海と羊/sheep by the ocean

羊の群れが船を降り、浜を上がって牧場へ。囲って歩く数人の羊飼い。羊たちはこの土地のこと…

海と羊/sheep by the ocean

羊の群れが船を降り、浜を上がって牧場へ。囲って歩く数人の羊飼い。羊たちはこの土地のことを知っているらしい…。記憶や自然、食べ物、社会のことなどを綴ります。文筆羊。生まれは瀬戸内、塩田のあった町。

記事一覧

#16 能登へ(3)

「すずなり館」から東へ歩くこと8.8 km。 粟津地区に着いたのは正午ごろだった。 予定していた時間内に折り返し地点に達し、あとは15時のバスに間に合うように元来た道を戻…

#15 能登へ(2)

3月30日朝10時過ぎ、北陸鉄道の珠洲特急線バスが終着地「すずなり館前」に到着した。 私はバスを降りると、その場には留まらず、すぐに予定の行程に向けて歩き出した。 …

#14 能登へ(1)

前回の記事からあっという間にひと月が経った。 先月中旬に三里塚から瀬戸内へ戻ったが、同月末にまた三里塚へ移動して今に至っている。 今年に入って3度目の三里塚滞在だ…

#13 三里塚にて(3.11思いつくままに)

(*公開が1秒遅れて12日になった…) 2月29日の夜、三里塚に戻ってきた。 戻ってきたと言っても、ずっとではなく、17日にはまた西へ帰る。 今回の滞在は予定していたもの…

#12 瀬戸内にて

こんにちは(こんばんは)。 12月29日夜の新幹線で瀬戸内の実家に戻ってきました。 今は翌日30日の夜(公開時は31日)、実家の部屋で書いています。 冒頭の写真は、実家付…

#11 出版以降のこと

こんにちは、久々noteに戻って参りました。 #10記事で 、次回はシンポジウムについて書くと予告しておきながら、何も書かぬままシンポジウムが終わり、早や今年が終わろうと…

#10 羊本、生まれる

noteの執筆をしばらく放置してしまい失礼致しました。 この期間に2本書いてはいたのですが、多忙だったこともあってアップロードに及ばず、結果的に賞味期限が過ぎてしま…

#9 誰も知らない「羊の仙人」

前回の終わりに、谷邨一佐という人物に触れました。谷邨は、戦後の新聞などで「羊の仙人」と呼ばれた人でしたが、残念ながら現在ではすっかり忘れられ、顧みられることはほ…

#8 「羊」の道に迷い込む

三里塚に引っ越してまもない頃、私の頭の中には、下総御料牧場の歴史を調べるという目的はあっても、日本の牧羊史の取材をするという考えはまだありませんでした。 まずは…

#7 なぜ羊を飼うのか

ところで、なぜ日本人が羊を飼うようになったのか。 そして、なぜ今も羊を飼っているのか。 この問いはとても深く、容易に答えることはできません。 これまで下総の牧場の…

#6 牧場のあとへ

2014年8月、私は勤めていた会社を辞めてフリーになり、東京都下から千葉県成田市へと居を移しました。引っ越した理由は前回まで書いてきたとおり、成田空港ができる以前の…

#5 震災を経て

こうしてnoteを書いている今、私は、航空機のエンジン音が窓外から時おり聞こえるアパートに暮らしています。天候にもよりますが、朝6時ごろになると空港のほうから巨大な…

#4 航空機の窓から見た景色

前回、「塩と下駄」から私の中に植えられた種のことを記しました。その種は、大学生になって上京した私の中に宿ったまま、十数年眠り続けていました。そのあいだに私は、ほ…

#3 塩と下駄 /Of salt and wooden clogs

初回の自己紹介のあと、2回目に少し脱線しましたが、ここからは予定していたとおり、私が三里塚で取材を始めるまでに遭遇したいくつかの出来事や記憶を記していきます。 …

#2 雨乞いは雨が降るまで/Rainmaking must be continued until it begins to rain

計画というのは、どうも想定どおりに運ばないものですね。#1を書きながら、続きを考えていたのですが、さっそく内容変更が生じました。とはいえ、「なぜ今の自分があるのか…

#1 海と羊/Sheep by the ocean

初めまして、山本佳典(やまもと・けいすけ)です。このnoteに目を向けてくださりありがとうございます。どこまで続けられるか分かりませんが、備忘録的な過去と、現在から…

#16 能登へ(3)

#16 能登へ(3)

