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終わっていくね

 今週で終わってしまうものが多い。

 その証拠に、渡す手紙が5組もあった。先週たくさん書いた分。

 今年はしんどかったし、いろんなことがあって考えて、前に進んだり後ろに進んだりした。自分を見失って、また見つけて。

 成虫の前にサナギになる完全変態の虫は、サナギの中で一度どろどろになっているらしい。中では、どこがどんな形だったかなんて、区別がつかなくなる。だけど、サナギから出てくるときには、きれいな羽や、かっこいい角ができている。

 私はサナギになっていたんだな、と思う。今は、中で形が決まってきたところかな。またどろどろに戻るかもしれないけど。



 昨日は、今の担任に会って、気持ちを全部伝えてきた。全然ここには書いてこなかったけど、今の担任は、めっちゃいい人で、話しやすくて、(若くて、)趣味というか好みが合う。RADWIMPSと米津玄師とamazarashiが好きって聞いたとき、びっくりした記憶がある。全て、私がよく聞く音楽を作っている人たちだったから。

 とにかく、1年間お世話になって、今年の担任をしてもらえてよかったということ。ほとんど授業に出なくて、面談というか雑談しに行っていただけだったけど、それがないと私は今も家にずっといたかもしれないし、文化祭の実行委員もできていないかもしれない。どんな方法でも、私と話すのを楽しんでくれて、いつまでも言葉が出るのを待ってくれて。話すのに時間がかかる私だから、時間を忘れて話せる人は貴重だ。焦らせないし、ゆっくり考えていいし、少なくとも私の中には、これ以上ない優しい時間が流れていた。昨日は、はじめの音を何度か繰り返しながら、自分の言葉でちゃんと、「ありがとうございました、お世話になりました」と伝えた。

 あと、去年の生徒会担当だった先生にも手紙を渡して、話した。私の気持ちを実行委員に動かしてくれた人だ。去年のはじめも、今年のはじめもしんどかったね、慣れないところで。って言ってくれて、担任じゃなかったけど、見てくれていたんだな、と泣きそうになった。「忘れられへんやん、こんなん」と言われた。私にとって、その先生は1人しかいなかったけど、先生にとっても、私は1人しかいないんだ。

 卒業式の返事が心配ですって2人の先生に言ったら、大丈夫だよ、できるよ。って言ってくれた。(担任の先生)が呼んでくれるし。って。担任は、「俺の方が噛まんか心配やわ」と言っていた。そんなこと言われても、心配なものは心配なんだよ、と思いながら、笑った。小6のときは、親友が代わりに返事をしてくれて、中3のときは、担任の先生が3回くらい呼んでくれて、返事しようと頑張ったけど、無音の時間が何秒か続いて、証書を校長先生に渡す係の先生が背中を押してきたからできなかった。いつまで待ってくれていてもできなかったんだろうなとは思う。幼稚園のときは、多分もとからしないって決めていて、立って証書を受け取っただけ。

 去年の生徒会担当だった先生が、「成長したとか変わったとかじゃなくて、本来の自分を出せるようになった、が正しいんじゃないかな、と思う」って言っていて、その表現もありだな、と思った。どの自分も自分なんだけど、ちゃんと持っている力を出せるようになった、という意味だったら、「本来の自分」という言い方もあると思う。

新たな世界の入口に立ち 気づいたことは1人じゃないってこと

レミオロメン「3月9日」

 中学生のとき、卒業シーズンに毎年歌っていた。この歌詞の意味がようやく分かった気がする。1人じゃない。返事はまた練習しに行くけど、小さくても想いが届く返事ならいいかなと思った。

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