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【漫画】『源氏物語』ってどんな話? ー 空蝉の物語にひそむ催馬楽の意味 ー

世界最古の長編小説『源氏物語』。今回は着物を脱いで源氏から逃れたことで有名な、空蝉の物語の紹介です。

なんとも評価し難い源氏の行為ですが…この「空蝉の物語」、最近読み返して驚いたことがありました。
それは、人妻の略奪とも言えるこの行為が源氏の単独犯ではなく、紀伊守との共謀の中で行われたのでは、ということです。

このあたりの解釈は、物語内の歌をどう読む解くかということも絡んでいて、現代語訳を読むだけではちょっと気づけない箇所なのですが…とても興味深いので詳しく紹介していきたいと思います。


源氏と紀伊守のあやしい会話 ー 源氏が引用した催馬楽さいばらの意味

『源氏物語』第2帖「帚木ははきぎ」の空蝉の段は、急遽紀伊守邸を訪れた源氏が、偶然そこに居合わせた空蝉に興味をもち、皆が寝静まったあと彼女の寝ているところへ忍び込む…というお話です。
それまでに源氏は紀伊守にさりげなく空蝉の居場所を尋ねており、その情報をもとに寝所へ入るという流れ。

ここだけ読むと、紀伊守も空蝉と同じく源氏の被害者のような印象ですが、必ずしもそうとは言えません。
源氏との会話の中に、紀伊守の関与をほのめかす箇所があるのです。

早速問題の箇所を見てみましょう。

「とばり帳も、いかにぞは。さる方の心もとなくては、めざましき饗応ならむ」とのたまへば、「何よけむとも、えうけたまはらず」と、かしこまりてさぶらふ。

紫式部『源氏物語』第2帖「帚木」より


与謝野晶子の現代語訳はこんな感じ。

帷帳いちょうの準備も、いかがなっておるか。そうした方面の趣向もなくては、興醒めなもてなしであろう」と(源氏が)おっしゃると、「はて、何がお気に召しますやら、わかりませんので」と(紀伊守は)恐縮して控えている。

紫式部『源氏物語』第2帖「帚木」より
現代語訳は与謝野晶子
※()内は筆者注


この箇所、これまで私は「『とばり帳』とは何のことやら、几帳のようなものかな、部屋の装飾をもっときちんとしろということかな」なんて思って読み飛ばしていたのですが…
実は源氏のこのセリフ、催馬楽の引用だというのです…!

催馬楽とは平安時代に流行した歌謡の一種。庶民の歌が公卿たちにも浸透し、楽器の伴奏を添えて歌われるようになったイメージです。
その中に「我家わいへん」という歌があり、歌詞の全容は次のようになっています。

我家わいへんは 帷帳とばりちやうも垂れたるを
大君来ませ 聟にせむ
御肴みさかなに何よけむ
あわび 栄螺さだをかか 石陰子かせよけむ
鮑 栄螺か 石陰子よけむ

(私の家は 御簾や几帳を垂らして飾ってあります。
大君さまおいでなさい 婿入りなさいませ
お酒の肴は何にしましょう
アワビかサザエか それともウニがお好みですか
アワビかサザエか それともウニがお好みですか)

催馬楽より「我家」
現代語訳は紅玉薔薇屋敷さんのHPを参照

渋谷栄一氏のHP「源氏物語の世界 再編集版」でこの箇所の注釈をみると「鮑はその形が女陰に似ている」とあります。つまり源氏は、催馬楽の歌詞を引用して、女の準備はどうなっているのかと紀伊守に要求しているのです…!


空蝉の強固な貞操観念と催馬楽の放縦さ ー 紫式部の描く平安時代の女性像

これに対する紀伊守の答えは「何よけむとも、えうけたまはらず」。
「何がお気に召しますやら、わかりませんので」というもので、源氏の要求を回避しているように見えます。

しかし、ここも言葉通りに読んではいけない箇所でして…
紀伊守のセリフの「何よけむ」は、実は催馬楽の「我家」の歌詞「御肴に何よけむ」の引用です。
つまり紀伊守は、表面上は断りながら、源氏が述べたものと同じ歌を引用してみせることで「十分にわかっております」という意を暗に示している、というわけです。

実際、この後、源氏が空蝉の居場所を尋ねた際には「皆、下屋におろしはべりぬるを、えやまかりおりあへざりし(皆、下屋に下がらせましたが、まだ下がりきらないで残っているかも知れません)」と答えており、源氏のお相手を用意しているとも読み取れます。

実際にこの会話をどう訳すかは、人によって異なるようで、紀伊守は源氏の魂胆に気づいてないと解釈している方もいらっしゃいます。

しかし、平安貴族の男性が女性のもとに「夜這う」とき、それは泥棒が忍び込むように行われたのではなく、夜這い先の家の者の手引きによって実現されたケースが多いようです。

現に源氏がこのあと空蝉のもとに忍ぶときは彼女の弟・小君に案内させていますし、他の女性のもとへ行く場合はその女性の側に仕える女房に手引きさせたりしています。
貴公子たちはまず女房を手懐け(このとき本命の女性より先に女房と恋人関係になることも)、その女房の手引きがあってようやく本命の女性に辿り着くというわけです。

当時の屋敷は広いため、灯りもない中目当ての女性のもとに辿り着くのは至難の業ですから、こうした手続きを踏むのも当然でしょうか。
となると、「空蝉の物語」にあるような寝所での人違いというのもお話の中だけのことではなかったのかもしれません。そう考えると当時の女性の身の置きどころのなさはかなりのものだったと思うのです。

そうした状況に置かれていたからでしょうか。空蝉はかなり警戒心が強く、あの手この手で源氏との接触を回避します。
内心惹かれつつも、自身が既婚者であることや身分の低いことを理由に源氏を拒む。空蝉はかなり強固な貞操観念をもっています。

しかし空蝉だけでなく『源氏物語』のメイン・キャラクターとも言えるヒロインたちのほとんどは、慎み深く貞淑な性格をしています。しかもその“貞淑さ“は男性に好かれるための飾りではなく、自尊心を守り人生を振り回されないための守り刀のようなものなのです。
作者である紫式部は、男性中心の社会に生きながらも自身を貫く賢い女性を、理想の姿として描きたかったのかもしれません。

しかしそうなると、『源氏物語』に引用される催馬楽の、性に対するおおらかさは何なのでしょう。
物語に出てくる女性たちは貞淑な妻でありながら、同時に催馬楽の卑猥ともみれる歌詞を”常識“として知っている様子です。紫式部は、歌のシーンを取り入れたり会話や地の文に歌詞を引用することで、物語の中に催馬楽のもつ放縦なイメージを滑り込ませ、性を暗示してしているように思われます。

先ほど当時の女性の身の置きどころのなさについて述べましたが、『源氏物語』が広く女性たちに支持されていたことを考えると、平安時代の女性は性的な出来事をもっと自然に受けとめていたのかも…と思えてしまいます。
「空蝉の物語」では、源氏の略奪行為に加担するのは紀伊守と小君で、2人とも男性ですが、他の場面では女性が源氏に協力していますし、空蝉も、不測の事態とはいえ、義理の娘である軒端の荻を源氏に娶らせているわけですから。
空蝉の必死の抵抗も、当時の性事情を熟知しているからこそとも取れるのです。

催馬楽を通してみるとまったく違う様相を示す『源氏物語』。当時の女性たちが社会をどのように眺めていたか知るために、もっと勉強したいと思うのでした。


【参考】

瀬戸内寂聴(2008)『寂聴源氏塾』集英社文庫


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