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安定と不安定のバランス

うつ病になって教師を辞めた男の話⑧

教師になって数年、学校に行くと、ひとまずトイレに行って吐くようになった体。
でも、非常勤として、時間的な余裕があり、何より精神的な余裕も生まれてきて、
少しずつ、またしっかり教員やりたいな、と思っていたころ、
2年続けて同じ学校で、しかも持ち上がりで担任をやらせてもらうという機会がありました。
臨採で、2年同じところにいられるというのは、幸せなことです。
臨採で2年続けて、というのは、後にも先にもこの時だけです。

ひょっとしたら僕は評価低かったのかな笑
みんな臨採だと通年で働けるのかな?
特支学級だと、そういうことも結構あるみたいです。
特別支援の子どもって、環境、人が変わると、とても大変だから。

なんて自分に都合のいいように言ってみますが、まぁ、教育委員会にはいい風に思われてなかったのかもしれません。
臨採で働いていると、少しずつ休む奴、って理解だったのかもです。

とにかく2年間持ち上がりで担任!この経験は大きいです。
今でも連絡くれる子どもが多いのはこの時の子たちですから。
やっぱり、しっかり見続けると、それだけ思いが強くなります。

その分この時の僕はやばかった。
常にみんなに100%の自分でぶつかろう!と思っていました。
みんなと全力!
どんな時でも、何があっても子どもたち優先で時間を使いました。

必然的に、12時間労働は当たり前でした。
100%全力じゃなくても、結構ありえるんです、12時間労働。教員は。
朝8時に行って、始業前準備
この時は授業が週22時間くらいでした。
週5日、1日6時間が毎日だとして、週30時間。
5時間の日が2回あると、28時間。そのうち22時間授業。
担任なので毎日子どもたちの日記、週に1度以上学級通信、宿題で毎日漢字ノート、授業で出す課題チェック、
なんてことをやっていると空き時間なんてもちろんなく。

結構元気(やんちゃ)な子が多かったので、生徒指導がガンガン入り。
部活もあるので夕方6時くらいにやっと次の授業の案を練る時間ができる。
そんなこんなで夜8時は結構ありました。

元気(やんちゃ)なので、その都度生徒のことを真剣に考え、悩み、
僕の悪い癖なのですが、終わった話でも、勝手に頭の中で想像して、物語がどんどん進んでいくということが多々ありました。

「あん時こう言ったけど、もしこう言ってたら・・・あいつはこう言うよな。そうしたらこう返して・・・あ、でもこう言ったら・・・」
昔から、頭の中でいろんな役で、いろんな会話をする癖があり、しかもどうすればより子どもたちのためになるか、なったかを、ずっと考えてしまう。
夜が眠れなくなる。
考えすぎてまた朝吐くようになる。
悪循環でした。
1年目より、2年目のほうが精神的にひびいてきて、
とあるクラスの授業がある、というときに特に、
手が震える、
汗が止まらなくなる、
目の前の景色が揺れる、
鼓動が早くなる、
というような症状が出るようになりました。

幸いだったのは、自分のクラスで安らげたこと。
ふざけたり、まじめに怒ったり。子どもらと一緒になってワイワイしてました。
唯一、それだけは本当に救いでした。

だから、こんな症状が出るような毎日でも、その学校で働けてました。
職員室の雰囲気も結構よかったですし。

子どもとの関係も大事ですが、
職員室の雰囲気もめちゃくちゃ大事です!

自分のことをわかってもらえている、という安心感。
愚痴を聞いてもらえる相手。

心の安らぎがあったからこそ、2年間続けられました。
警察沙汰になるようなことがあったり、
すごいたばこの煙まみれなところがあったりしたけれど笑

心の中の鬱メーターは、どんどん高まっていってしまったけれど、
楽しいことがいっぱいありました。
幸せで、でも発症がどんどん近づいて、という状態でしたね。

どうすればよかったんだろうなぁ。

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