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どこから行っても遠い町

 川上弘美さんの著書「どこから行っても遠い町」を読んでから随分経つ。その心地よいタイトルを書店で一目見た瞬間に引き込まれ、気が付いたら本を片手に書店を出ていた。正直に言うと、購入してそのとき一度読んで以来まったく読み返してはいないのだが、どこかノスタルジックなそのタイトルが、今も私の心に棘を残している。

 どこから行っても遠い町…か…。

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 「どこでも住めるとしたらさ、どこに住む?」

 今はなんとなく、交通の便が良くてコンビニエンスストアとかがいっぱいあるところに住んでいる。やっぱり若いうちは都会っしょ!というヤンチャな気持ちもあるし、"電車1本でフラッと酒を飲みに行ける環境がある"という掛け捨ての保険が都会ですり減った私のメンタルを支えている。都会で負った傷は、都会でしか癒せない。
 それに、青春の大部分を関西の都市圏で過ごしてきたので、そう簡単には離れられなくなったし、まだまだここに浸っていたいという気持ちもある。

 他に、都市圏に住むという選択のその理由として、「膨大な数の人に紛れ込むことで、個性の輪郭をぼんやりとさせられる」ということがある。
 日本で二番目に人口の多いこの都市にいると、本当に色んな人がたくさんいて、その誰もがお互いを認識することなく、またしようともせず、ただただ街を構成するNPCに徹していることに気づく。たとえ強烈な個性や性癖を持った狂人であろうと、何事もなくすれ違ってしまえばそれはただのモブでしかないのだ。
 他者との無用な干渉を避け、己の個性を捨て去ることなく個性を埋没させられる。そんな他人行儀な空気を纏うこの街で繰り広げられるお芝居程度の人間関係が好きだ。

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 私が今勤めている職場はテレワークとか在宅勤務だとかは無縁の存在で、加えて転勤もほぼないので、日本全国どこにでも住むということは残念ながら叶わない。だから普段はこの街にひっそりと根を張って、休日になったらその根っこを引きちぎって、どこか遠い町へと行ってみるくらいしかできない。
 そうはいっても、勤め人をやっていると気軽にそう何度も旅行に行けるものではないので、いつの間にか紙上旅行が趣味になるのだ。Googleマップとかで行ったことのない土地の地図とかストリートビューを見たりして、実際に行った気になるアレ。

 そうやってGoogleマップで何気なく異国の地を眺めていると、北と東に伸びる2本の鉄道路線があって、その路線のどの駅からも遠い地域を見つける。いわゆる「鉄道空白地帯」というやつ。よく見ると高速道路も通っていないが、公共施設や飲食店はそこそこにあるし、ある程度の規模の住宅街も形成されている。
 はて、行ったことも聞いたこともない町だ。果たしてここに住む人たちはどうやって都会まで遊びに行くのだろう。日々の買い物はどうしているんだろう。音楽ライブがあったら何時に家を出て何時の電車で帰ってこないといけないのだろう。お金を下ろしたいときにすぐ下ろせる場所があるのだろうか、そして何故ここに住むのだろう…と余計なお世話を焼いたりしてみる。

 鉄道が主たる移動手段ではない地域での生活、その感覚はおそらく…、もし、日本のどこにでも住んでいいよと言われたら、その感覚を知りに行きたいな。

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 旅行が好きだ。旅行も好きだが、それに伴って発生する移動時間が何より好きだ。都会から猛スピードで離れていく特急列車、その車窓から見える景色は加速度的にノスタルジックになっていく。そのノスタルジーのグラデーションの中にいる瞬間がたまらなく好きなのだ。言葉足らずかもしれないが、私が旅行好きな理由はここにある。現実からまた別の現実へと、そこで見えるまた違った世界。
 日本の何処にだって、生活は息づいている。

 今年の1月から、よく一緒に旅行に行っていた友人とYoutubeチャンネルを始めた。「走馬灯の前撮りをする」という素敵なコンセプトのもとで、二人で行った旅行、あるいはお互いが個人的に行った旅行の様子を一本の動画にまとめてアップしている。エンターテインメントとか企画動画というよりは、備忘録やVlog、ホームビデオ的な側面のほうが強い。「走馬灯の撮り溜め」という前提があるので、こういうただの個人的な思い出が、ほんの少しだけ輝いて見える。
 走馬灯のようなものが見える、とはよく言うものの私自身はその走馬灯のようなものを見たことが無い。噂によると、死という存在が限りなく自分の近くに来た時に見えたり見えなかったりするらしい。
 実際に見たことないのだから確かなことは言えないが、そのときに見えるとされる走馬灯のようなものって多分、今の自分に身近な事柄やシーンじゃなくて、もう既に薄れかけているような遠くセピアな思い出なような気がする。多分、そうだと思う。

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 ふと懐かしい気持ちになったとき、思い出すのは、いつだってここからは遠い町のこと。いつのことだったか、誰と行ったか、もう覚えてないけど、多分それは遠い町のことだったと思う。
 

#どこでも住めるとしたら

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