自分の人生がもし朝ドラになったら
私の人生、30年が過ぎた。
マラソンでいったらしっかり進んだきたけどまだ先は長いといったところだろうか。
予定日を1日過ぎ、翌日の3:33に私は生まれた。
その日はたいそう冷え込み、星が綺麗に見えたそうだ。
母が言うには、予定日におしるしがきて予定通り!と思ったら、私が途中で寝たらしい。
そのようなお産だったためか、母は私に
「自分でその日を選んだんだ」
と言った。
人生、山あり谷ありとはいったものだが、できれば緩やかな傾斜だとありがたい。
そう思っていたし、今もそう願う気持ちがある。
それには理由がある。
生まれた時から貧血傾向で、体の心配があった。
今はめったに体調を崩さないので、人生の前半に健康と向き合う時間を多く費やしたということかもしれない。
貧血との因果関係はないようだが、3歳で小児がんだとわかった。
告知された時に父は腰を抜かしたようだし、母は仏壇に手を合わせて「まだ連れて行かないでください」とご先祖様にお願いしたらしい。
両親はとても心配していたに違いないが、勝手に因縁をつけられたご先祖様には申し訳ない。
私は元気になった。
治療が終わり、1年ぶりくらいに保育園に行くことになった。
我が強くお喋りな面がある一方、元来引っ込み思案な面もあり、久しぶりに同世代と話をすることに緊張していた。
とりあえず周りに合わせてみよう、同じようにしてみたら変なことにはなるまい。
みんなが私の新品のクレヨンを珍しそうに見ている。みんなのクレヨンのように、新品のクレヨンを折ってみた。
もちろん、他のみんなはわざと折ったわけではないだろう。
しかし5歳の私はそうすれば仲間だと思ってもらえると考えて、クレヨンを折ってみせたのだ。
なんだか言葉の通じない先住民に敵ではないことを知ってもらうために裸になったり独特の慣習に従ってみたりするやつみたいだ。
自分の気持ちはひとまず置いといて、周りがどうしてるか観察し、その中でベストを探す方法を選んでいた。
小学校に入ってから、このままではいけないと思う出来事があった。
私のテストをカンニングしてくる同級生がおり、カンニングしていながら早く答えを書け、と強めに急かされたのだ。
なぜ急かされねばならぬのだ。自分で考えて書けばよいものを。
なんとかしたいのに、できない。
学校が嫌になっていた。
このまま自分を閉じていたら、本当に思っていることはちっとも伝わらない上に、自分はいじいじして苦しいままか。
病気も寛解という段階で体力も本調子ではなく、自分に自信が持てなかった。みんなと同じようなスピードで歩くと疲れて、どんどん間がひらいてしまうのだ。
体が、頭でイメージするように動かないのだ。
なんか人と違う、、
劣等感でいっぱいだった。
今でも体力はないが、運動をしてきたためか、体調はくずさないし、スポーツで勝つ喜びも経験できた。
私は大丈夫だ。
けれど、困難なことが目の前に立ちはだかると、
「私は大丈夫か?」
と疑念がわく。
それが20代までの私だ。
このままでは行き詰まってしまう。
このままではいけないPart 2だ。
そう思い、29歳の時に学びたかった分野に転職した。
直接のきっかけは、70代の知人に
「あなた、自分が何をやっても頭打ちと思っているのね?
自分の心を強く持って。」
と言われたことだ。
シンプルな言葉だが、グッときた。
本当はもう少しチャレンジしたいけど、平和にぼちぼち何事もなく生きられたらそれでいい。
そう納得させていたのだが、
いえいえあなたの道はこっちです!
と背中を押し出されたような気分だった。
やると決めた瞬間に、ご縁があって転職が決まった。
知人に励まされる数ヶ月前、
予期せぬ早さで父親が他界した。
父は優しく面白い人だが、トラブルメーカーで、そのために家庭内は何年も波乱だった。
私や兄弟が結婚して孫ができたりしたら、これまでのクレイジーさは鳴りを潜め、穏やかな家族の時間を過ごせるようになるかも。
などと思っていたが、
父は子どもが結婚する姿を見ぬまま、孫を抱くこともないまま、逝ってしまった。
私の人生は良いことがたくさん起きている。
小児がんの時もありがたいことに、とんとん拍子で手術することができて後遺症もなく手術が終わり、がんを理由に何かを諦めるということもまるでなく、ここまできた。
病院の先生には今もフォローしていただいていて、ありがたい。
高校生の時にやりたい仕事が見つかり、勉強し、実現した。今その仕事をし、経済的に自立することもできた。ありがたい。
しかし父との別れを経験し、一瞬、なぜまた自分の力ではどうにもできない悲しい出来事が起こるのだ、同世代の人はまだ親と色々な経験をすることができるのに。
という、どうしようもなく腹立たしいような、恨めしいような気分に駆られた。
そして、
東日本大震災で被災もした!
とか、後付けで色々思い出して、悲劇のヒロイン、みたいな心境だった。
「なぜまた自分の力ではどうにもできない悲しい出来事が起こるのだ」
と思ったことにもびっくりだ。
父親との別れは、いつかくると想像していたけれど、もう少し先だと思っていた。
悲しんだり懐かしんだり、笑い話をしたり、
喜怒哀楽のメリーゴーランドだったためか、
不安や恐れがこの先なにも起こらないこと
=幸せなこと
という方程式ができつつあった。
そう思うことも、なくさなくてよいと思っている。
ただ、恐ろしいことが今後一切起きませんようにと思って生きていたことに気づいたら、逆に
良いことも悪いことも毎日あるかも
と感じるようになってきた。
そういうもんだから自然の理に従いましょう、と。
それから、
もし私の人生が朝ドラだったら
という想像を膨らませてにやけている。
父親は豊川悦司さん。(願望)
母親は天海祐希さん。(相通じるものがある、あと身長が高くて輪郭も似てるから)
弟は山田裕貴さん。(願望)(あとちょっと似てる)
私は綾瀬はるかさん。(ごめんなさい、好きなんです)
(おこがましくて本当すみません)
もし朝ドラだったら。
どのヒロインも、困難なことからまた一皮むけて、人生の舵を切っているではないか?
私は朝ドラを見るのが子どもの頃から好きなのだ。
私は朝ドラヒロインではないが、
自分の人生の主人公だ。
朝ドラだったら面白いではないか。
と胸を張る。
私は私の、そんなおかしなところが好きだ。
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