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月が変わって、お見知り置きを

 "1ヶ月が12回来ると1年が終わる"という不可抗力的サイクルが出来上がっているせいで、なまじ1年間のカウントダウンを自然に設定する習慣がついてしまっている。さらにいうと、1日が約30回来ると1ヶ月が終わるというシステムが構築されているせいで、私たちはその意志とは裏腹に、日々無限に設定されるデッドラインを死ぬまでかろうじて掻い潜り続けるような生活を強いられているのだ。

 9月になったまさにその瞬間に夏が終わってそれと同時に秋が幕を開けるかというと、そんなシステマチックな側面は季節にはないのだが、おおよそ何月になれば暖かくなるとか寒くなるとか、そういう曖昧な認識のもとで私たちはなんとなく季節の枠組みを捉えているだけである。そう、驚くほどそれは曖昧。
 半袖の詩人が似つかわしくない季語をうっかり詠んで、またひとつ、時計の針が進む。
 
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 去年の今頃は一体何をしていたか、職場で使っている手帳を見返して思い出してみる。この1年がいかに内容のない、語るに値しないものだったか、労働生活というものの薄味さを舌でチロリと舐めたような気分になった。
 携帯の充電が長く持たなくなってきた。近頃はコスパ/タイパの波が押し寄せて急速充電の充電器ばかり。これじゃあバッテリーがすぐにヤラれる。目まぐるしく動く社会の中ですり減っていく私の心のようだ。注いでも注いでも満たしきれない、これはてんで表面張力の働かない水がめ。

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 ひと月、またひと月と時が過ぎて、覚えられることが少なくなり、忘れてはいけないことが増えていく。新しい英単語をインプットすることがこんなに難しいとは。もっと頭が臨戦態勢のときに場数を踏んでおけばと後悔。いつから英語の勉強を始めたっけ、2ヶ月くらいか。あれ、この単語いつまで経っても覚えられないな…。

 懐かしい風が吹いて、いつになっても、私のことをお見知りおきを。

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