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春ピリカグランプリ入賞作品

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2023年・春ピリカグランプリ入賞作品マガジンです。
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記事一覧

掌篇小説『夜の指』

仮名や英字、奇妙な図形や流線が節操ない色で光り踊る、夜。 郁にすれば、異星の街。 その店の硝子扉をひらく。 幾何学模様のモザイク壁、艶めく橙の革椅子……最奥には、ピアノ。 客はスーツの膨らんだ男ばかり。煙草と酒に澱む彼等には、乳白の地にあわく杜若の咲く袷を着た清らな訪問者は、それこそ異星人に映ったろう。 店にもう独り、又別の星からの女。 ピアノに撓だれる歌。数多のカラーピンで纏められた要塞の如き黒髪、ゴールドのコンタクトの眼、裸より淫靡なスパンコールドレス…… ……そし

太陽のへその緒 #春ピリカ応募

 黄色い絵の具を塗り込めたような冷たい表面に指を押し当てると、確かな手応えと共に明るい香りが解き放たれた。樹は指の力が抜けてしまった。その手から咲がそっと晩柑を取る。咲の手はごつくて褐色で、爪の周りに土がこびりついている。樹は背を丸め、光る青空に甘い香りが溶けていくのを眺めた。  昨日も晴れて、暑かった。小さな無人駅を出ると青い軽が停まっていて、咲が手を振っていた。「迎えなんてよかったのに」と言えば、「弟のしけた顔見に来たんや」と咲は笑った。がなるような洋楽を蜜柑畑に響かせ

こゆびくんと赤い糸

こゆびくんのご主人は、 とっても怖いおじさんでした。 ある日おじさんは仕事を失敗して、 おやぶんにこゆびを切られました。 ドンッ コロコロコロコロ こゆびはコロコロころがって、 手足が生えて、 こゆびくんになりました。 おじさんはこゆびくんをおいかけたけど、 こゆびくんは怖くてにげました。 たどりついたのは、おじさんがうまれたおうち。 でも、もうそこはあきちでした。 こゆびくんは泣きました。 うまれたおうちは、もうありません。 こゆびくんはおじさんと ずっといっ

【創作】ぐっぱ!

居室のドアが開く音がして、担当のピーくんが入って来た。 「おはよー」と言いながらカーテンを開ける。 ピーくんは新米介護士だ。 俺は「おはよー」と言う代わりにベッドの中で足の指をぎゅっとした。 ピーくんには届かないけど。 挨拶はしたいからね。 「タクくん、起きてる?よく眠れた?」なんて今日は話しかけてくる。 なんかわざとらしく。 目が覚めるとだんだんと痰が上がってくる。 少しゴロゴロ音がし始めた。 「あ、今引くよ」 ピーくんはささっと痰吸引をする。 どうした? いつもはだ

【掌編】ダストテイル、朧げ。

妹の指は丸い。 赤ん坊のように膨らみがあり、ぶよぶよしている。脂肪ではない。動かすことがないので、浮腫んでいるのだ。 不自由なのは右手だけで、健常である左の指はそうではない。五歳の子に相応しい長さと器用さを備え、そちらであればピアノを弾くのに支障はない。 「お兄ちゃんとレンダンしたい」 何がきっかけか、急に妹はそう主張を始めた。僕と同じ教室を選び、同じ先生に師事。当然ながら演奏できるのは左手のみで、通常僕らが右でなぞる主旋律を、妹はそちらで辿々しく鳴らす。 次の発表

断たれた指の記憶 《#春ピリカグランプリ個人賞受賞作》

「じいさん、天国でゆっくり休んでな」 祖母は優しく声をかけ、そっと棺から離れた。 火葬場の係員が点火ボタンを押す指先を、私は直視できなかった。 親が離婚してから、私はよく祖父母の家に預けられた。ピーマンも食べろなんて言われないし、玩具を片付けなくても叱られない。 だけど心地よい記憶の中に、僅かに抜け落ちたパズルのピースがあるような気がして、時折指先がむず痒くなる。 祖母が居ない日曜。 祖父と二人きりの曇天。 かくれんぼしようと言い出したのはどっちだったか。 農具置き場の蔵

「指の綾子」考 #春ピリカ応募

 昔書いた掌編小説で「指の綾子」という話がある。題名は覚えているのだが、内容をさっぱり思い出せない。「綾子」というのは、当時私の勤めていた食品工場の同僚の名前である。彼女は撹拌機に巻き込まれ、指だけを残してその他の体を粉々に砕かれた。親しい同僚の凄惨な最期を見た私は気が動転してしまい、綾子の指を隠し持って早退した。  その後医療の進歩と世界的な倫理観の崩壊と私の借金と引き換えに、指だけの綾子は培養技術により全身を復活させ、私の妻として家にいる。「事故」「工場」「切断」といっ

