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「やりたい」に「もったいない」なんてない


「もったいないね」

そんな言葉を私は度々かけられることがある。


ちょっとそれは、私にはよくわからない。

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私は昔、東京理科大学に在学していた。

今は東京学芸大学で学んでいる。


何かしらで学歴の話になった時、大体2/3くらいの人は、理科大を辞めたことに対して、えーもったいないね、とか言ったり、なんで辞めたの?みたいな反応をする。


私が別のことをやりたかった。


ただそれだけだ。

確かに、理科大は早慶上理の中に入って知名度もあるし、留年大学と呼ばれる厳しさの信頼度があるから私大理系の中では就職に関してめちゃくちゃ良いし、ノーベル賞レベルの教授が揃っているゆえに研究レベルも高い。

大学受験をしたことがある人なら聞いたことない人はいないだろうし、少なくとも通っていて、卒業して損のある大学ではない。


一方、東京学芸大学って聞いて、先生志望とか教育業界の人以外でパッとそれが思い浮かべられる人は、一般的にあんまりいないと思う。

一応国立大学だし、教育業界の中ではトップクラスの知名度があり、先生養成学校としては有名だ。偏差値的にも、意外と理科大とそう変わりはしなかったりする。


私は中学生くらいから、教育に対して興味があって、先生になりたいとか漠然と思ったり、高校では教員の過労問題について研究したりしていた。ただ、理科も好きで、高校を決める前に大学について調べたりしてて、理科大に行きたいと中学の先生に言ったこともあった。高校生になっても相変わらず理科好き、特に化学で坂田薫先生という面白い先生に出会い、どっぷり化学が好きになった。


今、私の専攻は教育支援専攻のカウンセリングコースというところで、ざっくり言うと心理的に子供をサポートする人を育てるところだ。(支援課程であるがために残念ながら教員免許は取れない…)スクールカウンセラーとかを養成しているというとわかりやすいかもしれない。

本当のところ、現役時代から心理学というか脳科学というかそっちの分野に興味があって、第一志望は慶應のSFCか上智の心理だった。それか医学部に行きたくて、1つ私大の医学部に引っかかったのだが、費用の壁が高すぎて諦めた。でも、化にも同じくらい魅力を感じていたし、結局受かったのが理科大だったので、まあいいかと理科大の理学部応用化学科に入ったのである。

だけど、その理科大を私は辞めた。中学生から好きだった理科の道、世間的に申し分ない、そのまま進めば将来安泰な道を外れることを決めてしまった。

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実を言うと、私は中学も高校も退学している。

中学のことは以前に言ったことがあったが、高校の時の話をするのは初めてだ。

中学生の時、それまで本当に病気ひとつなく、小学校を休んだのも中学入試前日の1日だけだったという私が、中1の時、学校の体育すらできない、なんなら通学するのすら危うい事態に陥った。

当時中高一貫校に通っていて、毎日毎日課題と部活と実行委員やらなんやらに追われていて、それは素晴らしく忙しい日々ではあったけど、それが好きだった。

とりわけ部活が好きで好きでしょうがなかったんだけど、お医者から部活なんてとんでもない、と言われたり、親からもう学校を辞めなさい、と言われ、必死に抵抗したけど結果辞めることになっていた。

普通の公立の中学校に転校した私は、無気力になっていた。前籍の学校が進学校だったから勉強には大して苦労しなかったし、入りたい部活もなくて、習い事もせずただ時間は過ぎていった。

この中学退学以降、私の中で何かが大きく変わってしまった。

それまで何でも積極的にやるやるマルチタスク病だったのが、必要か、自分が好きなことでないと基本やらない、という性格になった。好きなこと以外はだるだる病である。

転校後に、今度は普通に引っ越したせいでもう1回私は中学を転校したんだけど、都道府県が違ったせいで引越した先の公立高校の情報を全然知らなかった。

中2の時、勉強くらいしかすることなかったからとりあえず行きたい公立高校を見つけて、そこに行けたらいいなあなんて思って成績を取ってたんだけど、地域が変わったのでその高校の受験資格はなくなってしまった。

なんだか、全部が面倒に感じてきたのだ。


当時、唯一熱中できた製菓の道に進んでしまいたいと思ったりしたけど、成績的にもったいないと色々な面から全力で止められた。

もう受験は高校で終わりにしたい、って思いが強くなって、私は県内にあって、受験が楽だった某有名大の付属の高校に進学した。

そこは8割ほどがそのままエスカレーターで大学に進むような高校で、たった1個しか校則がないほぼ無法地帯の下で3年間遊ぶ、というのが王道コースな場所だった。大学付属ゆえに、全然受験に対するモチベもないところで、先生ですら適当というか授業料に見合ってない(ごめんなさい)授業やなと思うくらいには全てがゆるゆるぬるぬるとした日々だった。

