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質問とHSP

こんにちは、カズピロコウです。

雑談
最近、大事な試験があって、そのことばかりを考えて不安が増える。
その試験も終わり、とりあえず、ひとつきついている。
久しぶりに、noteでの記事を見ていると、200以上。
noteでのアウトプットをし始めて、3年が経つ。
アウトプット大全を読んでから、アウトプットの大切さを知った。

本題


今回、取り上げるテーマは

質問の投げ方

です!!

質問というと、どのようなことを浮かびますか?
ただ単純に自分が興味を持ったことをすればいいのではないかと思う。
興味本位での質問、深掘り質問という相手の個人的なところに介入していくもの、代表して質問をするなど。質問といっても聞き方によってさまざま。

 一般的に、質問には2種類あると言われている。
「はい・いいえ」の選択肢が与えられているクローズ・クエスチョン
相手の考え、思いを引き出すようなオープン・クエスチョン


オープン・クエスチョンとは

オープン・クエスチョンの例として、企業の面接試験。
「なぜ、○○を志望したのですか」というような「はい・いいえ」では答えられないような自分自身について、自身の価値観についての質問。

私はこのような質問が苦手。
「聞かれても、経験値の低い若い自分が言っても説得力がない。」
「なぜと言われて、論理的に伝える = 結論ファーストで答えて、具体例。
 そもそも、結論、具体例って何だ??相手に伝わるような自信がない。」
「ESに書いていることを、そのまま読んでもいいのか。」
などのようなことを考えてしまいます。

なぜ、どうして、どのようにというwhy、howといった質問は、答えや正解のない答え。ライフストーリー、経験がものを言う質問。頭をかなり使う。

(私の経験 その1)

大学時代、大会で優勝のような目立った経験もなかった私。
好奇心旺盛、勉強一筋で真面目という取り柄しかありませんでした。
真面目さが空回りして、「完璧」を求めようとしていたこともありました。

あれもこれもたくさんの経験をしていた人の方が、
華やかなバラ色の人生なのでしょうか?
もしくは、
一つのことに時間をかけて集中して全力で尽くした方がいいのか?

こんなことを考えることもあった。
自分の良さをアピールするために、「コツコツ」や「地道に」といった言葉を言い換えた。
しかし、「そんなことは当たり前で誰だってすることだ。」と悪く考える。負のスパイラル状態だ。

子どもの頃までは、勉強の出来が自分を保てるステータスだった。
大人になると、勉強は二の次。結果や実力が全て。

何のために勉強しているのだろう?
 興味のため?自分自身のため?社会のため?

哲学的なことも考えることもしばしば。
こんなことを考えてしまうHSP中程度の20代。

クローズ・クエスチョン

一方で、クローズ・クエスチョンは「はい・いいえ」で答えが完結する質問のこと。
オープン・クエスチョンと比べて、答えがシンプル。答えやすい。
「今日は日曜日だよね?」「うん、日曜日だよ。」

しかし、クローズ・クエスチョンばかりをしていると、
まるで誘導尋問、一問一答のようなもので、相手との心的距離を感じ、違和感がある。

(私の経験 その2)

大学時代の友人のAくん。
Aくんとは資格試験に向けて、勉強していた仲間でもあった。
一人暮らしのAくんはとにかく食べることが大好き。大食漢。

Aくんと私で食事に行った。

(Aくんとの会話)
A:「最近、資格試験に向けての勉強で忙しくて、しんどい。
   もう、疲れた。」
私:「そうか、大変なんだね。」
A:「・・・。」

その後、Aくんは自身のスマホを見始めて、話そうとはしなかった。
それからも、Aくんとの食事に誘われて行ったが、毎回こんな感じ。

腹が立った私は、言った。
私:「毎回、毎回、疲れたやしんどいと言われたら、せっかくの食事がまずくなる。たまに愚痴を言うこともいいけど、相手がいるから相手に興味を持つような話題や自分の好きなことを話してほしい。」

すると、Aくんは近くにあった店の机を触りながら、こう言った。

Aくん:「この机、何の木で作られているんだろうね?」
私:「ヒノキか、ケヤキじゃないかな?」
Aくん:「ケヤキといえば、乃木坂46っていうアイドル、知っとる?」
私:「うん、知っているよ。」
Aくん:「…。」
私の心の声:そこから誰が好きとか、いいよねのような話題を振れよ💢

