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ホップと鉄道

8月のギラギラ太陽が照りつける中、自転車を必死の形相で漕いでいたその時、「ちょっといいですか?」ー路肩に車をとめた中年男性2人組に声をかけられた。自分がナンパされるような容姿でもお年頃でもないのは分かっている。さればこの2人、道に迷ったのか、もしやして追い剥ぎか?
事件に巻き込まれぬよう「時間がないんですー」と素知らぬ顔で走り去ろうかと一瞬考えたけれど、暑さと自転車をこぎ疲れていたというのもあって立ち止まって用件を聞くことにした。

ハラータウはドイツ一のホップ生産拠点


自転車で走っていた場所はハラータウ(Hallertau))。自動車メーカーのアウディの本拠地、インゴールシュタットとミュンヘンから北東約70キロに位置するランズフートの間に広がる約2400平方kmの地域、まとまったホップ生産地としてはドイツ一、いやヨーロッパ一の生産面積。市場シェア率はドイツで約86%、世界でも約34%を誇っている。

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旅の目的はハラータウの一角、ヴォルンツァッハにあるホップ博物館と、そこからさらに約22キロ北東にあるエルゼンドルフで開かれるホップ摘み祭を訪れることにある。ワインももちろんあるけれど、バイエルンはなんてったってビール王国。その総本山ともいえるミュンヘンの薫り高いビールはこの地でとれるホップに支えられている。

ホップは野草

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つる性のホップは実は中欧では自生していて野草のような存在であったりもする。かつてベルリンから列車で約1時間のリュッベンという町を散歩していた時、シュプレー川沿いの木にからみつくようにして生えているホップを見たことがある。


暑すぎても寒すぎてもだめで、花の時期には決まった日照時間(長すぎても短すぎてもX)がないと香り成分を十分作り出せないーと生育条件は緩いようで緩くない。ただし、条件があえば4月から7月の成長期には時に一日で30センチも伸びる。雄株と雌株があって、ビールに使われるのはもっばら雌の「毬花」と呼ばれる松かさに似た花のようなもの。

畑で雄株が混じって受粉したりすると醸造には使えなくなるので、雄株は厳しく排除されてしまうのだ。ヴォルンツァッハにある博物館では、そういったホップ栽培についての説明や使われる農機具などが展示されている。

ビール純粋令でホップが不動の地位に

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ホップ畑に立ちならぶ支柱を模した博物館に入って説明文を読んでいく。当初は鎮静作用のある薬草として利用されていたホップ。香り付けや保存を高めるためにビール醸造に使われるようになったのは修道院が発祥らしく、それまではハーブなどによる「グルートビール」が主流だった。

そしてさらにホップを後押ししたのがビールの原材料を水、ホップ、大麦に限定した「ドイツビール純粋令」(1516年)。これによってホップはビールに欠かせない存在となった。


ただし腐りやすく、輸送が難しいホップはドイツ各地にあるそれぞれのビール生産地の近くで栽培が行われ、ハラータウがホップの一大生産地になったのは交通網が発達したり、醸造技術が進歩した19世紀中頃からのことだった。

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ホップロードを走る


さあ博物館を出てお祭り会場へ向かおう。自転車という自らの足を使う移動手段だとよく分かるが、氷河時代の名残りでできた地形によってハラータウは起伏がある。ワイヤーに誘引されて7mまでのびるホップが育つ畑の眺めは壮観だ。(そういえば初めてホップ畑を見たときはそれがホップとは気づかず、えらく縦に伸びたブドウ畑だと感心していた。今となっては恥ずかしい。。。)

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ホップロードなるものも整備されていて、バイカーやハイキングしに来た人たちはホップを横目に所々に立てられた説明板でホップのことを知ることができる。(この看板には1ヘクトリットルのビールを生産するにはホップが120g~150g必要と書かれてます)

そうしてホップ畑をえっちらおっちら自転車で漕いでいる際に冒頭の男性2人組に出会ったのだった。

「南西ドイツ放送局の『鉄道ロマン』という番組をご存じですか?」と聞かれた。もちろん知っていますとも。鉄道模型好きの息子が時々見ていた番組だ。世界各地の古い鉄道を紹介したり、鉄道模型ファンが自慢のコレクションを披露したりと鉄道オタク必見の番組だ。でもそれが一体なに?ここには線路跡はあってももう鉄道は通っていない。私が必死で自転車を漕いでいたのもそんな交通事情があってのこと。
「地元の鉄道愛好会がここにかつて走っていた列車と駅を復元したジオラマを作ったので、その場面を実際の人間で復元したいと思いまして・・・」と男性の一人が説明する。よく分かるような、分からないような。
でも列車がこのあたりを走っていたころに日本人、いやアジア人はそうそういなかったろう。合わないのでは?と聞くと顔は出ないから構いませんという。
じゃ、やりましょう(世の鉄道オタクのために!)。私も意を決して教えられたとおりにくるりと自転車で坂を上って見せた。衰えた足には勾配がちいと厳しいもののぐっと我慢。そうして2回ほど走ってOKが出た。
「恐らくオンエアは11月15日です」。

手摘みによる収穫を見学する

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2人組に別れを告げて祭り会場へ急いだ。着いたときには農家の一角で開かれている祭りはとうに始まっていた。畑の脇には人だかり。のぞきにいくと年配の人たちにが慣れた手つきでホップの摘みとり作業を実演していた。

1960年代まではこのような手作業が当たり前だったが、今やすべてが機械化され、このようなのどかな風景はお祭りの際にしか見ることはできない。ホップの下に集い、手は休むことがないけれどにぎやかにおしゃべりしたり、子どもたちも一生懸命手伝ったりとなかなか楽しそうだ。


ちなみに写真の男性は手摘みの世界チャンピオンになったこともある経歴の持ち主とのこと。

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祭り会場を見て歩いていると、ホップの女王を取材中の先ほどの2人組に遭遇し、向こうも私に気づいて手を振ってくれた。

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思い出は鉄道とともに

さて、ホップの自転車旅の締めくくりはもちろんぐいっとビールで、といきたいところだが、そこは下戸の悲しさ。コーラとオレンジのミックスジュースだった。

この旅から三カ月後、私はめでたくテレビ女優としてデビューを果たした。主役は1996年に廃止されたローカル電車で私の役は出番2秒の通行人といった役どころ。他人から見ればしょうもない出来事でも、本人にとってはやっぱりうれしく、画面の前でわくわくしながら自分の出番を見てしまった。

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そしてあれから2年。ホップと鉄道はあの夏の大切な思い出として私の心に残っている。
 


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