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私は二度、旅に出る

 若いうちは無茶な行程の旅路でも意外となんとかなるものだ。片道8時間かかる各駅停車での移動だって、ネカフェでの雑魚寝宿泊だって、市街散策で交通機関を使わずひたすら歩き続けることだって、体力と気力があればそんなの苦でもない。移動だけで潰れる一日も、安く済ませるためには仕方がない。シャワールームと身体を横にするスペースさえあればホテルもネカフェもさして変わらない。おまけに深夜バスなら宿泊と移動が同時に行えるから一石二鳥だ。それに市街でタクシーに乗るくらいなら歩いたほうがいろんな景色をゆっくり見られる。そうやって若者たちはいつの時代も、旅をしてきた。

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 「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という古い言葉があるが、これは旅にも言えることだと思う。
 旅における"苦労"とは何か。これを私は「長時間移動」と「安宿での宿泊」の2つだと思っている。旅というものを構成する二大要素の移動と宿泊。この2つについて、若いうちはなるべく茨の道を選んでおいた方がいいと思うのだ。

 長い移動時間というのは、思索に耽るには十分な時間だ。車窓から流れる景色をただただ眺めているだけで、不思議と普段は考えないようなことまで思索がめぐる。若者に必要なのは不必要なほど長いシンキングタイム。思考の柔軟性と持続性こそが若者の特権である。考えすぎて言葉に詰まる自分の不器用さが嫌いでもいい。なんにせよ平等に時は流れるのだから、目的地に着くまで、考えられるだけ考えておいたほうがいい。

 ターミナル駅を出た電車はひとつひとつ駅に停車しながら、終点の駅まで向かう。そこからさらに乗り換えてその先、あの山の向こうの町へ。目的地まで線路はまっすぐ一本で繋がっているのに、何度か電車を乗り換えないといけない。とりあえず、今乗っているこの電車が終着駅に着くまで。

 新幹線や飛行機ならばものの数分で抜き去ってしまう景色を、各駅停車ならばじっくりそれを焼き付けることができる。河川や山脈、農道の向こうに形成された集落、ゆっくり行くことでしか見ることができなかった景色。これこそが、私たち若者に必要な景色なのだ。
 車窓からの風景というのは歳をとっても意外と覚えているもので、より長く時間をかけて行ったのなら、それはなおのこと鮮明に刻まれる。そうやってたどり着いた目的地の景色もそう。長い時間をかけてやってきた町は、より一層ビビッドなカラーのフィルムとなる。

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 夜を過ごす場所選びも、若者にとっては重要なこと。私としては、身体を横たえる最低限のスペースと、汗を流せるシャワーボックスさえあれば、他に何もいらない。だから半個室のネットカフェだって、日本語の聞こえない無秩序なゲストハウスだって、私には十分すぎるほどの美しい仕打ちだ。
 宿のオプションはもちろん素泊まり。ヤニの匂いが染み込んだ薄暗い客室で、ベッドの白シーツだけが眩しい。ひとりで素泊まりしている客が多いからか、宿自体は意外と静かで、ベッドに横たわって目を瞑ると、そこに宿の優劣などは感じない。
 しばらく微睡んだあと、やおら起き上がって、ピークを終えたあとの夜を観測しに行く。モノクロのエントランスを抜けて、ビビッドな劇場街へ。異邦人のようなステップで、この街の色に染まりにいくのだ。

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 若者は世間知らずだ。でもそれは当然のことで、大人たちより生きている年数が少ない分経験値が低いのはいたし方がない。だから今のうちに経験値をとにかく積んでおく。それが有益だか無益だか、そんなものはあとから意味を成す。とにかく体力と気力で未経験をカバーする。旅に限って言えば、無茶な旅程を組んででも多くの場所に訪れていろんな景色を目に焼き付け、より多くの世界を知る。これに尽きる。

 そんな私たちもやがて歳をとって、若い頃より少しお金に余裕ができてくるだろう。その頃にまた、昔行った町に行ってみたい。今度は各駅停車じゃなくて、特急列車で優雅に。宿泊もネカフェなどではなく、眺望のいいテラスで朝ごはんの食べられる高級なホテルを予約しよう。
 あの日、疲れ目で見たビビッドカラーの町をもう一度、今度はちょっと落ち着いた色の眼鏡を通して見てみたい。
 だから私は二度、旅に出る。


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