トト

まだ2月16日から投稿したばかりです。 自分の事、読書の事、映画の事、漫画の事、落語、…

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まだ2月16日から投稿したばかりです。 自分の事、読書の事、映画の事、漫画の事、落語、旅の話を書いていきます。

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書く ①

書く 書く。 とは、掻くか?古代中国の占い師が、亀の甲羅を引っ掻いて占ったのが文字の、始まりなのであろうか? 古代の人たちは、どんな思いを込めて文字(?)を掻いたものか? 文章を書くのが好きであったけれども、生活に追われてそんな暇が少しもない。 そんな暮らしを7年以上続けてしまい、書くことからとても遠のいてしまった。 その挙げ句、何もかも失って無一文になっていた。 唐突な話のようだが、私は齢55歳で無一文になってしまったのだ。仕事も家も失って、夜逃げして街を彷徨っ

    • ギクッ!! ☆82

      それは、突然だった。 まだ30代の頃、朝起きて、洗顔し、髭を剃っている時に洗面台に手を付いた瞬間、 私はぎっくり腰になってしまった。 物凄い痛みに冷や汗が流れたが、しばらくは微動だに出来ず、対処法も分からず、そのまま立っている他なかった。 その時、自分がどうやって切り抜けたのかもよく覚えていないが、幸い、まだ軽かったので、腰を騙し騙し気遣いながら移動し、時間と共になんとかおさまったような気がする。 ぎっくり腰の原因はよく分からないが、当時の私は、仕事でパソコンの前に

      • 言葉は変わる ☆81

        だいぶ昔、團伊玖磨の『パイプの煙』 (当時人気のエッセイ)を愛読書としており、私は彼をリスペクトしていて、そこに書かれてあったのだが、 團伊玖磨は「支那」という言葉を差別語、侮蔑語とするのがおかしいとの趣旨を述べていた。 昔、そう言って中国人を侮辱する意味で使った日本人が多くいたようで、当時は中国人からそのような意見があったり、風潮があったものか、(今でも?)支那という言葉は使ってはいけないと主張されていたのだろう。 以下はそれに対する團さんの意見だが、英語ではChin

        • 授業 ☆80

          5月18日、19日の土日は大学でのスクーリング(授業)があって、 今日は朝9時から19時40分まで、途中50分の昼休みがあるだけで、ずっと勉強なのだ。 しかも、今日の私は夜勤明けで、8時に仕事を終える所を、上司に頼んで7時30分までの勤務としてもらい、1時間以上かけてスクーリング会場へ向かった。 会場に着いたのは授業が始まる、正に1分前くらいで、なんか体勢が整わない状態で始めてしまったが、 まあ、ギリギリ間に合ったのだから上出来としておこう。 授業内容は「基礎から学

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        書く ①

          後悔 ☆79

          人生で、後悔をした事がない、なんて人は恐らくいないだろう。 私もいまだに後悔を重ねる日々である。 特に若い時は酒を飲み過ぎ、家に帰る筈が何故か横浜の方(真逆)へ着いてしまい、そのまま外で夜を明かした事もあった。 昔は、なぜあんなに酒を飲んだのだろうと不思議に思う程だ。十分に酔い、腹も満ちているのに、まだ飲み続けたのである。 言い訳のようだが、世の中がそういうのに寛容だったのは間違いない。 今はもう、飲んでも水割り2杯でストップしてしまう。昔の私から見たら驚かれるかも

          後悔 ☆79

          風に身をまかせ ☆78

          風にもいろいろあって、 風呂上がりに当る扇風機の風は心地よいが、 「上州のからっ風」と言って群馬県の冬に吹く風の、厳しくて冷たい風は有名である。別名、「赤城おろし」とも呼ばれる。 私は、それを経験した事はないのだけれど、話には聞いていて、 北国育ちだったから、雪が降り積もる前に自転車をこいだ時に、 向かい風があまりにも冷たくて、手も耳も寒くて限界なのに、それでも歯を食いしばってこぎながら、「上州のからっ風」とはこんなものじゃないかしらと、何度となく思っていたものだ。

          風に身をまかせ ☆78

          失われた30年 ☆77

          昨日からの続きみたいになってしまうが、 還暦を前に、過去の自分を振り返ったり、子供の頃好きだったモノを改めて点検し直していて、その作業が正直に楽しい。 絵や、アニメや、漫画や、昆虫、生き物などについて、どうして自分がそういうものに嵌っていたのか、何を追いかけていたのかを問い直している。つまり、還暦前に原点回帰しているのだろう。 バブル経済がはじけてからの日本を「失われた10年」とか、「20年」とか「30年」と表現するのが定着しているようだが、 確かにその間、株価は低迷

          失われた30年 ☆77

          子供のままで ☆76

          来年の誕生日で還暦を迎える予定なのである(今日が誕生日という意味ではない、念のため)。 つまり、干支で1周して、新たに生まれたようなものだと、寿命の短かった昔は還暦を長寿として祝ったのだが、 医学が進歩し、栄養が行き届いている今の日本では、60歳で亡くなったら短命だと嘆かれると思う。 60歳で亡くなった人は、私の大好きな藤山寛美。それから手塚治虫、石ノ森章太郎も60歳で亡くなっている。 けれどこの人達は皆天才と言われ、尚且つ命が擦り切れるほど頑張って仕事し過ぎたから早