「すずなり館」から東へ歩くこと8.8 km。
粟津地区に着いたのは正午ごろだった。
予定していた時間内に折り返し地点に達し、あとは15時のバスに間に合うように元来た道を戻ればよかった。

前回記したとおり、粟津では、製塩業を営んでいた事業者の方のことを、偶々出会った地元の方に教えてもらった。
辛い事実を聞いた上で、ご親族の元を訪ねる気にはとてもなれなかった。
海岸沿いの道を歩き、持参してきた「能登

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#15 能登へ(2)

#15 能登へ(2)

3月30日朝10時過ぎ、北陸鉄道の珠洲特急線バスが終着地「すずなり館前」に到着した。
私はバスを降りると、その場には留まらず、すぐに予定の行程に向けて歩き出した。

行く先は、珠洲市三崎町の粟津海岸。
Googleマップで測ると、すずなり館から8.8km離れている。
そこまでの往路と、折り返して復路の最終地となる珠洲市役所前までの距離を合わせると約20kmの行程だ。
帰りのバスは15時発だから滞在

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#14 能登へ(1)

#14 能登へ(1)

前回の記事からあっという間にひと月が経った。
先月中旬に三里塚から瀬戸内へ戻ったが、同月末にまた三里塚へ移動して今に至っている。
今年に入って3度目の三里塚滞在だ。
二拠点生活と言っても、当初の計画ではこんなに頻繁に移動を繰り返すつもりはなかった。
様々な事情からそうすることを選んでいるわけで、結果として良かったこともあれば、一方に移動したため、他方で諦めざるを得ないこともあった。
移動を繰り返し

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#13 三里塚にて(3.11思いつくままに)

#13 三里塚にて(3.11思いつくままに)

(*公開が1秒遅れて12日になった…)
2月29日の夜、三里塚に戻ってきた。
戻ってきたと言っても、ずっとではなく、17日にはまた西へ帰る。
今回の滞在は予定していたものではなかったけれど、結果的には良かったし、それだけ三里塚での10年近い暮らしがまだまだ尾を引いていて、簡単には区切れないということなのだと改めて自覚することができた。

一昨日は那須へ取材に出かけた。
谷邨一佐の牧場跡を探して歩き

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#12 瀬戸内にて

#12 瀬戸内にて

こんにちは(こんばんは)。
12月29日夜の新幹線で瀬戸内の実家に戻ってきました。
今は翌日30日の夜(公開時は31日)、実家の部屋で書いています。
冒頭の写真は、実家付近の懐かしい風景です。

29日は帰郷前の片付けで夕方近くまで三里塚の住まいにいましたが、結局、全てを片付け切ったと言うには程遠い状態で旅立つことになりました。
来年から、瀬戸内での滞在時間を長くし、成田には3ヶ月に1回程度のペー

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#11 出版以降のこと

#11 出版以降のこと

こんにちは、久々noteに戻って参りました。 #10記事で 、次回はシンポジウムについて書くと予告しておきながら、何も書かぬままシンポジウムが終わり、早や今年が終わろうとしています。
以下、簡単ですが、『羊と日本人』出版以降のことを振り返ります。
そのあと、回を分けて、来年以降のことを書いていこうと思います。

たくさんの出会いと機会

3月末、彩流社さんから『羊と日本人 波乱に満ちたもう一つの近現

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#10 羊本、生まれる

#10 羊本、生まれる

noteの執筆をしばらく放置してしまい失礼致しました。
この期間に2本書いてはいたのですが、多忙だったこともあってアップロードに及ばず、結果的に賞味期限が過ぎてしまったのでお蔵入りとなりました。
2本の内容は、3/11の羊牧場訪問と、ラム酒について、でした。

さて、気を取り直して新たな稿を書きましょう。
表題のとおり、先月末、ようやく羊本が生まれました。
現在の住まいのある三里塚に越してから8年

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#9 誰も知らない「羊の仙人」

#9 誰も知らない「羊の仙人」

前回の終わりに、谷邨一佐という人物に触れました。谷邨は、戦後の新聞などで「羊の仙人」と呼ばれた人でしたが、残念ながら現在ではすっかり忘れられ、顧みられることはほとんどありません。しかし、私にとってこの人の人生は非常に興味深く、いつか伝記を書きたいとさえ思っています。

既存の書物などの中に見られる谷邨一佐への言及は、北海道開拓使に関する著作『奎普竜将軍:附・グラント大統領来朝の真相』や、明治時代の

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#8 「羊」の道に迷い込む

#8 「羊」の道に迷い込む

三里塚に引っ越してまもない頃、私の頭の中には、下総御料牧場の歴史を調べるという目的はあっても、日本の牧羊史の取材をするという考えはまだありませんでした。
まずは牧場の全容を知るところから始めよう、と歩き始めたわけです。