この溜まっていたモヤモヤをAくんと私の共通の友人2人、
ラジオ番組に、このことを相談した。

Aくんにとって私はただ一緒にご飯を食べに行くツレのような存在だと思い、あまり親しくならなくてもいいという答えや共通の友人2人からは
「Aくんは、もしかすると、発達障害ではないか?」と言っていた。


相手には興味がないこと、雑談をすることが苦手というところから。
当時の私は、誰とでも仲良くなろうという心構えでいたが、これが痛手だった。

Aくんとは少し距離を置くようにし、LINEもブロック。
学校でも会っても話しかけないようにした。

大学時代の私

大学生の自由な時間を使って図書館で本を借りて読む、大学生協でも本を買うという読書ブームだった。
Aくんとの出会いをきっかけに、
「私の話し方、聞き方、質問の仕方が悪かったのかな?」
と疑問を持ったため、以下の本を読んだ。

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大学生でコミュニケーション向上のために、話し方の勉強をするなんて、
今思うと、意識高い系大学生だったかもしれません。

参考文献
【オープンクエスチョンとクローズドクエスチョン】
具体例や活用ポイントを解説(法人営業応援マガジン HOTより)

質問技法とは|傾聴・カウンセリングでの質問の仕方(傾聴力HPより)

最後に
本日も読んでくださって、ありがとうございます。
質問の仕方、投げかけ方について、
私の経験、感じることを交えながら書いた。

質問として、自分の疑問に思っていることを言うこともある。
しかし、何度も何度も同じようなことを聞いて、
「(若いのに)いつになったら覚えるんだ!」「当たり前なことを聞くな!」などと言われそうでヒヤヒヤすることもあります。そのため、日々紙に書くというアウトプットをする。

脱線話

現在、学校で支援するという立場で働く中で、研修を受けた。
現在、子どもたちの適切な指導や支援として、「見える化」が大事だと言われています。

例えば、小さめのホワイトボードに

毎日やること
自学ノート1ページ 連絡帳に時間割、日誌を書く

というようなこと。
さらには、暗黙のルールは作らないようにすることも言われています。

宿題を忘れずにやってくる、忘れ物をしてこない、
ロッカーをきれいに整頓するなどは掲示物で示している。
当たり前のことをすることが難しい特性を持った生徒もいるため。

まだ、子どもだから成長段階なので、許されるところもありますが…

当たり前のことができている子、普通と言われる子からすると、
不思議な感覚。
もしかすると、私が生徒だった頃と今の児童生徒の「当たり前」の基準
違うのかもしれない。

最近、「浮きこぼれ」という他の子どもと比べて勉強が出来すぎてしまう子どもがいることを知った。
違いを認める、長所や強みを伸ばしていくこと、人を育てるという教育の難しさ、令和時代の社会の複雑さを感じる。
出木杉君だとしても、のび太だとしてもどんな人でも「生きづらさ」を持っているということ。


系統的脱感作という精神医学の言葉がある。
苦手なことを少しずつ、少しずつやることで慣れていく
その中で、褒めるということでプチ成功体験へと変えていく


成功だという価値基準は、自己評価や相対評価、絶対評価、結果評価、プロセス評価のような他者評価がある。たった10年間で、教育の変化には驚く

A:「できる」を「もっとできる、完璧」というさらなる高みを目指すこと
B:当たり前のことが出来ていない人を当たり前のところへ上げていくこと
「当たり前」とは、社会生活の基礎基本ができるということ。

Bの方が比較的、成長したという実感を持たせることができる一方で、
Aは自分との戦いになるため、結構大変だ。
例えるなら、登山初心者がヒマラヤ山脈を登るようなもの。

この「当たり前」のことこそ、暗黙のルール。
「当たり前」の概念が人それぞれ。
多様性を認める前に、当たり前のことが当たり前にできること、凡事徹底。


現在の私にとっての「当たり前」にしたいことは、

1. 何事にも興味を持ち、情報をアップデートすること
2. 困ったら自分で抱え込まず、すぐに人に聞くこと
3. 誰とでも干渉的にならない、関わらないこと
4. アウトプット前提で行動すること
5. 分からないことは、はっきりと分からないと言うこと
6. 迷ったら、すぐに行動すること
7. 困った人がいたら、自分が全てやるのではなく、その人ができる形でサポートする
です。

セブンルールではないですが、ちょうど7つにしました笑
正直であること、貪欲であることが大切ではないでしょうか?

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以上

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