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落し物の話

忘れたくて忘れる忘れ物、落としたくて落とす落し物、そんなものは断じてない、と前置きしたところで、私は最近モノをよく無くしている。


今月の中頃、イヤホンを無くした。
イヤホンを無くした日はそれは悲惨である。街の雑踏や猿みたいな学生の鼓膜を裂くような声を何よりも忌み嫌う私、現実逃避アイテムであるそのイヤホンがなかったら...私は...。

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その日は学校にいた。3限目の授業を終え4限目の授業へ、あ、そうそう、その日はテストだったんだ。
3限を一緒に受けた友人とテスト教室では隣同士に座り、そのままテストを受けて4限目終了。一緒に下まで降りて、喫煙者の友人と共に喫煙スペースへ。非喫煙者の私だが煙の匂いには慣れっこになった。最近大学の構内から喫煙スペースが駆逐されている、とボヤきながら友人がふざけて煙を私に吹きかけてくる。煙に慣れてはいるものの、心地いいものではない。いっそのこと喫煙スペースは無くなってもいい。

その後、私は人と会う予定があったので友人と解散、そのまま待ち合わせ場所へ。思えばこのときにはすでにイヤホンを無くしていたのだが、人といる時はイヤホンが必要ないということで、気づかなかったのだろう。あんなに必需品のようで、実は意外と必要ではない時間も存在するのだ。

人と会う予定、というのは先輩に好きなアーティストのグッズを買い取る予定だった。理由はわからないが、定価の半額ほどで譲ってくれるということで私はチューチュートレインばりにその話に飛び乗った。
直近で私が学校に行く予定があった今日この日にスケジュールを合わせてくれた。といっても先輩はほぼ毎日学校に来ているらしいが。院進した先輩はいつもSNSで大変そうにしているが、いざ会ってみると前に会った時とほとんど変わっていなくて安心した、むしろ髪色が派手に変わっていたので私がビックリした。

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さて、その予定も済ました。そうそう、今日は学校が終わってから友人たちと遊ぶ予定がある。だが集合時間までまだ余裕があるので、サークルのたまり場に行こうとした、---そのときである。

「ない!」

声には出していないが、確実に「ない!」という状況が読み取れる顔をしていたことだろう。
イヤホンがない。あれ、いつから無いんだ?そう考えつつ身体中の収納スペースをまさぐった。大学構内の人の往来、人目も憚らずカバンを下ろして情けない姿でカバンを荒らす。上着の両ポケット、ズボンのポケット、カバンの小物入れスペース、あらかた見たがやはりない。

(安いイヤホンだしまあいっか、百均で買って応急処置しよう)という考えが脳内をよぎる。(いやいや、探しに行こう。まだ落としてからそんなに時間は経ってないし)とも考えた。

今までの人生で何度か落し物をしてきたが、覚えてる限り、返ってきたケースがあまりない。物にあまり執着がなかった私は、熱心に探そうともしなかった。井上陽水ばりに探せば見つかったのかもしれないが、私は山崎まさよしである。こんなとこにあるはずがない、と諦めてしまう。

無くしたイヤホンのことを想った。いつだったか、それは家電量販店で買った1000円もしない安いイヤホンだった。主に外出用に使っていて、左右の長さが違うイヤホンだった(このタイプどこに需要があるのか)。おまけにコードの材質上絡まりやすい上に、一向に”クセ”がとれない厄介者だった。
音質は驚くほど悪かった。電車の中で使用していても喧騒が圧倒的に勝つので、音量をMAXにしないとほとんど意味をなさなかった。おまけに右耳のカバー(?)は取れかかっており、以前家の中で誤って踏んでしまった時はそれが取れたので、壊れるのも時間の問題だったのかもしれない。


そんなことを考えながらも、私はイヤホンを無くしたであろう教室がある棟へ向かっていた。集合時間までまだ余裕がある。一縷の望みは残っている。

3限目で使用した教室へ。扉は閉まっているが明かりが付いている。授業中かと思い躊躇ったが、ゆっくりと扉を開けた。男子学生と女子学生が1人ずついた。怪訝な目で見られたが、「アッすいません」と不審者みたいな声を漏らしつつ、大袈裟に机の近くを探す動作をした。「落し物をしたので探している」ということを、言葉ではなく動作で伝える。コミュニケーションが苦手な私ができる最大の努力だ。この人は探し物をしている、と男女は気づいたのか、わからないが特に私に声をかけることもなくまた2人で話しはじめた。
イヤホンはなかった。私は「おかしいな〜」という感情を、手で頭を搔くという動作で表しながら、教室をあとにした。

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結局、大学の落し物コーナーにも届いておらず、事件は迷宮入りしてしまった。その日の帰り道は、いつもよりさらに物悲しいものになった。現実というものは、風に晒された耳のように冷たい。私のイヤホンはどこに。

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