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『塔』2024年3月号(2)

夢の中で不誠実だと責めていたあの日笑って許したひとを 田宮智美 自己を殺して無理に許した。その本当の気持ちが夢になって現れた。その人は夢の中でどんな対応をしたのか。夢では、画像ではなく言葉で感じることがある。不誠実、とその夢の中でも思ったのではないか。

温かいお茶を飲んだら「死にたい」は「休みたい」だと気付く真夜中 吉岡昌俊 死にたいという言葉は、休みたい・逃げたい・いまここを離れたい、等の別の表現ではないか、肉体の死は具体的に意識されていなかった、と気付く。真夜中に一人お茶を飲みながら。

ぽっかりと心に穴が空きました いいえもとからあった穴です 川端和夫 初句の副詞と共に上句は慣用表現だが、それを下句の独自な表現で受けている。ユーモラスなやり取りに見えるが、どうしようもない空虚感が漂う。埋めようの無い空虚さなのだ。

醒めるとは昂るおもいあったこと どうだんつつじの火列にふれる 浅井文人 思いが醒めた。醒めた時、それ以前は昂っていたことに気づく。昂ることも醒めることも意志ではどうにもできない。そっとつつじの花に触れてみる。赤いつつじを「火列」と捉えた感性に惹かれる。

聴きすぎてしまえり白き花の声ぬぐいてもぬぐいても消え去らず 吉田典 5・7・5・10・5。この声は誰か他人の声か、主体自身の心の声か。「白き」という形容詞がここでは不吉さを感じさせる。消え入りそうな悲鳴に近い声を聞き過ぎた。どうぬぐっても耳から離れないのだ。

君にとっていい経験だよ実行委員は無理にしろとは言ってませんよ 中島奈美 君のため、とか、君にとっていいこと、等と言いながら、都合良く人を使おうとするセリフ。無理にしろと言っているようなものなのだが。三句八音、長めだがこうしか言えないパンチ力がある。

冬の日の空港となりいつまでもあなたを待ち続けたかったこと 仲原佳 大きな飛行機を容れる空港。空港の地面は広々とでも寒々としている。特に冬は。そんな凍えるような気持ちで、でも広く寛容にあなたを待ち続けたかった。その思いをかなわなかった過去として振り返る。

夕暮に子を呼ぶ声の聞こえくる仮の世なれば仮の名前の 小平厚子 誰かの声を聞いている上句。普通の描写だが、下句で一転。日常と思っている日々は仮の世。ほんの一瞬だけ存在するところなのだ。子の名前も仮の名でしかない。おそらく呼んでいる親や主体自身の名も。

小走りに横断歩道を渡るほど生きたいらしいことが苦しい 姉川司 信号の変わり際に小走りで横断歩道を渡った主体。普段生きることに疑問を持ちがちなのに、物理的な危険があると身体を守ろうとしてしまう。そんな自己矛盾が苦しい。四句、自分を突き放して見ている。

2024.4.10.~15. Twitterより編集再掲

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