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出張では何度か訪れてはいたが家族と共に
日本をはなれアメリカで生活したことがある。

私自身も初めての海外生活であった。

仕事の都合で家族より1ケ月ほど前に渡米し
一旦、単身状態で生活インフラの整備も
同時並行ですすめていた。

所謂、社内では“1人駐在”と呼んでいたが
この地域には私の会社の他の駐在員及び家族がおらず、そういったエリアにおいて当時は
現地人事部のケアも薄かったため家探しから
賃貸契約やプライベート用の車探し及び
リース契約も自分で対応するわけで平日は
仕事があり土日の出張がある場合を除いた
時間で対応していた。

実際には契約内容により家族が来てからの
約1ケ月はホテル住まいとなり車も同様で
当分は社有車の利用となった。

私の赴任地、家族にとっての生活地は
アメリカ中西部のミズーリ州 セントルイス市で20世紀初頭に最も栄えた街でもあり
当時はオリンピックも開催され
隣接するイリノイ州イーストセントルイスは
全米有数の犯罪都市としても有名だった。

日本でいうと山形市とほぼ同じくらいの緯度となるが初夏のこれから暑くなりはじめるといった頃、セントルイス・ランバート国際空港に
家内と長男・長女の3人が一緒にバゲージクレイムにでて来るところを心躍らせ迎えにいったのも懐かしく思う。

3人とも時差(約14時間)もあるはずで
長旅の疲れにも関わらず久しぶりの再会に
少しの照れ臭さと皆の笑顔の輝きはこれからも
財産だ。

3人3様のリュックを背負い、
手にはバッグを持つ姿には誇らしくも思えた。

この日から、2005年〜2011年に渡る
約6年間のかけがえのない忘れられない景色が新たに始まった。



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