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アメリカン・ミュージック・ヒストリー第7章(1960年代全般・・・その6)


(5) ワールドミュージック

 この時代、アメリカとイギリス以外に目を向けると、ラテン系の音楽が目立ちますね。まず、ブラジルのボサノバが世界的なブームとなりました。
 
 1964年のビートルズ旋風の際も、スタン・ゲッツがジョアン&アストラッド・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビンと録音した「ゲッツ/ジルベルト」は、グラミー賞を受賞し、セルジオメンデス&ブラジル66も大人気になりました。
 
 また、本来キューバ系ダンス音楽のサルサが、ニューヨークを発信地とした若いプエルトルコ人によって旋風を巻き起こしファニア・レコードが設立されました。
 
 そしてメキシコ系リズムを取り入れたアメリアッチが、ハーブ・アルパートによって流行し、その流れがラテン・ロック(サンタナ)へ繋がっていきました。

 更に、ジャマイカのレゲエの前身ともいえるスカ(スカタライツ等が有名です)が、新しいダンスビートとして欧米でも広く知られるようになりました。
      
(6) 和製ポップスとエレキブーム

 60年代の日本の流行歌は、激変する欧米の流行に翻弄されていきました。ロカビリー、ロックン・ロールブームが下火になると60年代初頭のアメリカン・ポップスのカバーも日本人が、日本語で歌う和製ポップスブームとなり、ザ・ヒットパレードが人気になりました。ザ・ピーナッツ、中尾ミエ、伊東ゆかり、園マリ、弘田三枝子、梓みちよ、ダニー飯田とパラダイス・キング、坂本九、ジェリー藤尾、飯田久彦、鈴木やすし、尾藤イサオ、石川進らが活躍しました。
  
 一方で歌謡曲も隆盛で青春歌謡のアイドル的四天王と呼ばれた、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦、三田明が大人気になりました。また、北島三郎、都はるみ、水前寺清子らによる演歌と言うジャンルの確立、ハワイアン、ラテン音楽の流行を日本独特な音楽と融合させた、ムード歌謡コーラスの人気も高まり、マヒナスターズ、ロス・プリモス、ロス・インディオス、東京ロマンチカ、クールファイブ等が登場してきました。

 そして60年代も中盤に入ると、ヴェンチャーズの来日によってエレキブーム、ビートルズの来日によってグループサウンズブーム、ボブ・ディラン、PPM等によるフォークブーム、と欧米につられて日本も大変動でした。名前を挙げればきりがありませんが、加山雄三、荒木一郎、ブロードサイド・フォー、サベージ、マイク真木、小室等、森山良子、ブルー・コメッツ、スパイダース、タイガース、テンプターズ、黛ジュン、いしだあゆみ、そして関西フォークの岡林信康、高石ともや、フォーク・クルセイダース、高田渡、五つの赤い風船他、従来の歌謡曲と一線を画した音楽や自作自演によるミュージシャンも多数登場してきました。

*映画若大将シリーズから見た60年代和製ポップス考察
 
 ここで、またまた脱線します。私が小学生の時に初めて見た映画は、1965年の東宝映画「ゴジラ対モスラ」だったと記憶していますが、当時の映画は2本立てが一般的で、もう1本は、「エレキの若大将」でした。お目当てはゴジラ映画だったものの、人気絶頂の加山雄三の若大将シリーズも子供心ながら、結構面白かった印象があります。

 おそらく、若大将シリーズのコンセプトイメージは、エルヴィス主演の歌あり、恋ありの青春映画だと思いますが、先日WOWOWで若大将シリーズの第1作目の「大学の若大将」をやっていたので見てみると、1961年制作なのでこの頃はまだ、主人公の加山雄三も自作自演ではなく映画の中の大学の学生バンドは「ハワイアン」バンドで、他に加山雄三が、バイト先で歌っていたのは「ドドンパ」だったのは興味深かったです。

 1961年と言えば「東京ドドンパ娘」が大ヒットした年なので、日本発祥のリズムであるドドンパもラテン音楽の一種だと考えると、1961年頃は、学生の間でも、ハワイアン、ラテン、カントリー(ロカビリー)が中心だったのだと考えられますね。

 そして時系列に若大将シリーズを見ていくと、4年後の1965年時点の大学バンド合戦では、すっかりヴェンチャーズサウンドになり、そして加山雄三のオリジナル曲が登場してきます。ラブソング等は、60年代初頭のアメリカン・ポップスやビーチボーイズばりのカリフォルニア(湘南)サウンド風味だし、ビートルズの影響か、マージービートっぽいライバルバンドまで出てきたりもします。

 そのまた2年後の、67年の「レッツゴー若大将」になると、田中邦衛扮する青大将が、お客さんに「フォーク・ロックをお聴かせします」と加山に演奏を勧めるシーンが出てきたりするのですが、言うまでもなく、バーズ、ボブ・ディランだし、翌年の68年制作の「リオの若大将」の大学バンド合戦では、ランチャーズと一緒にオルガンまで入れた、ドアーズさながらのサイケデリック・ロックを披露する等、正に激動する60年代全般のポピュラー音楽、ロック音楽が、ほぼ踏襲されていて興味深く観てしまいました。
 
 こうして見ていくと、激動の60年代に登場してきたアメリカ音楽とその影響を色濃く受けた日本のミュージシャンを対比させて聴いてみるのも一興ですね。

ゲッツ・ジルベルト、イパネマの娘、ビートルズ旋風の中、大ヒットでした
ポップボサノバと言えば、セルジオメンデス&ブラジル66
オールナイトニッポンのテーマ曲、ビタスウィートサンバも収録の大ヒットアルバム
ザ・ピーナッツ、フアンは、多いですね。和の双子のこまどり姉妹もいましたね
テレビのザ・ヒットパレードは、やっぱ、パラキンでしょ、九重祐美子もね
1963年ビルボードNO.1ヒット、不滅の名曲スキヤキ
演歌の代名詞と言えば、文句なし
美空ひばり、島倉千代子時代は、流行歌。女性演歌となると都はるみ
ムードコーラスグループには、ハワイアン系とラテン系がありましたね
加山雄三の全曲英語オリジナルアルバム、これが一番好き
太陽の似合う加山雄三、月が似合う荒木一郎
まあ熱狂的ブームでしたな
カレッジフォークと言えば、ブロードサイド・フォー、マイク真木、森山良子
関西フォークと言えば、高石、岡林、五つの赤い風船、フォークル
映画若大将シリーズ


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