早野 潔

総合商社で31年、スタートアップで8か月、ビジネススクールで3年務めたのち、24年4月…

早野 潔

総合商社で31年、スタートアップで8か月、ビジネススクールで3年務めたのち、24年4月に起業しました。社会人になって以来、マーケットに関わって来たので、人生と投資について書いて行きたいと思います。

最近の記事

【人生と投資、時々映画】日本を米国が本気で恐れていた時代(2024/5/2)

何故、商社マンになったのか、時々問われます。 理由はいろいろあって、金融機関にはアバウトでいい加減な自分は向いていないと思ったこと、天邪鬼な性格なので、官僚にはなりたく無かったこと、勉強が好きではなかったので、学者は無理だと思ったこと。しかし、何よりもやはり海外に行きたかったことが最大の理由でした。 では、何故、海外に行きたかったのか、それには学生時代に会った一人の日本人ビジネスマンの存在があります。その方の名は、和田貞實、またの名をクリス和田と言います。 話は33年前に遡り

    • 【人生と投資、時々映画】ラリーからのメッセージ(24/4/25)

      24年前の事です。 当時はインターネットバブル(この時は「バブル」ではなく「ブーム」と呼ばれていました。)の真っただ中で、2000年3月にナスダック総合指数は史上最高値、5,048ポイントをつけました。しかし、4月に入るとバブルは弾け、雰囲気は一転。底なし沼のように下落。結局ナスダック指数は2002年に1,100ポイントの底値を付け、インターネットバブルは終わった、と言われました。(ナスダック指数が5,048ポイントの高値を更新するのはそれから13年たった2015年の事です。

      • 【人生と投資、時々映画】あなたの適正価値はいくらですか?(24/4/18)

        忘れられない思い出があります。 もう30年近く前、私は商社の若手研修員としてロンドンの現地法人に派遣されました。国際金融の現場で為替ディーリングを習得するためでした。最初の1ヶ月は邦銀、続いて外銀に放り込まれ、そこでまず為替市場とはどういうものか、生で経験して学び取れ、と命じられたのです。外銀での研修中に私は同じ年代のマークという男と仲良くなりました。ラグビー好きという共通項から不思議とウマが会い、何度かパブで馬鹿話に興じたものでした。 ある日の事、仕事の終わり掛けに、私はマ

        • 【人生と投資、時々映画】はじめまして(24/4/11)

          はじめまして。 このほど会社員人生を卒業し、3月末に個人会社を設立しました、早野潔と申します。会社人生30年余りで、総合商社に31年、スタートアップに8か月、最後の3年間は関西のビジネススクールで客員教授の副業をやっていました。ずっと為替や株式のマーケットに関わる仕事をして来たので、ここでも経済やマネーに関わる情報を提供できれば、と思います。もう54歳のオッサンですので、あまり熱くならず、肩ひじの張らない形で市場に関する情報をお届けしていくつもりです。 最近は新NISAが始ま

        【人生と投資、時々映画】日本を米国が本気で恐れていた時代(2024/5/2)