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㉟東北の灰汁力

僕自身今まで東北には縁がなかったし、興味もあまりありませんでした。もっというと東北へ行く手段が少ないことも障壁の一つとなっているかもしれません。西ならLCCとか高速バスでふらっと行けそうな感じですが、いざ東北となるとLCCもないし、行くのにも時間かかるし。何より閉ざされていそう、そんなイメージでした。まさに雪国といった印象でようか。冬はじっと家にこもり、粛々と過ごす。明らかに関東、西日本とは違う。そんなイメージも相まって東北に行こうとなりませんでしたし、どこに行けばいいのかもわかりませんでした。実は高校の修学旅行は東北でしたが、ほとんど覚えていません。それくらい高校生にとっては「深みがありすぎる場所」だったように思います。そんななか震災が起きて、なんだか行こうと思い立って行ってみて、東北の良さに少しだけ気づいた気がしました。

そして今回東北と言われる地域をまわってみました。まず全体的な雑感とすれば、それぞれ地域の固有性のようなものがあちこちで見受けられるなと。地域に漂う文化や歴史の厚みといいますか、地域の質感といいますか、空気の重みのようなものを感じました。このような感触は初めてでした。縄文時代から脈々と積み重なる何か。かつて数千年の昔には、列島の人口の8,9割に当たる人々が東北を中心とした東日本に住んでいたとされています。そのような縄文文化に端を発した地域性や底知れぬ精神性を感じた旅でした。

「東北の山には古代が、おそらく縄文が豊かに埋もれているのである」
[東北学/もうひとつの東北 赤坂憲雄]

今回地方紙を読むのも楽しみの一つだったのですが、地方紙の多さに驚きました(これは東北以外にもあてはまるかもしれませんが)。少なくとも茨城県南地方紙は現在茨城新聞だけですが、それぞれの地域に必ず1,2社は地方紙があるんですよね。僕がざっと見かけたやつは河北新報、石巻日日新聞、三陸新報、デーリー東北、陸奥新報、東奥日報、岩手日報、秋田魁新報など。規模感は様々にせよこれだけ地方紙が生き残っているのはなかなか稀だろうし、地域の底力を感じます。まさに雪国であることや、畑作や漁撈を複合的に営んできた重層性を感じます。名だたる文学者たちや、イザベラバードも東北に足繫く通っていますが、確かに思索にはもってこいの場所だと思います。こんど来るときは色味のある時期に廻ろうと思いますが、そんなことよりも漁撈に俄然興味がわいてきたので、気仙沼あたりで漁撈してみたいと思っています。

東北へ行くに当たって必需品だと思っていたのが、ニット帽ですね。ニット帽がないと寒すぎて死ぬだろうと思っていたので被っていきました。ですが今回の旅行中でニット帽を被っている人はほとんどいませんでした。普通に寒いのに、なぜだろう。むしろ薄着の人も多数いました。彼らの耐寒力はかなりあると思います。

そして最終日。
もはや後半にまでなってくると雪に対する興味も薄れてきます。外が一面の白銀であろうとスマホを構えようとは思わない。外が白銀であろうがいまいが、僕は今日家に帰れるかということしか眼中にない。そう、地震後に仙台一円の電車が軒並みダウンしているなかて茨城県はかなり帰りにくい。翌々日には回復しているだろうという安易な予想は外れた。これは僕の見立てが甘かったということでしかない。さらに厄介なことに僕は今までアプリの時刻表でやってきていたので、多数の路線運休している状態ては、代替路線を探すことすらままならないわけだ。つまり秋田茨城間は数多くの路線を跨ぐ。ある路線が運休しているなかで、別の行き方を探ってみるも接続できるかという問題や、そもそも終点で詰むおそれも出てくる。新幹線でワープすらできない。一瞬秋田にもう一泊する案も浮上したが、次の日だって状況は変わらなそうな気もしたので、とりあえず仙台に向かってみようと思います。

奥羽本線をひたすら乗ります。終点の新庄まできました。新庄から一時間ほど待って山形行きに乗車して羽前千歳で仙山線に乗り換えて仙台に向かおうと思っていましたが、どうも山形新幹線が福島までは運行しているようでした。しかも山形新幹線は福島までは在来線特急みたいなもんなので、福島新庄間は4000円程度ででそれほど高くないんですね。これは乗りだと思ったので切符を購入し、期せずして山形新幹線に乗車することにしました。

ヤフー乗り換えでは当時山形新幹線は運休となっていたので、現地とのタイムラグは厄介だし、読めないです。どこトレってやつを頼りました。

そして多分山形新幹線に乗らずにそのまま仙台に行っていたとすれぱ、東北本線は回復する見込みなさそうなので、多分詰んでいた気がします。そんなわけで一応まだ生き延びているわけですが、調べてみると福島以降も厄介そうだということがわかりました。福島から郡山に着きさえすれば、水郡線と常磐線で帰れると思ったのですが、福島郡山間が運休していて、回復しそうにないという感じです。郡山にさえつけたらなんとかなるのですが、着けないとなると大打撃です。代替手段を探し終旅ます。福島郡山間のバスはなさそう。ただよく調べてみると、福島いわき間はバスがありそうです。いわきに着けばそのまま常磐線を上ればいいだけなのて、希望の火はまだ消えずになんとかねばってくれそうです。

福島に着きました。列車はこまち行きと9時発の郡山だけですね。とりあえずいわき行きのバスは買えました。けど予約制ではなないので、乗れるかはわかりません。10分前に着くと案の定長蛇の列です。並んでいる人の何人かがNHKにインタビューされていました。にしてもざっと40人くらい並んでいそうです。これは次の便になることを覚悟しましたが、なんとか乗れました。ですが4人ほど乗れない人が出てきて急遽後発を出すことになったみたいです。

そして雪が深い。

なんとか帰れそうな見込みがたってきました。

いわきになんとか着きました。そして良い接続の電車があったのて、ギリギリ乗れました。これであとはひたすら乗るだけなのでもう僕の旅は終わったも同然です。そうはいってもあと2時間46分も電車に揺られることになるので、まだあと少しかかります。

ついに夢にまでに見た、かの茨城県かの荒川沖に帰ってきました。改めて思いますけど、茨城県南部の色味のなさといいますか、各市町村の特色のなさに驚きます。もちろんつくばとか石岡とか取手とかありますが、総じて色味があるとは言いにくい気がします。ただ住居とスーパーしかない感じ。おそらくそれは東京という超巨大な引力に吸い寄せられて色味も全部吹き飛んだのではないかと思っています。

住んでいるとこで何がうまいの?

友人に聞かれたことがあります。ただここにはそんなものはまるっきりないのです。忖度なくうまいもないのです。つまり、わざわざこの場所に住もうという感覚がないということです。実家があるから居るということです。そう考えると、自分の町としての一体感がある地域はすごいなと思います。彼らの中では、個人益と町益が存在しているのです。2つの感覚を持ち合わせている。

改めてもう少し色味のあるところに住んでみたいと思いましたし、東北は俄然ありなのです。