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錯覚資産というマボロシ

東大卒、起業家、一流企業出身、、、

そんな人が目の前に現れたら、どんな印象を持つだろう?

「錯覚資産」

人々が自分に対して持っている、自分に都合のいい思考の錯覚だ。

1つのプラス属性に引っ張られて、他の属性を過大評価してしまう
ハロー効果を引き起こす。

その力のおそろしさを、今ちょっと起こっている騒動で実感した。

簡単にまとめると、
ものすごい経歴、肩書きを看板に講演活動などをしていた人がいたけど
全部嘘の経歴、肩書きだったという話だ。

この一件の興味深いところは
誰も今まで疑いを持たず彼を慕ってきたということだ。

実は僕は3年ちょっと前くらいに少しだけ彼と接点があったのだが
確かに人間性も人望もすごいなという印象を受けていた。

錯覚資産と経歴詐称は違うけれど
要はどんな人でも肩書きがすごいとすごく見えるという話だ。
いい人もよりいい人に、3倍増しくらいに見える(特に最初は)

高学歴なら、仕事できそうだって思うとか
一流企業で働いてたら、まともな人そうだとか
起業家っていったら、前田裕二さんみたいな人だろうとか

誰もが少しは、思ってしまう節があるはずだ。

これが錯覚資産がもたらす最大の副作用

「期待」

である。

いい大学に行ってれば、いい会社に行ってれば、
誠実そうな見た目ならば、年収が高ければ、
はたまた珍しかったりすごい過去を持っていれば、
出木杉くんみたいに何をやらせてもできる。

人としても優れているし能力も全部高い
全知全能の神に見えてくる。
マボロシの偶像を勝手に作り上げてしまうのだ。

そして、自分も経歴を手にすれば
全知全能になれると期待を抱く人もいる。

エリート思考
進学校の受験生などはまさにそうだ。
先輩の進学資料を見てあたかもその人の価値を品定めするかのような風潮。

大学でやりたいこともろくにないのに
一日十時間死にものぐるいで勉強できるのは
学歴という称号、錯覚資産を勝ち取ることによって
学生としての自分の存在意義を証明するためだ。

だから大学受験で思うような結果が残せなかった人は
「学歴コンプレックス」に陥りやすいのだ。
錯覚資産を求める人にとってそれを得られないことは
自分の人としての価値が全否定されたのと同義なのだ。

一方、錯覚資産を手に入れることができた人にも
厳しい環境が待っている。
期待は時に人を押し潰すからだ。

「〇〇大なのにこんなこともできないのか」
「学歴なんかよりコミュニケーション能力の方が大事だからな」
「お勉強だけできても社会では何の意味もないから」

バイト先や職場で、こんないびり方をされた人はいないだろうか。
いびられるまでいかなくても、そういう見方をされたことはないだろうか。

自分より高い肩書きの新人が入ってくると
自分の方が優れてるポイントをさがし
粗を探して必死にマウンティングする人は存在する。

そうしないと自分の価値を見出せなくて不安なのだろう。

今まで経験したことのない分野や苦手なことまで
勝手に期待以上の結果を出すものだと決めつけられて

それができないと勝手に失望されて苦言を呈される。

あれ?お前全知全能の神じゃねえじゃん!
ブックオフなのに本ねえじゃん!

だから神じぇねえっつってんだろ!!!


...みたいなことが社会のあちこちで起こっているようだ。

人は錯覚資産が欲しくて努力をし
錯覚資産を見て人を僻んだり、見下したりする。


錯覚資産というのは本来
ある一つのフィールドで過去に結果を出した、
それに至る能力や努力を証明するライセンス
だと考えている。

例えば学歴で言えば
一貫校で6年間努力を続けられた継続力か
ポイントを押さえて効率よく攻略できる要領の良さか
論理的思考力か、執念の強さか、地頭の良さか
人によって違うだろうけど
何かしらその人に相応の魅力があることの証明となる。

だからその分野の実績や努力を尊敬すればいい話なのだが
ついつい経歴の文字を見るだけで恐れ慄いたり
買い被ってしまうのが人間だ。


一方、錯覚資産には、メリットもある。

信用だ。

実績や肩書きは信用を担保してくれるため、
より魅力的なチャンスや打席に巡り合いやすい

何者でもない得体の知れない人に大切な仕事は任せられない。

殺風景で誰も並んでいないお店は入ってすらもらえないし
表紙がダサい本は中身を見ようとすら思われないのと一緒だ。

実験道場のJunko☆博士も、
門を開いてもらうためには経歴が大事だと話している。


「期待」と「信用」のせめぎ合い

「なんでもできる」「完璧」とは思わせず、
自分が得意な分野でだけ信用を勝ち取る。

そのためにはどうすればいいのか
僕も日々試行錯誤している。

自分の短所を開示して余白を見せるとか
でも見せ方を間違えれば信用を失うとか
勘違いを逆手に取り全く別分野での打席を勝ち取るとか
何がいいのかはまだ僕も答えを出せていない。


人の価値は比べられない。

人に序列があるのは、断片的な軸をもって判断しているからだ。

足の速い順と、定期試験の総合順位と、定期試験の数学の順位は全然違う。
誰が一番優れているなんて、総合的に判断はできないのだ。

でも、やっぱり数学で1位になった子はすごい。
成績は良くなくても、漫画を描くのが超上手い子がいたらそれもすごい。

要は、何か自分で胸を張れる得意分野で頑張ればいい。
そこでの信用を勝ち取るためなら、錯覚資産は強烈な武器になる。
自分はこういう人間だよって言う自己開示の裏付けになる。

一方、別軸での能力に関しては分けて考えなくてはならない。
相手の優れているところは尊敬し、
かつ引け目に感じず他の場面では対等に見ればいい。

あなたはどんな人?
どんなことが得意?どんなことが好き?
どんなことを頑張ってきたの?

あなたの個性をみんなに表現するために
あなたがあなたである証明のために

錯覚資産を築こう。身に纏おう。


錯覚資産に着られるな。
錯覚資産を着よう。

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