ところが、調べ始めてまもなく、宮内庁書陵部の宮内公文書館を中心に未調査の牧場関連資料が多く存在することが分かり、牧場全体の歴史を捉えるには相当の時間を要することがはっきりしました

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#7 なぜ羊を飼うのか

#7 なぜ羊を飼うのか

ところで、なぜ日本人が羊を飼うようになったのか。
そして、なぜ今も羊を飼っているのか。
この問いはとても深く、容易に答えることはできません。
これまで下総の牧場の羊について書きながら、そのことを繰り返し考えてきました。
出会う羊飼いに、なぜ羊を飼っているのかを聞くようにしました。
みんなそれぞれの理由があり、「自分でもなぜか分からない」という答えもありました。

私の知る限り、18世紀以前の日本に

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#6 牧場のあとへ

#6 牧場のあとへ

2014年8月、私は勤めていた会社を辞めてフリーになり、東京都下から千葉県成田市へと居を移しました。引っ越した理由は前回まで書いてきたとおり、成田空港ができる以前の地域のことを取材するためです。そこは三里塚と呼ばれ、佐藤栄作内閣によって空港建設予定地として閣議決定されて以来、土地の農民と全国の新左翼党派の若者たちによる闘争の地として知られるようになりましたが、闘争以前は大きな牧場を中心とした農村地

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#5 震災を経て

#5 震災を経て

こうしてnoteを書いている今、私は、航空機のエンジン音が窓外から時おり聞こえるアパートに暮らしています。天候にもよりますが、朝6時ごろになると空港のほうから巨大なタービンの唸りが響いてきます。もっとも、滑走路先の航路直下に位置する地域のような深刻な状況ではなく、巨大な鶏がわりと近くで鳴いているというぐらいの許容範囲ではあります。

さて前回、航空記者として働き出してまもなく、成田空港の周りを初め

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#4 航空機の窓から見た景色

#4 航空機の窓から見た景色

前回、「塩と下駄」から私の中に植えられた種のことを記しました。その種は、大学生になって上京した私の中に宿ったまま、十数年眠り続けていました。そのあいだに私は、ほかの若者たちと同じように様々な経験をし、たくさんの情報を取り込み、試行錯誤しながら自分の道を進もうとしていました。

「航空機の窓から見た景色」も、そうした多感な時期にたくさん見たものの一つでした。きっと同じ時代を生きる多くの人たちがそうで

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#3 塩と下駄 /Of salt and wooden clogs

#3 塩と下駄 /Of salt and wooden clogs

初回の自己紹介のあと、2回目に少し脱線しましたが、ここからは予定していたとおり、私が三里塚で取材を始めるまでに遭遇したいくつかの出来事や記憶を記していきます。

最初は「塩と下駄」。なんだか民俗学のような響きですね。これらは、瀬戸内海に面した「松永」という私の故郷でかつて生産されていた二大産品です。

松永はもともと、沼隈半島と島々に囲まれた静かな湾に面した浜辺の村でした。江戸時代初期以降、潮の満

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#2 雨乞いは雨が降るまで/Rainmaking must be continued until it begins to rain

#2 雨乞いは雨が降るまで/Rainmaking must be continued until it begins to rain

計画というのは、どうも想定どおりに運ばないものですね。#1を書きながら、続きを考えていたのですが、さっそく内容変更が生じました。とはいえ、「なぜ今の自分があるのか」を語ることは大筋変わりません。

前回書いたとおり、私は2014年夏に成田市三里塚に居を移して暮らし始めました。当地に昭和44年まで存在した下総御料牧場の歴史を調べ、その成果を通じて、何かしら地域に貢献できたらという思いで取材活動を始め

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#1 海と羊/Sheep by the ocean

#1 海と羊/Sheep by the ocean

初めまして、山本佳典(やまもと・けいすけ)です。このnoteに目を向けてくださりありがとうございます。どこまで続けられるか分かりませんが、備忘録的な過去と、現在から将来に向けた思考のあいだを行きつ戻りつしながらゆっくりと書いていきます。

まずは簡単な自己紹介。私は昭和56年、広島県の海辺の町に生まれ、大学入学で上京、海外留学を経て東京に戻り、専門紙新聞社などを転々としたのち、2014年夏から個人

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