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後遺症との二年越しの闘い

こんばんは。

これから週一くらいのペースで、わたしが患ったコロナウイルスと

後遺症での辛かった日々や、その他色々
体調面や食生活などでの変化を書き記しておこうと思います。

今ある命は当たり前じゃないことに
気付かされた大きなキッカケにもなりました。

わたしがコロナウイルスに罹患したのは

今から遡って約3年ほど前。


2020年6月頃になります。


今も後遺症と付き合う日々ですが

当時よりは遥かに良くなっていて

身体もだいぶラクにはなっているけど少しでもムリをすると熱が出る身体になってしまい、


まだまだだなぁと思いながら
日々暮らしています。

当時は後遺症という言葉はなく、
そんなもの無いよとまで言われたこともありましたが、

メディアで後遺症を取り上げられるようになり、少しずつ世間一般にも知られるようになったと思います。

私以外にも、生活がガラッも変わった人も
多くいると思うので

少しでも何かの役に立てば
自分以外にも同じような人が居たんだと
思ってくれたらいいなと。




私が感じたこととしては


コロナウイルスは、ただの風邪ではなかったと、ここで明記しておきます。

ただ私は医学知識は薄いのと、専門家ではないため、各々解釈の仕方は違うため異なる解釈でも問題ないと思います。

ただ、私個人としては大きな変化だったということです。


2020年1月頃から症状は出始めていて

嘔吐、下痢、胃痛、呼吸困難、喘息発作の悪化、などなど

一度にいろんな症状が出てきたのを覚えています。

様々な症状に加え、味覚がわからなくなったのが5月頃。まさかと思いました。ただ、風邪のような症状は続いていたのと、
息苦しさ、熱が下がらないのが続き、PCR検査をやっとの思いで受けられるように。

今のようにネットで検査予約などが出来る状態ではなく、電話が繋がるのを待ってからの順番待ちだったため、スムーズに予約できなく、当時お付き合いしてた彼には毎晩のように付き添ってもらい、

ふたりともほとんど眠らず、私は息苦しさで起きて、病院へ送ってもらうという、よく乗り越えられたよねという感じでした。

当時は彼が居なければ、私一人で何もできないくらいに弱っていたため、彼のおかげで今の命があるし、生きられているし、命の恩人だとさえ思っています。

病院で万全の体制を整えてくれたため、スムーズに検査を受けることが出来ました。

鼻と喉とどちらからも検体を取られ、
何も食べれていなかったため、オエッと吐きそうになりながら検査したのは今も覚えています。


その2日後、陽性の連絡が保健所から来ました、まさかと思いました。

熱が下がらなく、基礎疾患もあるとのことで、保健所の方の好意で入院治療にしていただけたのは、とても幸運でした。

退院後から、私の本当の試練が始まります。

まずは熱と倦怠感が継続していたこと。

身体があまりに弱っていたため、解熱薬でアナフィラキシーショックが出てしまい、解熱薬が飲めず、咳止め薬などしか飲めないため、熱が続きました。

現在も疲労熱はたまに出ますが、1日ほどで治るように。

当時は一度熱が出ると、なかなか下がらず、熱を抱えたまま日々生活をしていました。

下痢嘔吐も引き続きそのままでしたが、なんとかご飯は食べれていました。

ただ、謎のじんましんや、口がむくむ症状が少しずつ出ていたため、強いステロイドの吸入薬に変えたり

今は前から使用している吸入薬のみですが
気管を拡げる吸入薬も使ってました。

自分で自分の身体を管理しなければならない!

弱ってく自分の身体と付き合わなければならない、と少しずつ思い始めたのはその頃からです。

熱が下がらない不調が続くと、眠りも浅く、食事もままならなくなるという悪循環が続いてました。

ご飯を食べると口がむくんだり、気管が腫れるアレルギーの症状も出るようになり、救急外来で気管を拡げる注射をしてもらい、

日中はアレルギー専門科に行ったり、
内科に行ったり、あらゆる病院へ行き、 指示を仰ぎアドバイスをもらい、

熱があれば点滴を打ってもらったり、
食事が摂れなかったためカロリーのある点滴を入れてもらったりと

出来る限りのことをして、なんとか生きようと必死でした。

彼があちこち病院へ連れてってくれる度に
私は本当の病人になってしまっていたんだと、今ではそう思えます。

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