われらのピース

それはまるでこの世のものではないような景色だった。 一面の雲の上。太陽が白い光を放ち、雲や私たちを照らしている。 父は横にいた。私たちはただ呼吸だけをしていた。 小学4年。私は富士山に登頂した。父は登山が好きだった。私の兄と姉と同じように、父は私を富士山に登らせたかったのだ。 「先生、処置はどうしますか?」 看護師がこちらを見ている。私はふと我に帰る。ここは都内の大学病院。待合室のテレビには富士山が映っていた。あれから20年、私は医療の道に進んだ。 私はいつしか、

ファティマの指|春ピリカグランプリ2023個人賞受賞作|

 ファティマの左手には、薬指がない。  何が起きたのかは、今でもわからない。  此処は、ファティマが生まれた大地だ。ザックの中に、ファティマの遺骨を背負い、瓦礫の街を歩く。遠くには、美しい山河。地獄は、天国の中にある。  キャンプ地に辿り着くと、世界中から集まった医療スタッフたちが、眩しい笑顔で迎えてくれた。様々な色の肌、瞳、髪。それぞれが皆、美しい。私を「ガイジン」と呼ぶ人は、此処にはいないだろう。手を振って、呟いた。 「ファティマ。指を探しに来たよ」  息を吸い込

モギー虎司と大きな鳥 #春ピリカ応募

 優太は休日、依頼されれば無償で老人ホームなどの施設を訪問している。今日はいつもと違い、母親に頼まれて父親の道具が入った重たい鞄を担いでいるというのに、駅前を見渡すと、鳥の形をした大きなモニュメントがあるきりで、バス停もタクシー乗り場もなく、目的地へは徒歩で行くしかなかった。 「ますます親父が嫌いになるよ」  優太の父親はモギー虎司という手品師だった。  山高帽に燕尾服がトレードマークで人気があった。演芸場の楽屋で出番を控えた落語家に「お前の父ちゃんの芸はいつ見てもおもしれ

ひとさし指の世襲【春ピリカ2023】

ららぽーとに辿り着きたいのに、ひとけのない鳥取砂丘がどこまでも広がっている。 スマホの指紋認証が反応しないせいで、Googleマップは使えなかった。 待ち合わせ時間を忘れたのでどれくらい遅刻しているのか分からない。新品のマキシワンピースをたくし上げて大股で地平線めがけて突き進んでいるけれど、方角が合っているかも定かじゃなかった。 あたりは明け方まで春一番が吹き荒れていたのが嘘みたいな凪。砂紋がいちめん描きつけられた鳥取砂丘のあちこちに、鯉のぼりが突き立っている。 「地図あ

アルファ博士のピアノロボット

「ロボットの理想形はヒューマノイド……人の姿のロボットなのです」  天才科学者とうたわれたアルファ博士は、彼のオフィスで雑誌のインタビューにそう答えた。  人間は手足を器用に用い発展してきた。  その営みを模倣してこそ人類に貢献できるロボットが生み出せる、と。 「それに人と似ている方が親しみを持てます。ヒューマノイドはみなさんの良き隣人となりますよ」  その記事は天才の彼が人型ロボットの開発に注力することを世に宣伝するためのものだった。誌面には大企業と共同で開発中の人

🎖️ ピリカグランプリ すまスパ賞|ショートショート|誰モガ・フィンガー・オン・ユア・トリガー

「私がピストルの引金を引くのは上司に頼まれたからなの。決して私自身が好き好んでではなく……」と彼女は呟き、静かに水を飲んだ。 「それが役割ですから」と僕は返したが、自分でも気の利かない発言だなと思いゲンナリした。それで慌てて付け加えた。「あなたのおかげで静止した世界が動き出すんです。その先には喜びも悲しみもあるけれど、それはあなたのせいじゃない。まずは誇りを持たないと」  彼女と僕は仕事仲間だ。だから彼女の苦悩も分かるつもり。上からの指示をこなす日々に嫌気がさすこともある。

背中をなぞる指 #春ピリカ応募作品

私の背中を何かが触れる。 背骨に沿ってなぞるように誰かの指が、一糸纏わぬ私の背中を這っている。 夢を見ていた。 昔つきあっていた彼との夢。 微睡みの中で彼の指であって欲しいと願った。 ぼんやりとした意識が少しだけ現実に近づいてくる。 相変わらず私の背筋を2本の指が往復している。 その腕を掴もうと背中の方に手を伸ばす。 が、そこに腕はない。 背中を這う指の感触があるだけだ。 はっ、と我にかえりベッドの左側を振り返る。 そこには何もなく、誰もいない。 背中を這う指の感触も消