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こんな時どうする?   見知らぬ土地で置いてけぼり。


2015年の夏、よくある海外添乗員つきバスツアーに参加した。

旅程は、ロンドンからバスでアムステルダム、ベルギーのブルージュ、フランスの港カレイからイギリスへフェリーで戻るという単純なもの。

ロンドンから、一人で参加した私はその旅程で同じく一人参加をしていたコロンビア人のケイトと仲良くなり、道中をともにすごした。
写真には満面の笑顔の私たちが映っている。
アムステルダムの夜までは。

翌昼に観光バスはベルギーのブルージュへ到着した。

観光バスから下車した我々は、ブルージュの広場で添乗員に集合時間を告げられ、自由行動へと移行した。

これといった目当てはないが、適当に路地を進み、気になった店舗へ適当に入ってみる。

ブルージュは、それはそれは美しい中世の街並みを残した旧市街であり、入り組んだ路地はまるでRPGのゲームの世界へ迷い込んだような錯覚を覚えた。

そんなことを繰り返しているうちに集合時間は近づきあの広場へ戻る。はずだった。

来た道を戻る。それだけのはずだったが、ブルージュの旧市街はどの道も、観光客にはおおよそ見分けがつかないほど非常によく似ていた。

私たちの携帯電話はベルギーでは使えなかった。地図アプリは使えない。
似たような路地の中で、方向感覚は不能になり、広場へたどり着いた時には、ツアー客はひとりも見当たらなかった。
集合時間は既に約7分オーバーしていた。

全力でバスの停留所へ向かうが、見覚えのあるバスはなかった。

バスは出発してしまったのだ。
私とケイトはこの見知らぬ土地で、観光バスに置いていかれてしまった。
しかも荷物はバスの中だ。

そして最悪なことに、私は翌日にロサンゼルスへのフライトを控えていた。
ハイシーズンの航空券は高額で、当時の日本円で片道13万円。再び買える財力はない。

つまり、私はなんとしても今日中にバスに追いつき、荷物を回収し、翌朝ロンドンからロスに飛ばなければならなかった。
絶対にバスに追いつかなければ。

近くのカフェを探し、電話を借りた。
添乗員へ電話をしたところ、バスは約1時間後にフランスの港町カレイに到着し、イギリスまでのフェリーに乗るという。
リミットは一時間。一時間でカレイまで辿りつかなければならない。

ブルージュからフランスのカレイへの鉄道はない。
タクシーに声をかけるが、どのドライバーにも、夕方をすぎるこんな時間帯に国境は超えないと無下に断られた。
信じられないが、ブルージュのタクシーは夕方には仕事仕舞いのようだ。

ましてカレイまでの距離を訪ねると120キロ先にあるという。120キロ先の街に一時間でたどり着くためには、時速120キロで走らなければならないのだ。
タクシーに、そんな速度がだせるだろうか?

そうして私の口からでた、タクシードライバーへの一言は。

「今すぐここに来られる、高級車に乗っている知人はいないだろうか? 200ユーロでカレイまで連れていってほしい。」

針の穴を通すような確率の話だとは自分でも思っていた。危険だと思わないわけでもなかった。それでも他に1時間で120キロ先にたどり着く方法は思い浮かばなかった。

だが彼はおもむろに携帯電話を取り出し、フランス語で何かを話したあと、私たちに5分待てと言った。

まさか。

自分で提案しておきながら奇跡に近いと思った。もしくは騙されて誘拐でもされるのではないかとも思ったが、5分後に到着したメルセデスに私は乗った。

フリーウェイを走る速度メーターはどんどんと上がっていく。車内であるはずなのに空気抵抗のようなものを感じる気さえした。
もはや何キロだしているのかもわからない。

車中の全員が緊張し、一言も話さないまま50分。第一声は「さあ、ついたぞ」

フェリー乗り場が見えた。間に合ったのだ。
誘拐も、ぼったくりもされなかった。彼はただ全力でカレイまで送ってくれたのだった。

ちなみに200ユーロはタクシー代よりも安い。タクシードライバーに、高級車に乗っている知人はいないか?と尋ねた時に私は既に値切っていた。

Thank God! とあの時ほど強く思ったことはない。

私たちはイギリスへ向かうフェリーに乗り込む懐かしのバスに再び乗車した。

我々を置いて行った添乗員はなぜかテンションがあがっていて、「間に合うなんて信じらないよ!どんなマジックを使ったの!?」と話かけてきたが、疲労困憊だ。
ただ、「God bless me」(神のご加護があった) と答えて座席に座り込んだ。

あの時私は、「God bless me」と答えたが、奇跡をおこす力は決して運だけじゃない。
判断力と決断力。そしてそれを根拠とした行動力だ。

それさえあれば大抵のトラブルはなんとかなるのではなかろうか。

時に、「海外は怖い」という認識をもつ人々がいる。間違ってはいない。
けれど、自分で考え判断し、行動する、ということは日本にいても海外にいても同じことではないだろうかと私は思う。

なので、必要以上に恐れることはない。

個人的には、人間が年齢を重ね、インテリジェンスが成熟して、”感動する。”という感覚が鈍る前に、迷っている若者は海外に行ってみたら良いと思っている。

海外へ出ていくことで身に着くことは、語学力ではない。
コミュニケーション能力や、問題解決能力、判断力、決断力、わかりあえないものが存在するという理解。つまり、生きていく力の一片のような気がしている。

そんな力は財産になると信じている。
だから私はこうして今日も、海を渡ろうとする誰かへ、記事を書き続けている。


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