わからない、私はそう感じただけで、多分合う他の人にとっては服装も自由で髪染めもピアスもなんでもできる楽しい場所なのだと思うけど。

入学当初は私もそうだった、厳しいチア部に入りつつも、バイトして、成績もそこそこに取って、行きたい学部に順当に上がる気満々だったのだ。

でも、段々となぜこんなに周囲が遊んでいるのか?なぜこんなに高い授業料を親に払ってもらっているのか?自分はこのまま付属の大学に上がってしまっていいのか?なんてことがぐるぐる頭を駆け巡るようになっていった。

加えて、入っていたチア部でハブりに遭ってしまい、超、孤独感を感じていた。


お金を無駄にせず、効率良く勉強しよう、という思いから至った結論は、

「よし、学校辞めよう」

だった。

幸いなことに、私の親はそういったことにネガティブなイメージを持たないタイプの人だった。通信制の方が時間もできるし費用もかからない、ということを論じたら、あっさり承諾を得られた。

追い討ちをかけるように、中学生の時に私が退学する理由となった病気が再燃した。それで部活も続けられなかったのだ。

友達に対しても未練とかはなかった。仲良しグループなんかとは別で、当時の私と「本当に」仲が良い友達(そして唯一今でも付き合いがある友達)は1人しかいなかったし。


ただ、先生には止められた。

私が通っていたのは付属学校には珍しい、付属大学への推薦権を保持したまま他大学を自由に受けられるという学校だった。

私は学年250人中大体上から15番目くらいまでにはいた。このままいけば付属大の学部は選び放題、指定校推薦も順当に狙えるし、もし他大を受けて失敗しても最低限世間的に名が通った大学には絶対に進学できる、という状況だった。

私を阻むその台詞は、やっぱり「もったいない」だった。


けれども、私にとっては、その状況の方が「もったいない」だったのである。

別に付属の大学に上がっても学びたい内容がないことは知っていたし(理系の研究分野においても、心理系でも教育系でも)、指定校推薦で行きたい大学から推薦が来る可能性がないこともわかっていた。

悪く言うと私は基本的に頑固な人間である。

リスクがあるなんてわかっていた。


そのリスクなんて知らない、というつもりで高校を退学して、通信制高校に転校した。

****
時間は流れるものだ。

学校を辞めようが病気のせいで1日2時間くらいしか勉強はできなかったり、バイトしてたりなんだかんだありつつも、私は現役で理科大に受かった。その時嬉しかったことは間違いない。実際人生で初めてちゃんと嬉し泣きしたのがその時だった。エンジニアだった祖父は孫がリケジョで、しかも理科大に入ることを相当喜んでいたのもあり、これから化学の勉強を頑張ろう、と言う気持ちでいたことは確かだった。


ただ、入った後しばらくして、どんどんどんどんコレジャナイ感が自分の中で湧き出ていた。

高校の時と同じだった。

コロナ禍でずっとオンライン授業で、誰にも質問できなくて、ただただ理解しきれない膨大な課題とバイトに追われる日々が続いた。

孤独に訳のわからない有機化学の構造式なんかと戦ううちに、私が学びたいのは違うことじゃないか?とひしひしと感じた。

もう化学が学びたい訳ではないことに気づいているのに、4年後に卒業研究をして、院に進学する自分が想像できなかった。このままいっても大丈夫なんだろうかと思う一方で、やっぱり心理学が、教育学がやりたい気持ちが大きくなっていった。


当時、ちょうど前世の事務所に入ったタイミング(ここら辺に関しては過去記事「アイドルになったと思ったら、転生していた話。」を参照)で、実は事務所に入る時の面接でも、アイドルになる時の、いや、この時はアイドルになるなんて思ってなかったんだけどその面接でも、私は結構化学分野の話をしていた。既に半分くらい化学に足突っ込んだ状態から抜け出していたのに気づいていたのに。結果として、私は見た目の幼さ(元々かなり童顔だけど、当時は今の5倍くらい幼かった)と化学分野というギャップの不思議ちゃんキャラをおそらく買われて、運良くご縁をいただくこととなった。


事務所に入ることに、アイドルになることになることが決まってから、私の日々は忙しくなる一方だった。

毎週毎週総じれば何万字かになる課題と、アイドルのレッスン諸々と、バイトの家庭教師を5件くらい掛け持ちしていて、今思ってもどうやって生活していたのかわからないくらい過密な日々だった。

どこを切るか?と自身に問われた時、私の中で1番になったのは学業だった。なんでかって、わざわざお金払って興味を失った学びをすることに1ミリも価値を見出せなかったからである。

そして私はひっそりと理科大を休学した。

2年生の、5月のことだった。




休学してすぐに、他の大学の募集要項を徹底的に調べ始めた。現役時代に行きたかったSFC受験用の書類を作り始めたりと、一応仮面浪人?の身分として動き出した。

と同時に、理科大2年の夏にアイドルとしてデビューした。アイドルとしての毎日は全くわからないことばかりで、心がそれでいっぱいになって、大分体調崩したりしてたけど、どうにかこうにか勉強(というか志望理由書とかの書類作り)とアイドルとバイトを続けていた。

