない"んだと思う。
その友人の中でも事情はあるんだろう。正論を言われても…という気持ちはわかる。
でも、まだ逃げ道があるじゃないと思ってしまう。
家庭の事情や、家庭環境によって形成された考え方は基本的に一生ついてまわってくるけど、
まだ子どもがいない結婚生活も、仕事も、お金も、どうにでもできる。

できないんだろうとわかってるからこそ、
私の発言が自分でもモラっぽくてやだけど、
でも本当に心配してて、これ以上「休んで」以外に何を言えば。
まだ逃げられる状態にいる。逆に逃げるなら今なのに。
鬱になってしまってからではもっと大変なのに。

「過労死ライン」なんて言葉投げられて、
「働きすぎだよーちゃんと休んでよー🥺」なんて
そんな悠長な適当なこと、私は言えない。
半分冗談で言ってるのかもわからないけど(多分違う)
親友を鬱による自死で亡くした私にその言葉は、
冗談でも聞きたくない言葉なんだよな。
(伝えてる)

本当に鬱になってしまったときこそ、正論なんて絶対言えなくなる。
寄り添うしかできなくなる。
でもそうしたって、不倫や自殺したがる親友の生き方を尊重してたって、
彼女は亡くなった。
共感でさえ救えない域だったんだ。

動けなくなってからでは遅い。
動けるうちに、無理をしてでも動かないと。
相手を思うからこそ、の発言なのだ。

よく考えると、私はこれまで付き合っていた彼にも、
「取り返しがつかなくなる前に…」と伝えていたことがある。
けど、わかってもらえなかった。
みんななんでなんだ。
なんで本心で、相手のために伝えているのに、分かってくれないんだ。
イメージするなら、崖の淵で「もう後ろ崖だよ!下がっちゃだめ!」と叫んでいる感じなのに。

でもよく考えると、もしかして今の私のこの発言=正論が、
相手を想っての、困難な道に行かないための発言が、
余計にその道へ導いてしまうことになるのかもしれない。
疲れているときに正論を投げかけられたら、くらってしまいかねない。
(上記のイメージで言うなら、私が危険と叫べば叫ぶほど、謎にが後ろにいっちゃうシステム?的な?w)

そう思って、
私の過去の経験的に、今は正論を伝えるか既読無視しかできない。
「過労死」なんて言葉を、どうにかするために動けないなら
私に言わないで欲しい。他の人を頼って。
そんな感じのことを伝えた。


大切な友達だからこそ、こうやって思ってしまうんだと思う。
私がHSPっぽいのもあるかな。わからんけど。
でも私は友達の家庭環境も知らないし、
そこにヒントがあると思うけど、話してこない人に、
こっちがわざわざ土足でズカズカと入っていくのも違うし。
(男だから家庭環境の深い話をしてこないのか、
友達であって恋人ではないからしてこないのかわからないけど)

そう思ったら、相手がかなり仲良い人でも
そんなに一方的に深く知ろうとするのも違うし、
ときによっては寄り添う必要もない、
というか自分ができないときもあるし、
できたところで今回のはどうするのが正解かわからないし。
(寄り添った結果「仕事頑張って乗り越えられました!」になればいいけど、
「仕事頑張って精神が病みました」になったらたまらない。)


だからやっぱ距離感というか、関係値というか、
状況によっては寄り添おうとしないことも大切。
それが自分も相手も優しくする事に繋がる。

そんな風に思いました。

なるほどね、深入りしていかない人、
人に近寄ろうとしなき人の気持ちが少し分かった気がする。
自分が人に与えられる影響が、いつも必ずいい方にいくとは限らないんだよね。
自分以外が他人である以上。


30に気づけてよかった。
これでまた人に優しくする方法を1つ学べた。
愛は与えるものだけど、
「あえて与えない」も、愛を与えることになるんだな。
してあげることが全てじゃないよね。

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