「勉強」という精神安定剤
新学期を迎えて早一ヶ月。
先日、通勤経路の東京駅で乗り換える際に、駅ナカの本屋さんの前を通りかかると、新生活を応援するビジネス書フェアをやっていた。
ビジネス書と言えば、僕も好きなのでここ4年くらい様々なものを読み続けてきたが、最近読み返したとある本にこんなことが書いてあった。
要は、語学、会計、ITの知識を身に着けて資格試験に合格すれば年収アップに繋がるという勉強ブームは、「仕掛け人」が「ビジネスのために」起こしたものだと言う主張である。
「勉強しなければ社会人にあらず」「学び続けなければ生き残れない」という風潮でビジネスマンを煽り、儲けようとしている人たちに踊らされているというのだ。
「勉強」しているとなんか安心する
僕は、高校時代まで、勉強とともに生きてきた。
小学校入学前から公文式に通っていたこともあり、小学校では勉強で無双。
小4から中学受験塾に入り、中高一貫のゴリゴリ進学校で6年を過ごした。
中高時代は毎日膨大な宿題を課され、放課後の特別講習などにも参加。
定期試験では毎回友達とガチンコ勝負をやり合っていた。
勉強することが当たり前、勉強することが生活の中心にありすぎた時期が長かったせいで、今でも何か勉強をしていると落ち着くような気がするのだ。
Youtubeやゲームばかりしているとなんか不安な気持ちになって、何かしら勉強することで、「あ、自分、今ちゃんと勉強してる」と安心する。
大学時代も、あり余る時間を溶かし堕落していく自分に焦り、簿記の試験を受けて落ちたり、コピーライティングを学べるという情報商材を買ってみたり、宣伝会議の無料講座に申し込んでみたり、自己啓発セミナーに申し込んでみたり、色々とあがいていたのを思い出す。
そういう意味では、捉えよう次第では、いいカモにされていたのかもしれない。
エンジニアになった今は、資格取得を会社から指示される。
そこに対しての思うところは、別記事で触れている通りなのだが、資格対策の勉強を苦痛に感じている一方で、ちょっと勉強をすることで安心している自分もいる。
過去に勉強をやってきた人の中には、同じように感じる人が結構いるのではないかと思う。
特に受験を終えた大学生など、過去と比べて自分が自堕落になっていっているような強迫観念を感じ、何もせず過ごす時間が落ち着かない人はいないだろうか。
年収を上げるため、就活で有利になるため、あるいは意識の高く勤勉な昔の自分を取り戻すために、何でもいいからやらなくてはと、何か勉強の対象を探したりしていないだろうか。
そしてそのような場合、何か気を紛らわすために、特に目的もなく資格試験に手を出してみたり、無料でプログラミングを学べるサービスをやってみたりしていないだろうか。
そういう意味では、ある種類の人にとっては、勉強は「精神安定剤」となっているのかもしれない。
もちろん、無駄な勉強はないし、どんな動機でも勉強は自分の糧になるのは変わらないので、明確な目的を持って勉強している人と比べて、たとえ全く勉強に身に入らなかったとしても、何もやらないよりはプラスになるとは思う。
学校教育を引きずる人達
僕が資格試験を嫌いな理由は、旧来の学校教育のフォーマットに「勉強」というものを当てはめてしまっている気がするからだ。
「教科書や参考書に沿って学ぶのが勉強だ」
「問題を解くのが勉強だ」
「試験を受けていい点を取るために行うのが勉強だ」
学校教育で主に「勉強」と呼ばれてきた形式で、我々は「勉強」というものを捉えてしまいがちだ。
特に社会に出てからは、試験問題を解くのではなく仕事や実生活で実践することが価値になる勉強が大多数を占める。
過去記事で書いたことがあるのだが、僕は、昔に勉強や受験を本気で頑張った経験はその後の人生にも活きる力になると考えている。
しかし、その頃の勉強の「型」に囚われすぎてしまうと、学びの幅を狭めてしまう可能性もあるのだ。
「勉強」とはもっと自由であっていい
僕は、大人になっても(というか生きている限り)勉強を続けることは重要であると思うし、このVUCAの時代、学び続けなければ生き残れないというのも間違っていないと思う。
しかし、「勉強」という言葉の解釈は、もっと広く、自由でよいと思う。
もちろん、仕事のためにならなくてはいけない勉強というものもあるだろう。
エンジニアは技術を学ばなきゃいけないし、法律関係の仕事をしていれば法律を学ばなければいけない。金融関係の仕事をしていれば、金融の知識をつけたり、経済の動向を常にチェックしないといけない。
ただ、堅っ苦しい内容だけが勉強ではない。
新たな趣味に出会ったり、行ったことのない場所に行ってみたり、育児などライフイベントに関する場面に対応したり、教養として本を読んだり、気になったことをWebで調べてみたり…
そういう色々なものをひっくるめて「勉強」だと思うのだ。
仕事で必要な領域の外に手を広げるのであれば、何か少しでも自分の興味の持てるものから始めてみればよいと思う。
年収を上げたり、昇進したり、目に見えるメリットを求めなくても、きっとあなたを豊かにしてくれるはずだ。
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