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夜のあさがお ラストエピソード

ラストエピソード

 風菜には、利人という名前の弟がいる。三歳下なのに、双子のように仲が良くて、毎日けんかもするけど、かわいい弟だ。いつも一緒にいて、助け合ってきた。こんなこともあった。

「ふうちゃんとりひとで、ごみ捨てに行ってきて。」

「はーい。りひと、行こう!」

と、風菜は言ったが、内心緊張していた。でも、利人と一緒なら、大丈夫だ。エレベーターに乗って、下に降りて、駐車場のところまで行くだけ。そこでエレベーターを待っている間、こう言った。

「五歳と三歳で、八歳だから、大丈夫!」

特に風菜は小さい頃から人見知りな分、利人に助けてもらっていた。外で自分の名前が言えないときなんかは、利人が代わりに名乗ったりした。風菜が泣いたらすぐに慰めてくれて、機嫌が悪いときは利人が話し相手になった。

 そんな利人は、姉の風菜が場面緘黙症を持っているので、「きょうだい児」という区分に入る。きょうだいが障害を持っている子、ということだ。親がきょうだいに付きっきりで、自分はかまってもらえない、というような思いを抱いている。利人がそう思っているかどうかは分からないけど。ここでは、これまで触れてこなかった、風菜のこと、特に弟の利人のことについて書こうと思う。

 風菜が生まれた三年後、利人が生まれた。お母さんが大好きだった風菜は、お母さんの入院中は寂しくてたまらなかった。ずっと泣いて、気づいたときにはもう、弟が生まれていた。名前は風菜が決めたらしい。候補から、「これ!」と選んだそうだ。

 二人の好きなものは真逆で、風菜はチョコレートが好きなのに、利人は「チョコレートは苦い。」と言ってあまり食べない。アイスの好みも逆だ。性格と同じで、風菜は濃厚なアイスが好きで性格もしつこい。利人はさっぱりしたアイスが好きで、何もかもすぐに忘れる方だ。だからアイスの取り合いにはならない。けれど晩ごはんを決めるときには争いが始まる。

「ふうちゃん、りひと、今日の晩ごはんは何がいい?」

「寿司!」

「ラーメン!」

「えー。ラーメンは嫌ー。」

機嫌がいいときと悪いときも逆で、片方の機嫌がいいときは片方の機嫌が悪い。風菜と利人の関係は、ざっとこんな感じだ。

 ある日、風菜がゲームで機嫌を悪くした。うまくできないからすねて、お母さんに怒られたのだ。寝室まで、抵抗して嫌がる風菜を引きずって、ドアを閉められた。風菜は、鍵はかかっていないのに、閉じ込められたと思って大声で泣いた。床のタイルが痛かった。「どうしてふうちゃんが怒られるの!もうママなんか嫌い!あのゲームもしたくない!」そう思った。

 そこに利人がやってきた。始め風菜は、黙っている決意をした。

「ねーね、どうしたの?」(利人は風菜のことを「ねーね」と呼ぶ)

「…」

「ママに怒られたの?」

「…」

すると利人がいきなり変な顔をした。風菜はこらえきれなくて吹き出してしまう。利人は周りの人を楽しくさせることができる。その感性に、風菜はこのように何度も助けられてきた。本当は、空気が読めないということだけど、空気が読めないからこそ、怒られている風菜に対しても話しかけられるのだ。

「あーあ。閉じ込められちゃった。りひとのせいで。」

「なんでりひとのせいなの!」

そう言って殴ってくる。

「はは、違う違う。嘘。りひとのせいじゃないよ。」

利人は殴るのをやめた。「ねーね、ぬいぐるみしようよ。」

「えー。ここから出たくない。ママに会いたくない。」

「じゃあぬいぐるみ、りひとが持ってくる。」

「持ってきてらっしゃい。」

「うん。」

利人が帰ってきた。お父さんに何か言われたらしい。

「ねーね元気?」

「元気じゃないって言ってきて!」

「はーい。ぬいぐるみ置いていくね。」

「行ってらっしゃい。」

また利人が帰ってきた。今度こそぬいぐるみで遊べそうだ。

「よし。じゃあ今日はプールに行こう。」

「えっ?ピカチュウ泳げるの?そんなに太ってるのに。」

こんな調子で会話が続いた。風菜は、利人のおかげで気分がよくなった。

 またある日、風菜と両親が、風菜が幼稚園で話さないことについて話しあっていた。そのとき、いきなり利人が、

「おなかへったー。」

と言ったのだ。「自分のせいで利人に辛い思いをさせている」と思った風菜は、そこから涙が止まらなかった。隣でお母さんに晩ごはんを食べさせてもらいながら、利人の肩に顔をうずめて泣いた。「りひと、ごめんね。」と言いたかったけど、言えなかった。それでも利人は、何も言わずに、風菜に肩を貸してあげていた。利人はそういう優しさも持っている。このとき、利人はどんな気持ちだったのだろうか。また、毎日風菜のことをどう思っているのだろうか。

 利人は、風菜が幼稚園で話さないこと、「夜のあさがお」に行っていることは知っているはずなのに、それについては風菜に何も言わないし、責めたりもしない。いや、子供ながらに、不思議に思って、こっそりお母さんに聞きに行っているのかもしれない。それは利人に対して守ってあげるべき秘密だと思う。きょうだい児の辛さは、他の人には分からない。それが利人の、生きていく上で大切なことだ。しかし、親にとってはどちらもかけがえのない大切な子供だろう。

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