          子供のままで ☆76

          野原から続く道 ☆75

          幼稚園に入園する少し前に、 私は海辺の町から(『原風景 ⑫』に書いてある)引越してしまう。 新しい家が嬉しかったのは、本当に目の前くらいに空き地があった事だろう、広さは家10軒分くらいもあったと思う。 そこには多種多様な雑草が生えており、沢山の虫達が棲息していたが、各種のバッタ、コオロギは幼稚園児の私の恰好の獲物となっていた。 もちろん、モンシロチョウ、モンキチョウは言うに及ばず、アゲハ、クロアゲハ、クワガタや、オニヤンマすら時には飛んで来た。 その空き地を、私は「

          野原から続く道 ☆75

          忘れられない、いつまでも ☆74

          絨毯の細かい目に溜まった埃のように、たくさんの記憶が溜まりに溜まっている、 というのが、私の抱いている記憶のイメージである。 それらは、普段は忘れているけど、どうかすると、ふと思い出してしまう、とても鮮明に。 先日ここに書いた、中学時代に異性の先輩と相合傘をした話など(『初恋の日 ☆72』)、 他人からしたら、読んでみてもなんのハプニングも起こらないし、変化球もないストレートボールで、 「金返せ!!」「告れや!!」「押し倒さんかい!!」などと野次が飛んでもおかしくな

          忘れられない、いつまでも ☆74

          辛抱 ☆73

          「桃栗三年柿八年」という諺がある。 何かの結果を出すには、時間が必要だ、早くても2、3年くらい辛抱しなくてはならないのだと戒めたものだろう。 その続きには「梅はすいすい十三年、柚子の大馬鹿十八年、林檎にこにこ二十五年、銀杏のきちがい三十年」なんてのもあって、何となくどこかで聞いた事がある。 でも、覚える必要はない。 多分ゴロが良いから調子に乗って誰かが付け足したのだろう、意味はないのだ。だいたい柚子も林檎も本当はそんなに長くはかからないらしい。 私の経験を話せば、

          辛抱 ☆73

          初恋の日 ☆72

          小1の頃、好きだった娘はいた。名前も今でも覚えてる。漢字で書ける。 けど、それは何となく自分で思い込んでいただけで、何のアクションもとらなかったし、想い焦がれて煩悶した、などという記憶もない。 昭和40年代1965~74年くらいの話だが、我が家では父母から一切の性教育を受けた覚えがない。(他家の事情は全く知らない) ただ、昭和のテレビ番組では、規制が緩く、女性の裸を結構見せていたし、濡れ場も大胆だった。『8時だョ!全員集合』は子供番組である。エンディングで加藤茶が「歯磨

          初恋の日 ☆72

          バイト ☆71

          本業の他に少しバイトをしていたのだが、先月やめてしまった。 今月から通信教育を始めるのでバイトの時間がなくなってしまったのである。 バイトをしていたのは、借金返済のためだが、もともと働くのは好きで苦にならなかった。 私が以前お付き合いしていた女性は、お金に困っていた訳ではないのに、バイトをするのを趣味にしていた。 リゾート地に行って期間限定の仲居さんやったり、試験監督やったりして初体験を楽しんでいた。いろいろ社会見学しながらお金も貰えて一石二鳥だそうな。 世の中色ん

          バイト ☆71

          旅の出逢い ☆70

          1990年代のいつだったか、私は初めて中華人民共和国を旅した。社会主義国家というものを、まだ未体験の私は、多少は緊張していたかも知れない。 私が選んだのは、北京や上海ではなく、桂林(けいりん)だった。 よく水墨画に描かれる神秘的な山の絵は、桂林なのである。 神仙に憧れる私は、インドの旅を経て水墨画の世界を歩いてみたいと思った訳だ。 いや、その頃は香港へも行った事はなく、ついでに香港も見たかったから、香港→広州→桂林のコースを考えていた。 考えていたと言っても、ほぼ無

          旅の出逢い ☆70

          耳を澄まして ☆69

          ラジオが好きだ。 子供の頃は、テレビっ子で、朝から晩まであらゆる番組を見続けていたくらいだが、 何となく詰まらなく思えて来て、 昭和天皇が崩御された年、たまたま我家のテレビに寿命が来て壊れたが、 同年、手塚治虫も美空ひばりも松田優作も亡くなり、トドメをさされた。完全に心が挫けて新しいテレビを買うのをやめてしまった。 実際、この頃のラジオは面白かった。(もちろん今も面白いが)文化放送の「吉田照美のやる気MANMAN!」もこの頃だし、「大沢悠里のゆうゆうワイド」では永六

          耳を澄まして ☆69

          カラフル ☆68

          小4くらいの時の話。図画工作の課題に「ステンドグラス」が出た。 小学生の事だから、本物のガラスではなく、黒い画用紙をカッターで切り絵のようにくり抜いて、裏からセロハンフィルムを貼ったものを、そう呼んでいた。 普通の絵とは違うので、クラスメート達はみな図案に悩まされているようだったが、 私は瞬時にアイディアが浮かび、黙々と作業を進めていた。 画面いっぱいに、大きくアゲハチョウの絵を描いて、切り抜いたのである。 私は図画工作が得意であったし、本来が昆虫少年なのだから(虫

          カラフル ☆68