12.人生に休める日を。

"東京来て何年目?"と聞かれた。
"4年目ですね、
最初の2年くらいはあってなかったようなものですけど。"
私は笑ってそう返した。
仕事で東京に来ていた父と、その同僚の方と3人でお昼ご飯を食べていた今日、そんな会話になった。
私の隣には父がいて、そんな"最初の2年"を思い返していた。

小さい頃、私は父が苦手だった。
いつからか記憶はないが、小学生の頃にはもう苦手意識が芽生えていた。
朝早くから夜遅くまで仕事をしている父と家で顔を合わせる時間は長くはなかったけど、私のことを好きじゃないんだろうな、と感じていた。
3つ下の妹のことが可愛くて可愛くて仕方なかったのかもしれない。
自分は必要とされていないと1人布団の中で泣きじゃくった日もあった。
大人になるにつれ、だんだんとそれは薄れていったけど。

高校を卒業して一人暮らしを始めてから、私と父は少しずつ打ち解けていった。
離れて暮らして気がついたお互いの有り難みみたいなものだと思う。

専門学校の2年の頃公演したミュージカルで、私は歌唱シーンが多い役どころになった。
4曲くらい歌ったかな、その中の1つが
ファンキーモンキーベイビーズのヒーローという曲だった。
ステージの真ん中から、客席にいる父が見えたその瞬間、涙が溢れそうで。
舞台上では我慢したけど、裏で号泣したのを覚えている。
ただ仕事のモヤモヤを家でぶつけていた自分勝手な父だと思っていた。
私の知らないところで、どれだけ頭を下げてきたんだろう。
どんな理不尽に立ち向かって、それでも家族を守ってきてくれていたんだろう。
私は何も知らなかったけど、きっとずっと父はヒーローでいてくれたんだと思う。
ミュージカルが終わって、良かったよ、と頭を撫でてくれたあの手を私はずっと忘れない。

そして上京してきてからの"最初の2年間"。
家族みんなに支えられて、私はそんな2年間を乗り越えて今も東京にいる。
ふと父に謝られたことがある。
【ありに全然目をかけられなくてごめんね。】と。
あぁ、お父さんは私が辛かったことも寂しかったこともわかってくれていたんだ。
私は正直沢山傷ついてきてしまったけど、何年も経ってしまったけど、そうやって言葉にして伝えてくれたことがすごく刺さった。
私が父は妹の方が、って思ってたみたいに
父は私が母のことだけ好きなんだって感じていたんだと思う。親子だから、わかる。
雪解け、なんてよく言うけど本当にその言葉の通り、すぅっと何かが解けていったような気がした。

今は家族みんなが大好きで、もちろん父のことも大好きで。
そうなればなるほど、あとどのくらい一緒にいられるんだろう。どのくらい思い出をつくれるんだろう。早く安心させてあげたいなって思う。
もっとずっと前から大好きでいたかったな、とも思ってしまう。

過ぎていった時間は取り戻せないし、綺麗な思い出に塗り替えることはできない。
だからこそ、ありがとうも大好きも、あなたのことが大切だよってこともちゃんと伝えていかなくちゃ。
家族でも、友達でも、恋人でも。
伝えなきゃ、伝わらないから。

あの"2年間"。
私は最初にひとこと、助けて、って言えたら良かったなって今でも思う。
勇気がいることだけど、そのたったひとことが言えなくて私は2年も前に進めずにいた。
その時間で気がついたこと、与えてもらったものも沢山あるけど失った時間は取り戻せないから。


だから思うんです、私の大切なあなたへ。
私のことを知らないあなたも。
通りすがりのあなたも。

【想いは、言葉にしてください。】

わかりづらくてもいい。
下手くそでも、不器用でもいい。
だから、伝えてほしい。

どうして傷ついているのか、
何が辛いのか、苦しいのか。
自分自身でもわからないときがある。
でも、前に進めない気がするその感覚はなんとなくわかると思う。
美味しいもの食べて、ぐっすり眠って、
くだらないことで笑って、大好きな人と過ごしてほしい。心が温まるその方へ、進んでいってほしい。
休憩も必要だから。あなたはあなたしかいないから。

私も言葉にして、ちゃんと伝えていきたい。

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