アイドルになって数カ月経ったある日、その日も私はどこか受けられる大学がないかをリサーチしていた。その頃私は学費の面で国公立に行きたいなあと思っていて、でも国公立って推薦入試でも共通テストを受けないといけないパターンが多くて、大量の科目を身につけることは今更無理だからと半ば諦めていた。

けど、本当にたまたまたしか河合塾?の入試形態のめっちゃ細かい情報がずらーっと並んでいる白黒のPDFを見つめていたら、

「東京学芸大学」

「教育学部」

「カウンセリングコース」

「共通テストを免除する」

という文字が飛び込んできた。

すぐに募集要項を調べて、これだ、と思った。教育分野の中でも専攻したい心理学が学べて、共通テストを受けなくても国立大に進める、現役でなくても受験資格がある、試験科目は小論文と面接だけ。

小論文も面接も、高3で受験が終わってから即総合型選抜対策の塾でバイト始めてずっと続けていて、むしろ指導する側だからいけるっしょみたいなノリで受験を決めた。

ただ、私がこの募集要項を見つけたのは出願締め切りの1週間半前。先述の通り通信制高校を卒業していたので、本校に推薦書や調査書を取り寄せる手続きには1週間かかる。

結構な文章量を考えないといけなかったのと、書類が間に合うか?とかアイドルの仕事があるのに、なんて思いながらも、なんとか出願に間に合った。あと3日見つけるのが遅かったら、受験を諦めていたと思う。


こうして、足を運んだこともない学芸大に入試日に初めて行き、なんとなく試験を受けて、あー小論文やらかしたな、とか(過去問を一応解いて、時間に頗る余裕があったから全然対策しなかった)、面接の控え室で眠すぎて船漕いでたのばっちり見られてたけど大丈夫だったかしら(いや、実家の横浜から行ったから朝めっちゃ早かったんよ)、なんて思いつつ3日間発表を待った。


忘れもしない午前10時きっかりに、私は合格発表のPDFを開いた。


スクロールした先に、私の受験番号はあった。

受かったのだ、という実感はむしろ湧いてこず、とりあえず唯一受験をすることを伝えていたアイドルのメンバーに電話した。

「おめでとう」

の言葉を聞いて、やっとやっと安堵した。

実は、この受験があった11月の前に、理科大を前期で退学してしまっていた。休学費を払うのも馬鹿馬鹿しいと思っていた反面で、学生という安定した身分を自ら失わせた自分に対して妙な嫌悪感を抱いていたから、やっと進路の目処がついたことに、ひどく安心したのである。


こうして、私は今東京学芸大学の教育学部で、心理学を学んでいる。

おそらく中学生の時から潜在的に学びたいと思っていた教育のこと、そして中学生から今までの経験から学びたいと思ってきた心のことを学んでいる。

たまに元理系のクセして統計学に苦戦したり(理系ですが私は情報系が大嫌いでPCを使うのが本当に苦手です)、前世のグループ名がフランス語だという安直な理由で二外をフランス語にしたら大苦戦したりと色々あったりはするけど、やりたかった教育学、心理学には自身が共感できる部分も多くて楽しい。授業が対面になったおかげで、無事に何かと助け合える友達もできた。

やっと、思い描いていたイメージに近い大学生活を送れるようになった。

だから、「もったいない」なんて言ってほしくない。

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先日、私はアイドルを卒業した。

卒業するにあたって、色んな人に相談した。

「ワンマンライブまでは待った方がいいんじゃない?」

「アイドルやりながらやりたいことをやるっていう選択肢はないの?」

「アイドルっていう職業で、ファンの方がいるっていうのは他のことでも役に立つよ」

ありがたいことに、止めてくださった方もいたし、たくさんの意見をいただいた。


それでも、私は辞めた。

やりたいことができたからだ。

私は今、アイドルではなく別の芸能のお仕事がしたい。アイドルと並行してじゃなくて、ちゃんと自分自身に向き合って、自分で何かを表現して、それで人の心を動かせる人になりたい。

「もったいない」なんて思わなかった。

大丈夫、アイドルになったことで出会えた人たちや得た経験は一生の宝だし、アイドルとしてのキャリアはちゃんと私の糧になっている。

アイドルになれたのは、理科大に入れたからだった。

理科大を辞めて学芸大に入れたのは、運命的なタイミングと条件があったからだった。

今回アイドルを辞めたのも、色んなことが重なって、今だと思ったからだ。



そこの過程に、「もったいない」なんてない。



最後のライブとなった5/2の対バンの帰り道、私はままぁ(私の前世を知らない方のために一応言っておくと、とあるメンバーのことです)に、

「あなたは自分が思っているより強い人間だから」

と言われた。


そう、きっと私は強い人間だ。

だから「もったいない」なんて言葉には負けない。



自分の「やりたい」を突き進んでいくんだ。

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